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2020年09月22日05:50

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このベタベタな恋愛劇、やっぱエエわぁ。5か月前に見た作品を今度はスクリーンで堪能。加藤泰監督「人生劇場 青春篇 愛欲篇 残侠篇」(1972)。

渡哲也追悼勉強会のトリを飾るのは、2時間47分の加藤泰版「人生劇場」でした。渡哲也が演じるのは宮川。僕が初めて見た尾崎士郎原作の「人生劇場」の映画は、1968年の内田吐夢監督「飛車角と吉良常」でした。そのとき宮川を演じたのは高倉健。兄貴分にあたる飛車角(鶴田浩二)の女おとよ(藤純子)を好きになってしまう役です。加藤泰版では飛車角を高橋英樹が演じています。

ウィキペディアには“これまでに14回映画化されている。戦後の作品では1968年版と1972年版が有名”とあります。主催者のマイミクcoolerkingさんが、主な出演者を一覧できる資料を付けてくださったので、比較対照するととても面白い。なにしろ1933年「青春篇」が発表され、以後「愛慾篇」「残侠篇」「風雲篇」「離愁篇」「夢幻篇」「望郷篇」「蕩子篇」と発表された大河シリーズです。14回の映画化にあたって、それぞれどこに重点を置いたか、配役を見ればとてもよく分かります。

僕は“予習”として、内田吐夢監督の1938年版を見てから参加しました。1時間57分ある作品ですが、現存するプリントは49分しかなく、それを見たわけです。この映画化時には「青春編」しか出ていないから、その後映画化されて人気となる「愛慾篇」「残侠篇」はありません。さらに本来の半分以下しかないプリントなので、ほぼ“未見”というべきでしょう。

しかし、幼い青柳瓢吉が三平とケンカし、泣いて帰って来ると父親が叱るとか、青年となった瓢吉に父親が“このタバコはお前のか?”と迫り、“お前が何をしてもかまわんが、そのおびえた目で嘘をつくことが許せん”と叱るあたり、なかなかでした。そして、この「青春篇」で父親の“お前はチョンガレを唸るのか”という字幕(無声映画ですねん)が出て、僕は思わずググってしまいました。

チョンガレとは、江戸時代から続く門づけ芸だそうで、これらが浪曲へと発展したものらしい。今回の「人生劇場 青春篇 愛欲篇 残侠篇」のラストで、臨終の吉良常が一節唸ってみせます。途中に吉良常が瓢吉を待つ間、原稿用紙にそのチョンガレ用の詩を書き留めていました。こういう細かい伏線がすばらしいと思う。

そうそう冒頭で青柳瓢太郎(森繁久彌)が自殺するわけですが、その拳銃に対して吉良常(田宮二郎)が、“たった一発残った弾を込めて”と語るのでした。それは内田吐夢の「青春篇」(1936)で、“撃つとすっきりするだろ。これから毎日1発、撃ってやる”と幼い息子に語る場面を受けているわけです。そして弾の入っていない拳銃を振りかざして、瓢吉(竹脇無我)は吉良常の窮地を救う。

もっと言えば、冒頭の雨の中登場するのは汐路章扮する奈良平でした。しかし、飛車角の家を訪れるのは宮川です。これが、おとよを諭して(騙して?)連れだす奈良平を描いていたと後で分かる。あるいは、瓢吉に“親に会わせてほしい”と頼むお袖(香山美子)が、叶わぬと知って“これでご両親に何かお土産を”と赤いガマ口を差し出します。そのガマ口を、瓢吉の母親(津島恵子)が“ただ一つのプレゼントだもの”と肌身離さず持っている。

こういう細かい描写、ええですねぇ。さすが野村芳太郎、三村晴彦、加藤泰の脚本、という知ったかぶりの褒め言葉なんか、300円で売ったるわ(by行定勲)。加藤泰さんは、その一部始終を知りつくしたうえで映画にしてますねん。香山美子、倍賞美津子という女優さんたちも、それこそ体当たり演技(艶技ですわ)を見せてくれます。あ、任田順好さんのことは、パスね。ここだけ1983年版の森下愛子を、僕の脳内で置き換えて見直しました。

作者の尾崎士郎本人は「青春篇」をもっとも愛したそうですが、やはり「残侠篇」がヤクザ映画を生みだしたわけだし、この作品を見ていると全編が「愛慾篇」の精神で貫かれています。時代が流れようと人々が入れ替わろうと、やはり“愛欲”が人生の中心だと思う。あ、未成年部分は“人生”から省きました。

2時間47分もあるのですが、座席に身を沈めスクリーンと対峙していると、“一瞬”とは言わないけど時間を忘れます。一つ一つのシークェンスの持続力と、その積み重ねによるドラマのうねりが、ラストの4分を超すワンカットへとつながるわけで、このベタベタな愛のドラマは、今後もまた引っ張り出して見ることになりそうです。
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