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2020年04月05日04:08

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三船敏郎生誕100年ということで、スティーブン・オカザキ監督のドキュメンタリー「Mifune: The Last Samurai」(2015)を見ることができました。

マイミクの北京波さんが、日本映画専門チャンネルで三船敏郎特集をやると書いておられたので、あわてて契約しました。そのおかげでこのドキュメンタリーに会うことができました。マイミクさんからのSNS情報は、かつての「映画評論」誌や「映画芸術」誌(50年前の、ですよ)に匹敵する。

日本公開は2018年ですが、2015年9月のベネチア国際映画祭で上映しているようです。だからimdbでは2016年作品としています(アメリカでの劇場公開が2016年11月13日)。日本公開時には、インタビューに応じた加藤武、土屋嘉男、夏木陽介、中島春雄の各氏が鬼籍に入ってしまわれたことに対するテロップが付け足されていました。だからオールシネマ・オンラインでは2018年作品としているのかも。

三船敏郎については、ミクシィの日記に44回名前を書きました。僕にとって「悪い奴ほどよく眠る」で殺されてしまう“エエモン(ヒーロー)”でした。それが「用心棒」で三十郎となって、「椿三十郎」では若侍衆を“テメエらのやることは危なっかしくて見ちゃいられねぇ”と怒鳴り、「天国と地獄」では自分の運命を左右する大金を運転手の息子の身代金に投げ出します。それが「赤ひげ」で、ならず者たちを素手で殴り倒す。にもかかわらず“医者がこんなことをしてはいけない”と吐き出す姿には違和感を覚えたものです。

そんな三船敏郎のイメージが、亡くなった後に石上三登志さんのお話やいろんな本から“素顔”を知って変貌していきました。とくに石上さんが三船プロに出向した初日、三船プロに行くと自ら掃除をしておられたという話は鮮烈でした。このドキュメンタリーには、ほうきを持った三船の写真が出てきます。

そして黒澤久雄と三船史郎という、それぞれ御大の御子息が父親のエピソードを語ります。年代的に父親たちと同世代になっており、風貌が似てきているのを感じ取ることができます。マイケル・ダグラスが年を重ね、“鏡の中に父親の顔を見出しても、違和感はない”と語り、それを聞いたカーク・ダグラスが喜んだという自伝の一節を思い出しました。←そういえば三船敏郎は、カーク・ダグラスより三歳年下だったことになりますね。

先日「三島由紀夫と東大全共闘」というドキュメンタリーを見て、当時を知らない人間の勝手な感想が不愉快なので、記憶から消し去る努力をしています。今回のドキュメンタリーには、それが感じられなくてよかった。土屋嘉男が“三船さんは、とにかく我慢する人だった”と語っているのを聞いて、先日NHKの番組で刀匠が、“才能、才能と簡単に言うけど、それは我慢と努力のことだ”と語っていたことを思い出しました。三船はスタジオに行く前にすべてのセリフを覚えていたそうですから、まさに我慢と努力の人だったのでしょう。

三船史郎の言葉に、“(父は)酒に酔って渋谷でやくざと殴り合ったこともあった”とあり、安藤昇の自伝に“三船を殴った”とあったことを思い出しました。たぶん映画界では会うことがなかったこの二人ですが、もし会っていたら意気投合していたのではないかと想像するだけでも楽しい。←当事者じゃないから無責任な想像が可能です。

てなわけで、テレビ番組まで作ることになった三船敏郎の胸中までは分かりませんが、外国映画に出演した後年の三船の姿には感慨があります。前回伝記を読んだときにも思ったけど、「レッド・サン」を見直してみようかな。まずはポスターがあったはずだから、引っ張り出してみよう。

という具合に、やはり三船敏郎は僕の映画少年時代を育んでくれた存在なのでした。三船美佳さんがテレビ番組で黒部ダムを訪れ、おぼろげな父親への思い出をたどる場面に、僕は映画の中の三船しか知らない自分をダブらせることができたような気になっています。そういう意味で、このドキュメンタリーを見ることができて良かった。今年は、劇映画よりドキュメンタリーの当たり年かもしれないな。

余談ですが、三船の愛車MGのフロントに、フェラーリのようなエンブレムがついているのはなぜ? フェラーリにしては跳ね具合が少し違うような。
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