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2021年02月20日04:18

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主人公の理不尽な生き方に憤慨し、怒りの持って行き場を見つけられず当惑する映画でした。ルイス・オルテガ監督「永遠に僕のもの」(2018)。

アルゼンチン映画で、ペドロ・アルモドバルが製作に噛んでいます。今までいくつかアルモドバル製作の映画を見ましたが、すべて彼の監督作には及びませんでした。つまり、アルモドバルは、これと思った作品なら自身が監督するはず、と僕は思っています。今回も作品としては、やはりアルモドバル作品特有の切れ味は感じられません。しかし、描かれる主人公の生き方が、あまりにも酷いので呆れてしまう作品でした。

物語は1972年から始まります。アルゼンチンには死刑制度が無いようで、終身刑が最高刑らしい。とはいえ、ここまで自分勝手に他人を殺してしまう若造(感情がこう書かせてしまう)を、どんな論理で生きながらえさせる必要があるのでしょうか。いや、何人たりとも、他人の生命を奪う権利はないのですよ。

それは分かっていますが、平気で他人の生命を奪ってのけた犯罪者に対しては、死刑をもって処するのが当然(つまりフェアー)ではないかと僕は思う。死に対しては死をもって贖うという単純な発想です。←正しいとは思えないけど、当然=フェアーな発想だと思うしだい。この映画の主人公のような犯罪者を生きながらえさせていても、何か社会のために役立つだろうか。←この功利主義こそが唾棄すべきものなのですが、どうしても納得できないのです。

17歳のカルリートス(ロレンソ・フェロ)は、欲しい物があれば盗み、ためらいもせずに次々と重大な犯罪に手を染めていきます。たまたま学校の同級生ラモン(チノ・ダモン)の父親が泥棒だったことから意気投合して犯罪を続ける。そして犯罪を繰り返しつつ、逮捕されるまでの物語でした。

実際にカルリートスは45年収監され、仮釈放されたそうです。もっとも、殺された被害者の両親が生存している限りは出獄できないという法律らしい。とはいえ僕の常識では、とても許すことができない法律です。←功利主義に冒されてしまっている僕の考え方が間違いだとは思うけれど、許されない人間を許すという行為に僕は納得できないのです。

とりあえず僕が納得できるかどうかではなく、映画としてどうなのかを論じましょう。きちんと作られたなかなかの作品です。監督のルイス・オルテガという人については知りませんし、同姓同名の映画人がimdbで検索したら10人以上出てきますから、今後名前を耳にしても別人の可能性が高いかも(冗談ですが)。

何にいちばん惹かれたかと言うと、途中で流れるジリオラ・チンクエッティの歌“夢みる想い”なのです。1964年にユーロビジョン・コンテストで優勝した曲で、僕がセールスマンになったころ、まだレコード店の常備在庫として認められていました。チンクエッティは僕より5か月ほど遅く生まれている同世代なので、この曲を耳にすると格別なのでした。←厚労省の次官になった今は亡き同級生のY君が、僕の映画ベストテンに対抗してポップスのベストテンを同級生に呼びかけていたことがあったもので。

そんな時代の刻印が、明確にこの映画を印象づけてくれました。それ以上でも以下でもない、そしてまたテクニカルにはきちんと作られた映画です。ここから先は、見るか見ないか、評価するかしないか、僕がとやかく言うことではありません。見た印象も千差万別のはず。そういう映画も、やはり映画だということで、記憶にとどめておきたいと考えます。
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