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2019年10月15日03:38

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“子供だまし”と言うけど、実は子供は簡単にはだまされないのです。芹川有吾監督「わんぱく王子の大蛇退治」(1963)。

東映アニメで、1963年公開です。僕は公開当時高校生になっていましたから、ディズニー・アニメでさえ「101匹わんちゃん大行進」(1960)で見限っていました。あの輪郭の線がゴニョゴニョ動くのが気になって内容どころじゃなかったのです。そんな僕が、わざわざ今ごろこの作品を見たのは、当時から一部での評価が耳に届いていたから。

つまり「少年猿飛佐助」とは違い、画像がすっきりとデフォルメされていて色彩感覚も“新しい”と聞いていたわけです。とはいえ、わざわざ劇場へは行きません。“お子様ランチ”は中学生になるちょっと前から食べなくなっていたもの。←それでも“遅い”?(笑)

よく“子供だまし”という表現がありますが、映画における僕の体験では、子供の方こそだまされない、という自負があります。だまされるのは連れて行く大人だけ。というか、大人は子供の感覚を軽く見ていると思うのです。僕はそれが大嫌いでした。

たしかに子供は、しょーもないギャグに喜んだりしているように見えます。でも僕は、そういう簡単に喜ぶ子供を、大人が“子供だなあ”と認識して安心しているのを先取りして、大人を喜ばせているだけではないのか、と考えています。そんな大人びた子どもがいるものか、とおっしゃる大人は、期待される子供像を従順に体現なさって来た“理想的な子供”だったのですよ。

子供は、基本的に大人が喜ぶことをします。とりわけ親には認めてほしいから、親に媚びる。もちろんべたべたと媚びるだけが子供ではありません。あくまでも自分の希望を通すための策略ですから、嫌われないように媚びます。それを大人たちは、“子供らしい”と喜ぶ大人たちのなんと多いことよ(by森田美由紀)。

で、この「わんぱく王子の大蛇退治」ですが、たしかに色調は鮮やかで、さらにキャラクターのアニメ感がとてもいい。でも、そこで終わってしまっていました。子供のころに見ていたら、“子供なんだからこれで喜んでいなくては”と従順に喜んだかもしれません。しかし僕はそんな心を持たない“永遠の13歳”なのです。

何が面白くないかと言うと、まずスサノオ少年をとりまく動物たちのキャラクーです。虎は悪者でウサギは親友、という単純すぎる割り切りが色彩の面白さを殺している。せっかく「ドルーピー」に近い洒脱な主人公を造型しながら、テンポが「猿飛佐助」では進歩がなさすぎると思う訳です。そのあたりの欠点をあらためた「太陽の王子 ホルスの大冒険」を先に見てしまったのが間違いと言えば間違いですけどね。

もっと言えば、ヤマタノオロチが8匹の竜にしか見えないクライマックスは、勘弁してくださいということです。ひとつひとつの頭をカウントダウンでやっつけていく方式はいいとしても、全体像が見えないという造形はいかがなものか。もし8個の頭があれだけ分離していたら、いかなるわんぱく王子でもひとたまりもないでしょ。

しかし公開順に見ていたとしても、僕の印象は変わらないと思います。つまり、すでにそのころワーナー漫画や「トムとジェリー」でテックス・エイヴェリー作品に接していたし、ウォード・キンボールの作品にも「ディズニーランド」というプロレスと隔週で放送していた番組で知っていましたから。

ま、たまたま一流の寿司店に出入りしていた坊やが、回転寿司を“お寿司だよ”と言われても納得できなくて当然でしょう。アニメに関しては、テレビ番組の途中に出てくる“動く文字の広告”にまで魅入っていた僕ですから、“子供だまし”では我慢できんのです。←ON砲のバッティングを見せられて、年間22本で本塁打王になった人間のいるチームを応援していた辛さを分かってください。

そんな日本が、ジャパニメーションとか言われてアニメ王国だそうです。そこまで受けた理由はいろいろありますが、やはり“子供だまし”ではいけない、と思った大人たちの“本気”が、レベルを上げてきたと考えます。子供が大人の気をひくためにやっているのか、本気でいいと感じているのか、その違いも分からないで映画を作っている大人たちよ、反省してくださいね。
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