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2020年09月27日04:00

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“初めて口を開いた”からといって、それが“新事実”とはならない。作意が邪魔なドキュメンタリー「#アンネ・フランク −生存者が語る「日記」のその後−」(2019)。

ホロコーストを体験した人はその事実をあまり語りたくなかった、という気持ちは理解できます。誰だって嫌な体験を思い出して語ろうとは思わない。ましてや、ナチスが行った強制収容所での非道な出来事を体験した人々が、その事実を語りたくないということはもっともだと思います。

一方で、少女アンネが書き綴った日記は、出版されて多くの人に読まれました。このドキュメンタリーは、女優のヘレン・ミレンが「アンネの日記」を朗読する姿と、新しく“証言する”行為に参加した収容所体験者の言葉を絡ませたドキュメンタリーです。しかし、“旅人”として若い女性を登場させ、彼女がアンネ・フランクの墓などを訪ね歩いてスマホで写真を撮る姿を挟むというのはなんじゃい?

最近はNHKの番組でも、たとえば「アナザーストーリーズ」などという、今どきの女優を語り手にして“歴史”をひも解くものが散見されます。僕はこの手の作品は嫌いで、担当者が女優さんたちに会いたいだけなのではないかと思っています。←とりあえず僕には“チャラい”としか思えない当初の女優が交代してからは、少しは見る気になりましたけど。

ということで今回のこの作品も、“旅人”を起用することで彩りを添え、作っているスタッフたちのモチベーションが上がったということなのかも。いちおう45分ある時間枠を前後編2回で放送していますから、正味87分ありました。imdbによると92分という上映時間のようですから、クレジットを考えるとカットされた部分はほとんどないと思われます。

そこで“新証言”というものがポイントになります。すでに「アンネ・フランクを忘れない(Anne Frank Remembered)」(1995)というドキュメンタリーがあったわけで、あちらはたまたま結婚式を映したプライベートフィルムに、動くアンネ・フランクの姿が映り込んでいたという“新事実”がありました。今回の“新証言”は、そんな“新しさ”は感じられません。

つまり“異句同言”ということなのです。語っている証言者にとっては、思い出したくない辛い思い出を初めて口にするわけですから、大変な思いだとは推測します。しかし観客としての僕は、すでにいろいろ証言を見聞きしています。それを上回る“新証言”ではないわけです。また、そんなことがあり得ようはずもないと思う。

だからこそ製作者は、若い女性を“旅人”に仕立てて、アンネの墓などを訪ねさせたわけです。そんな作意は、ここで語られる“事実”にそぐわないと僕は思う。結局のところ、貨車に閉じ込められた人々は汚物を垂れ流すだけだったとか、だから“汚物は捨てるしかない、と殺されたのよ”という凄絶な証言がありながら、それらをスマホで撮影する“旅人”の軽薄な雰囲気によって、雲散霧消させてしまう訳です。

ということで、ヘレン・ミレンの朗読の重みくらいしか印象に残りませんでした。証言者の“ネオ・ナチを許さないで”という生々しい言葉は、逆にナチスを悪者にしてそれを許した社会の責任をうやむやにしてしまうと、僕は危惧します。ナチスの台頭によって発展したベンツやクルップという会社の“責任”はどう問うのか? 彼らはいかに“反省”したのか?

ナチス政権下で4社が統一され、そのマークを今なお引き継いでいるアウディという会社もあるわけです。このドキュメンタリーのおかげで、「幸せなひとりぼっち」という映画で“丸四つの車になんか乗るな”とあったのは、“ナチス協力者”への皮肉だったのか、と思い至りました。

もちろん収容所体験者たちの“ナチスを許さない”という気持ちは理解できます。無関係な僕だって、非道な犯罪者に極刑をと感じることはある。しかし、作品の中にそういう生々しい気持ちを無批判的に出していいのか、と問いたいわけです。その言葉をナマで提出することがドキュメンタリストの使命ではない。その気持ちの根源にある“正義”を、歴史的な視点から“支援”するのが使命だと考えるわけです。

ということで、NHKの番組作りと似たような、“女優さんと一緒のお仕事”を実現したことだけが“印象的”な、残念なドキュメンタリーでした。作り手の姿勢というものは、とても大事だと僕は考えます。
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