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2019年11月12日12:28

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リドリー・スコット監督「ブレードランナー ファイナルカット」(1992)を、ルトガー・ハウアー追悼という名目で観賞しました。

「ブレードランナー」はカルト的な人気のせいか、いろんなバージョンのソフトが存在します。今回は「ファイナルカット」バージョンで、2007年に発売されたブルーレイ。公開時には制作会社がエンディングをつけたしていたことから、その後「ディレクターズ・カット」が発売されました。あるいは、若年層にも見られるように“過激な場面”をカットしたバージョンがあったり、さまざまです。

僕はヘリコプターショットが好きなもので、上映前に素材が「ファイナルカット」と知り、製作者が自社の別作品「シャイニング」の未使用映像からつけたしたショットがないのは残念でした。しかし、あらかじめ覚悟して見ていたので、がっかりするどころかエンディングに切れ味を感じました。

何より今回、驚いたのがオープニングのテロップです。なんと“2019年11月”と出ます。おいおい、今月やないの。2001年を迎えたとき、キューブリックが夢想した未来は来なかったなと寂しく感じました。今回は、その寂しさはなく、“新橋のガード下の雰囲気をまねた屋台街などは、探せばまだ東京に残ってるぜ”みたいな雰囲気です。未来が無機質の美しさに囲まれてはいず、集中豪雨で大変な事態になっているわけで、「ブレードランナー」のほうが未来の現実をリアルに認識していたのかも。

で、ハリソン・フォード扮するブレードランナーが、なんともしまらないですね。ルトガー・ハウアー扮するロイにかなうはずがない。そもそも途中、リオンに殺されそうになってショーン・ヤングに助けられてました。その恩を忘れないというのなら、ロイに対しても恩義を感じろよ、と思う。なんせまだ当時のハン・ソロは賞金稼ぎの悪者でしたから(今は改変されてます)、このハリソン・フォードは当時としては整合性に満ちていたのかも。

それと僕が楽しみにしていたジョアンナ・キャシディが、いまいちでした。ダリル・ハンナは目のふちを黒く塗っていて、本来の魅力がないままだと思っていたらそのとおりでしたが、ジョアンナ・キャシディには当時入れ込んでいましたからね。この程度じゃ、我慢なりません。

なんでもショーン・ヤングが来日しているそうですね。僕なんか彼女に興味ないから、「サタデーナイト・ライブ」のギャグしか覚えていません。高校生が家で乱痴気パーティーをしていて、家人が出ていけと命じてもそ知らぬ顔。警察を呼ぶぞと言っても動きません。ところが“ショーン・ヤングが来たぞ!”と叫んだら、全員蜘蛛の子を散らすように消え去る、というギャグです。その基になった事件を覚えていませんが、みんなショーン・ヤングを見かけたら逃げなはれや。

で映画「ブレードランナー」について思ったことは、まずプロダクション・デザインの勝利だということ。そしてバンゲリスの音楽と、説明を出来る限り省いた語り口がいいですね。セットの奥から光を当てて、独特の味わいを見せるリドリー・スコット調の画面もいい。しかし今回、けっこうアップが多いのが気になりました。僕の印象では、マカロニ西部劇のテクニスコープ画面みたいで苦しい。

とはいえ、ここまで人気になったら、誰が何を言おうと“作った者の勝ち”でしょう。僕も異存はありません。
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