ジャック・ペランほかの映画製作者たちが、世界の11人の監督に依頼して作った各11分の短編を集めた映画です。日本公開は2003年4月で、僕はDVDの紹介記事を書くときに見ました。それ以来の再見です。実は1年以上前にスカパーが無料で見られたとき(長年契約していると1か月何チャンネルか見放題になるのです)、そういえば持ってないやと録画しておいたのでした。
そうやって録画はしたものの、なかなか見る気にならない作品がいろいろあります。取り立てて興味がないくせに、ちょっと気にかかると“いちおう録画”しておくわけです。でも、ちょっと気になっただけですからすぐには見ない。この作品は2時間14分もあるので、とりあえず2層のDVD−Rに焼けるようにと、2層に収まる容量に変換してHDDにキープしていました。←DRのまま録画しておくと容量を食うもので。
たまたま事務所を息子に引き渡す関係でいろいろ整理を始めたら、こんなHDDの中まで気になってきました。そこで古い録画をチェックし、“30分ルール”を適用し始めたわけです。すると15分で“もういいや”という作品が次々出てきました。それに比べるとこの「セプテンバー11」は、11分の短編が集まっているので、2日に分けて全部見なおすことができました。
監督は次の11人です。サミラ・マフマルバフ(イラン編)、クロード・ルルーシュ(フランス編)、ユーセフ・シャヒーン(エジプト編)、ダニス・タノヴィッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ編)、イドリッサ・ウエドラオゴ(ブルキナファソ編)、ケン・ローチ(イギリス編)、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(メキシコ編)、アモス・ギタイ(イスラエル編)、ミーラー・ナーイル(インド編)、ショーン・ペン(アメリカ編)、今村昌平(日本編)。
はい、そうです。それぞれの国を“代表する監督”と呼ぶには役不足感が否めませんね。そして実際、短編映画としても大した内容ではないものが多い。僕が“見ていられたな”と感じるのはケン・ローチとミーラー・ナーイルくらい。ケン・ローチが“911”の意味をチリのアジェンデ政権に対するクーデターを描いて明確にした姿勢は秀逸です。
アモス・ギタイがイスラエルで同日に起こった自爆テロにあわてるテレビ取材班を描いていますが(写真3)、この程度なら「カメラを止めるな!」の方がマシです。サミラ・マフマルバフ(イラン編)は、黒板を背負った先生たちのドラマが好きな人はどうぞ、という感じ。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(メキシコ編)に至っては、ラジオドラマにしろよと思う。確かにわずかな映像は痛切ですが、その直情にだけ訴える態度を僕は好みません。少なくとも20年近く経ってしまったら“作品”として成立していないと思う。
そして今村昌平(日本編)にとって、これが“遺作”だなんて絶対いやだな。参加に応じた理由はいろいろあるのでしょうが、しめくくりにもならない“メッセージ”だけが虚しく響くのでした。せいぜいショーン・ペン(アメリカ編)で、アーネスト・ボーグナイン(写真2、当時85歳)の元気な姿が見られたのがよかったぐらい。
とまあ、20年後に冷静に鑑賞する作品ではありませんね。あの事件の衝撃に各国の映画人たちが動揺したという、その証です。それはそれで一つのイベントとしては意味があったのですが、それ以上でも以下でもない。やはり時を経て見なおした僕がバカでした。とはいいつつ、ディスクに焼いて保管はしてしまう、というケチな根性を、僕はなお持ち続けるのでした。
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