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2019年10月21日05:37

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ミュージシャンは“音楽で語る”。やはり、こうでなくちゃ。東京都高校公開講座「日本フォーク史 なぎらけんいち編」。

昨年から都の公開講座をお手伝いしていますが、2年目も終盤に差し掛かりました。今回はなぎら健壱編です。なんと、ご本人が特別参加してくださいました。そして、URCレコードなどの、いわゆる日本フォーク界の動きを詳しく語ってくださったわけです。

やはり、こういう事実は、当事者から聞くのがいちばんです。今回僕は、前振りをお手伝いして、戦後の日本でアメリカのポップ・ミュージックが受け入れられた状況をおさらいし、なぎらさんにバトンタッチ。それを受けて、アート音楽出版やURCレコード、そして1971年の中津川フォークジャンボリーの様子など、生々しく語ってくださいました。

僕がレコード会社に就職する前の話ですから、入社後いろいろ聴いていましたが、アーティストご本人から直接語られると“生々しさ”が違います。黒板に次々と書き込まれる固有名詞が、文字としての知識を越えて響きます。これが“本人”からの“生証言”の重みだとつくづく感じました。

僕は、中津川フォークジャンボリーに行ったことがありません。いろいろ先輩たちから聞いてはいましたが、1971年の夏に行われ、2万人収容のメインステージで行われた観客たちの“反商業主義”的なシュプレヒコールの説明に対しては、あのころの“跳ね上がりたい気持ち”の、苦々しい体験が甦りました。

あのころ友人たちと話しだすと、“何かせんとあかんな”となったわけですが、具体的な方策となると見当がつかない。さりとて過激派に身を投じる“勇気”もない。そんな宙ぶらりんな自分が、なぎらさんの解説を聴くうちにまざまざと甦ったわけです。蒼くなって尻込みはしたけど、逃げはしなかったしその必要もなかった僕は、結局ボーっと生きてきたのです。

でもこの50年間、人生を眠り通したわけではありません。それなりに生きていました。でも、と言うか、だらこそなのか、なぎらさんが、軽くおっしゃった言葉が重く突き刺さります。“あの頃、ああいう歌を歌うという気持ちは、今は誰もいないですね”。今年は特に、1969年から半世紀という事実を思い出させる映画やドキュメンタリーに数多く接し、半世紀前の自分と向き合う機会がいろいろありました。

だからどうした?と言われれば、結局またボーっと生き続けるだけなのですが、あのころ夢中になっていた気持ちを懐かしく振り返るだけでは面白くないとは思います。物事、勝ち負けではありませんが、もう少し満足感が欲しい。中津川で2万人の観客がメインステージで、歌を“商売”にしている歌手に対して“帰れ!”コールをした事実は、すでに71年だっただけに無念な気持ちでいっぱいです。さらに翌年の春一番コンサートにも、似た連中がいたなぁ。“敵を見間違える愚かさ”だけで片づけられない“無念”さがこみ上げます。

写真は講義するなぎらさん。最後にカーターファミリー・ピッキングの実演もしてくださいました。この実演の説得力! まさに百聞は一見にしかず、ですね。
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