mixiユーザー(id:6327611)

2021年02月14日00:54

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英会話の題材に選んだけど、無理がありました。ケン・ローチ監督「家族を思うとき」(2019)。

何が無理だったかと言うと、レンタルDVDには英語字幕が付いていなかったのです。だから英語を拾おうとしても、イギリス英語の独特のリズムに酔ってしまい、きちんと文章を拾えない。imdbのクォート欄には、2つしか書き込まれていないし。さらに問題は、映画が良く出来ていすぎて、内容が気が気じゃなくなるから、英語どころではないのでした。

舞台はニューカッスルですが、主人公のリッキーはマンチェスター育ち。配達先の客から“マンチェスターびいきなのか?”と言われ、口論になってしまいます。その程度はご愛嬌ですが、無理して運送用の車を買ったから、家庭内に隙間風が吹くあたりになると、もう英語どころではありませんでした。

娘を同乗させて配達するシーンは、この映画では数少ない楽しいシーンなのですが、そのあと一家を襲う不幸な出来事の連続でそれどころではありません。娘が不在配達票に付け加えた言葉が、会社から規則違反の同乗者がいた証拠と責められる。リッキーは、俺は自営業で、自分の車に誰を載せても構わないはずだと言うのですが、配達業務中に他人を乗せるのは規則違反なのでした。

つまりこの映画は、個人事業主と運送会社の契約内容によって、現状を改善するどころかますます不幸へと突っ走ってしまうリッキー一家を描きます。フランチャイズ契約という、個人事業主の利益を優先したような契約が、実は奴隷契約にも等しい事態を招くわけです。2019年の大晦日に劇場で見て、あまりの衝撃に僕はベストテンの2位に入れてしまいました。いや、今考えても2位は妥当だと思うのですが、その勢いで英会話の題材に選んだのが間違いでした。

訪問介護の仕事をして家計を支えていた妻のアビーは、夫のトラックを買うために自分の足である乗用車を売ってしまいます。そもそもリッキーは、家のローンを抱えていたのに失業してしまったというハンデがあり、今回の運送業でしゃにむに働くしかない。家のローンを抱えて仕事がなくなったら、家を売るしかないわけですが、仕事がなければ家を借りることも出来ません。

そんな経済の仕組みの中で、リッキーたちが必死に生きようとして努力しているのに、ひとつひとつがすべて裏目に出る。ボスである雇い主の言い分は、その部分部分をみていると正論なわけです。だからリッキーは従うほかない。少しでも仕事を増やして稼ごうとしたら、その仕事を取られた人間から恨まれて殴られる。

さらに怪我の治療よりも仕事をしろとせっつかれ、会社の機材を壊したと損害賠償も求められます。まさに踏んだり蹴ったり、泣き面にハチ、蝿打ちゃ手摩る、便所に行ったら人が入っとるという状態です。しかしまぁ、その物語構成の見事さには参りました。エンドクレジットに謝辞があり、“取材に応じてくれたドライバーたちに感謝したい”とあるのですが、“名前を出すと差し障りがあるので出せない”というあたり、もう絶句です。

今回英語の先生から教えてもらったのは(いろいろあったけどメモしたのは)、コロナ禍でネット販売が活況を呈しているが、店舗販売はピンチだという内容で、店舗販売をBrick-and-mortarと言うことでした。レンガとモルタルだから店舗を構えているわけですが、レンガとモルタルだからビルではなくて小規模ですね。そういう個人商店が打撃を受けているこの1年を見せつけられると、ケン・ローチが引退を撤回してまで監督したこの作品の意味が、痛烈にのしかかってくるのでした。

そんなことを感じていたところに、この地震。個人商店や事業主たちに、さらなる被害がないことを祈ります。
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