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2021年02月18日04:03

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過説明な副題のせいで見なかった番組ですが、やはり三船敏郎の集大成として見ておくべき作品でした。NHK−BSプレミアム「三船敏郎・生誕100年【サムライの真実・幻の大作映画・戦争と特攻】」(2020)。

いつも感じることですが、すでに亡くなった人についてのインタビュー集というものは、どうも“新事実”にばかり注目するから嫌いです。今回も【サムライの真実・幻の大作映画・戦争と特攻】と副題があり、“幻の大作映画”として三船が晩年映画化を考えていた「孫悟空」のシナリオや、スピルバーグにあてた手紙などが登場します。

それに対してスピルバーグからの返事はなく、亡くなったときに弔文が寄せられるところが僕には辛い。三船は友情を信じていたのに、スピルバーグには商売と映ったのでしょう。そこにある“プロの世界”が、僕にとっての“映画”とは、異質だったのです。スピルバーグには職業である映画が、僕には人生なのですから。

そして“戦争と特攻”という平易すぎる副題も、なんか残念でした。77歳で亡くなった三船敏郎に、あと4歳と迫ってきた僕には、特攻隊員たちを送り出すとき“遺影”を撮影させられた三船の苦渋や、自分だけが生き残ってしまった“責任感”が感じとれるわけですが、言葉にしてしまうととても薄い気がします。それは今僕が書いた文章でも同じ。文言に、重みを加えられない自分が情けない。

つまり観客としての墓は、三船三十郎に代表されるサムライの姿に魅せられてきましたが、近年様々なドキュメンタリーや書物で三船敏郎という人柄を知るにいたり、「七人の侍」で“百姓を何だと思ってやがる!”と叫ぶ菊千代の言葉が、痛烈に響いてきたわけです。島田勘兵衛がもらしたように、“この飯、おろそかには食わぬぞ”と噛み締めなければいけないわけですが、僕は山形勲のように“わしの望みは、もうちいと大きい”と、七人とは別の道を歩んだのです。

今回のインタビューの中では、三船の衣装を担当していた方の“「レッド・サン」における三船の待遇は丁重そのものだった”という言葉が印象的でした。僕には失敗作に思える映画ですが、公開時にサントラ盤を売っていたという自分の体験とダブり、製作者側が三船を別格扱いしていたらしいと知り、うれしいのです。

彼らは三船に20名ぐらいの監督名を提出し、三船の希望を聞いてきたそうな。番組ではスタンリー・キューブリックの名前が並んでいるところに注目していましたが、僕はアーヴィン・カーシュナーの名前を見出したのです。「トラ・トラ・トラ!」の監督候補になった黒澤明に対し、アメリカ側の監督がリチャード・フライシャーだと知り黒澤が憤慨した事実を思い出しましょう。

「レッド・サン」の監督がテレンス・ヤングになったことからも明らかなように、この監督リストは見せかけではあります。しかしシドニー・ルメット、ジョン・フランケンハイマーらの中に、アーヴィン・カーシュナーの名前を紛れ込ませる“正直さ”を僕は評価したい。黒澤明が“フレッド・ジンネマン程度の格”を求めたのに対し、テレンス・ヤングで納得した三船の人柄を僕はしのびたいのです。

今回も、三船美佳さんは登場しませんでした。余計な雑音が邪魔したのでしょう。しかし僕は思うのです。テレビで見た三船美佳さんの雰囲気から、偉大な父親への思慕を、何らかの形で記録しておきたいと。俳優の田中要次さんとの旅番組で黒四ダムへ行ったとき、父親の偉大さに触れた彼女の感激は、まさに「用心棒」で衝撃を受けた中学生の僕そのものだったのです。

三船敏郎・生誕100年と銘打った番組ですから、さらなる再放送は望むべくもありません。すぐに没後四半世紀となります。三船三十郎が“貴様たちのやることは危なっかしくて見ちゃいられねぇ”と言い放った若侍たちと同世代やその追随者たちが、日本という国を終戦直後の反省から程遠い場所へと引っ張ってきてしまいました。今こそ“サムライの真実”を思い出すべきなのですが、それは叶わないのかも。三船の「孫悟空」にかけた夢は、夢に終わってしまったわけです。
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