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2020年06月02日06:44

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“子供騙し”というけど、その実態は“大人騙し”だと再確認。リチャード・フライシャー監督「海底二万哩」(1954)。

ウォルト・ディズニーが初めて手掛けた劇映画だそうです。当時売り出し中のスター、カーク・ダグラスがトップビリングで主演した空想科学映画。原作はジュール・ベルヌの古典です。小学二年生の時に見て、胸をときめかした記憶を再確認するため、カーク・ダグラス追悼の勉強会へ駆けつけました。

物語は1868年12月8日から始まります。12月8日という日付がカーク・ダグラスの誕生日の一日前というのは偶然でしょう。自伝にあったように、家族向けのディズニー映画なのに両手に色っぽいお姉ちゃんを従えて登場します。そのアイデアはカーク・ダグラス自身が発案したそうな。そしてその一人、金髪の女性が「クリムゾン・キモノ」で冒頭殺されるストリッパーを演じていたグロリア・パルだそうです(写真3)。

子供だった僕は、原子力(とは具体的には言いませんが)が何か知らず、ネモ船長が墓場まで持って行く新技術については“マクガフィン”でしかありませんでした。とりあえず原住民の大群が襲ってきたり、ノーチラス号が大イカに襲われたり、ラストはネモ船長の秘密基地が大軍に総攻撃されたりと、スペクタクルな展開が小学生だった僕を魅了した、と記憶していたのですが…。

いや明確に覚えていたのは、アシカのエスメラルダと亀の甲羅で作ったバンジョー程度でした。ディズニーがアニメ技術を駆使した“特撮”も、今見ると児戯です。もっともソフト化にあたっては細かい合成部分のアラは修復したらしく、現在のCGI技術とは雲泥の差とは言え、さほど手ひどくはありません。とはいえ「禁断の惑星」同様、大半が手書きのアニメなのです。

この映画に夢中になった僕を、大人たちは“子供騙しを喜んでいる子供”だと認識していたことでしょう。しかし永遠の13歳の僕は知っています。子供騙しというのは実は、大人が騙されているだけで、子供はその嘘を嘘として受け入れているのだということを。

つまりこの映画でネモ船長たちが酸素吸入器を背負って水中を歩き回る姿が、僕にとっては空気を送る管がないという一大事であり、カーク・ダグラスが必要もないのに泥まみれになって暴れまくるというサービスを眺めながら、泥の付き具合がカットによって微妙に違うあたりにも、グーフという指摘は遠慮しておこうという配慮があったわけです。

少なくともアクアラング(クストーの発明品であり商品名)は、当時最新の技術だったわけで、100年近く前の芝居に登場させる“科学性”が、この空想科学映画を盛り上げていたのだということです。ディズニーは、子供を騙すのは大人を騙すより難しいという事実を知っていて、だから子供に対しては事実で挑み、テキトーな発想で子供に映画を見せる大人たちにたいしては、“大人騙し”で商売していたのだと僕は考えます。

だからこそ、ネモ船長とかアロナクス教授という面倒くさい性格の人物を物語の中心に据え、カーク・ダグラスという女好きで金や財宝に目がない傍役を綿密に描いたのだと思う。冒頭に連れている美女以外にセクシーな色どりは皆無という映画です。ディズニー映画だから当然というのは大人の論理。実は子供は、その不自然さを見抜いています。

そう、ジョセフ・ロージーの「恋」を持ち出すまでもなく、大人の恋を覗き見している子供たちは、恋の実体(行きつく所)は知らなくてもその雰囲気には気づいている。だからこそ、大人用のキーワードだけでは騙されたりしないのです。大人なら“お約束”ですんなり進む話を、子供は見逃さない。そのあたりを認識しない大人たちが、“子供は何も知らんから、子供だましの内容で喜んでいる”と見下していますが、実は子供はそんな大人に不満を持っていたのです(経験者は語る)。

ということで、「海底二万哩」を見てから60年以上経ちました。さすがに年齢を重ねて“目が肥えた”僕には、マットペインティングと実写の境目が気になる。あるいは鋼鉄製(!)のノーチラス号の甲板に電流を流し、原住民たちを撃退するビリビリの手書きSFXには笑ってしまいます。今の僕は、そういう子供騙しを許容していた当時の大人たちの態度が許せないのでした。大人がしっかりせずに“まぁ子供に見せるのならこんなもんでよかろう”という発想が、子供の本心をどれほどそこねていたか、ということです。

ディズニーの漫画映画は、アニメという抽象世界を創出することで、大人たちの“そこまで本気にならんでも”というテキトーな妥協を越えようとしていました。ウォルト・ディズニーが子供たちにディズニーランドを提供したのに対し、日本の大人は横浜と奈良にドリームランドを作ったわけです。この落差を、僕は決して忘れません。←大人になって奈良のドリームランドに行き、至る所にあるペンペン草に絶望した僕は、今回「海底二万哩」を見直して、ディズニーもまた同様だったことに気がついたのでした。しかし、“五十歩百歩”だから、やはり倍違う。この違いは今なお大きいのでした。
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