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2020年06月06日05:14

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この映画は作られた当時からすでに僕には無縁の映画だったと思う。ピター・ブルック監督「テル・ミー・ライズ」(1968)。

まず僕は、演劇というものに関心がありません。かつては唐十郎の状況劇場の芝居を見に行きました。そして「由比正雪」など楽しかった。しかし僕は、現実にそこにいる人間が僕と視線をまじえながら、全く別の人物を演じるという作業についていけないのです。映画の場合はフィルムもしくはそれに類するモノに定着された映像の連続を眺めるわけで、それはそこに固定されています。最近では録画して見る場合が多いから、気になる場面は“巻き戻して見直す”ことが可能です。しかし芝居を見ているときにそれは不可能。

そんな演劇畑で“巨匠”とされているピーター・ブルックが、1968年の完成しながらカンヌ映画祭で上映禁止となり、ほとんど日の目を見なかった映画がデジタルリマスターされて放送されました。畑違いの僕であっても、こういう映画は見ておかないと、というスケベ心で見ましたが、やはり僕には縁のない映画でした。

どういう映画かというと、当時ベトナム戦争に対してさまざまな発言があったわけですが、それを寄せ集めて俳優たちに再現させた(途中記録映像も挿入されますが、今で言うドキュ・ドラマです)作品なのです。まず、グレンダ・ジャクソン以外になじみの顔が出てこないし、彼女にしても“出ているな”という事実以外に何も彼女である必要がない。僕にはその程度の作品でした。

いや、“僕には”という“個人的意見ですからね”という逃げ口上は不要ですね。100分近い内容ですが、僧侶の焼身自殺シーンを除いて、何一つベトナム戦争に迫るものがない。そう言い切って間違いない。この映画でベトナム戦争を語る必要はない。だからことさら“嘘だひょ〜ん”みたいなタイトルをつけて、さまざまな見解を並べたとしても、ベトナム戦争の本質に迫れるわけがないのです。

ちょうど同時期にフランスでは「ベトナムから遠く離れて」というオムニバス映画がありました。ゴタールやレネらが集まって、ベトナム戦争に対する短編を集めて長編にしたわけです。あれも僕は映画として大した意味はなかったと考えています。ときおり“時代に突き動かされて”このような映画を作る人々がいます。それはそれで、中には優れたエッセイに感じられる場合もありますが、基本的に“寄せ集め”であり“ごった煮”です。

僕にとって映画とは、そんなバラエティー番組ではありません。むしろバラエティー番組が持つ独特のアクチュアリティーすらも捨て去ったような、別の“意図”を感じさせる政治性がバカバカしい。政治的な発言をするのは結構ですが、映画として成立させてからにしてほしい。むしろ政治は政治の場で行いなさい。

ということで、この「テル・ミー・ライズ」という虚構の塊は、当時の新聞など文字報道によるアクチュアリティーを捨て去っただけの“セミ・ドキュメンタリー”でしかなかったと僕は思います。投票という機会にだけ政治に関与するのでは不満だという人は、どしどし政治に身を投じなさい。しかし、それと作品制作活動とは次元が違う。混同しないでいただきたい。と、僕は考えています。

僕のように、知りもしないでピーター・ブルックという“有名人”に釣られ、つい映画を見てしまうという発想は、テレビCMに乗せられて映画を見るという愚行と同じ。でも、その“きっかけ”が何であれ、そこに優れた作品があれば観客を動かせます。今回はそんな映画ではなかったということ。ピーター・ブルックというビッグ・ネームを、ビッグ・ネームだからそれだけでありがたがる人のみが評価できる、としか僕には思えません。
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