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2019年07月23日05:24

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“報道”の“お笑い化”はやめてもらえないものでしょうか? 吉本興業をめぐるテレビ会見を見て思う。

あまり熱心に今回の出来事を追っていなかったのですが、先日フジテレビの「ワイドナショー」にダウンタウンの松本氏が出て生放送するというので見ました。事件の顛末について言いたいことは僕にはありません。僕が気になったのは、こういう“報道”が“お笑い化”しているという部分への疑問です。

まず冒頭、松本氏があるていど印象を語ったところで、“うちの浜田が”というギャグを披露して茶化しました。僕はこういう茶化しが嫌いです。問題点をごまかすように思えてならない。かつて郵政民営化が行われたころ、追求する記者たちの発言に対し、“あなたがたは改革を止めるんですか”という首相の反論でニュース画面を終えたNHKの番組作りに不満を覚えたことを思い出しました。←問題の内容ではなく、個人的に不満を感じたことが一緒だというだけですが。

僕はテレビなどの報道に対して、エド・マローという具体的な理想像を持っています。エド・マローを知らない方は、ぜひ「グッドナイト&グッドラック」(2005)という映画をご覧ください。理想と現実は違うという意見については別の場所でお話ししたいと思います。今回は、「ワイドナショー」と、昨日の「岡本社長会見」の中継に、“報道”という姿勢が感じられなかったことについて書きたいだけです。

その前に、友人の新聞記者から以前聞いた話ですが、“記者会見を行います”と当事者が言うのはおかしい、ということです。記者会見は記者クラブが呼びかけて行うもので、当事者が記者会見を行うものではない、というのです。そう言えば今回テレビは、宮迫氏と亮氏が会見を行い、と言っていますし、“岡本社長会見”と言ってました。僕が勝手に“記者会見”だと思っていただけでしょう。

それはともかく、松本氏があれだけ重要な発言を生放送でしていながら、終盤に“話し合いで解決できなければ当事者が乳首相撲で決着をつければいい。世の中の物事はほとんどそれで解決する”という発言をした部分に、僕は違和感を覚えました。司会の東野氏が松本氏の“ギャグ”に失笑していたけど、それだけでいいのか?と思います。

僕は以前から、マイケル・ムーアのドキュメンタリーに不満を述べていました。世の中の問題点にかなり迫りながらムーア自身の個人的主張として垂れ流すから、にわかには信じられない印象なのです。今回の松本氏の発言に、それと同質の違和感を覚えました。

つまり岡本社長は、“お前ら、テープ回してへんやろな”という発言を、“冗談で言ったのに受けなかった”と回答して収束を図っています。僕はこの方向性を、松本氏のギャグから(吉本側が)思いついたように感じました。しかし、それは通じません。もし岡本氏が記者から質問を受ける前に、“テープ云々の発言は私の下手なジョークでした。すみません”と発言していたら、まだ信用したと思います。でもそうではない。

ようするに岡本氏の発言の中にあった、“在京5局、在阪5局は吉本の株主だから大丈夫”という発言を、小林本部長の“生放送の事務的連絡具合”にすり替えている(僕にはそう思えるだけですが)わけで、松本氏のお約束ギャグのような切れ味もなく、実に歯切れの悪い言い逃れでしかなかったからです。

そのギャグの質の善し悪しが問題なのではなく、報道だと思っていたテレビ番組が“お笑い”だったことに僕は気づいて愕然としたわけです。そして僕は、会見の質疑応答に際して、フリーの記者たちが矢継ぎ早に質問した後、似たような質問を主要テレビ局が立場と名前を明瞭に発言して繰り返すという状態を見て、“これは編集して、いかにも自分たちがまっとうな質問をして言質を引き出した”と見せかける手法だと直感したのです。

折しも参議院選挙では、れいわ新撰組が2議席を獲得しました。これをネットのニュースが“左翼ポピュリズム”と揶揄しています。あるいは体の不自由な当選者に対し、反対意見を書き込んでいる人間が、“国会の設備を変えるなど余計な費用がかかる”と述べている。この書き込みが内閣官房室が行っているかどうかは知りませんが、国会が障害ある人に対して不親切なつくりだという問題点を無視し、“無駄な費用がかかる”と否定する書き込みこそ、唾棄すべきポピュリズムだと僕は思うのです。

もちろん、ここ20~30年の間、お笑い芸人の方々がテレビ番組を支え、我々の興味を満足させてくれました。硬直した評論家や政府の代弁者にはない、新鮮な切り口を見せてくれました。それ自体がポピュリズムであり、だから現在ポピュリズムが蔓延しているわけです。そうさせた我々の責任を反省しなければならないと思うしだいです。

今僕は映画「新聞記者」の原作になったという東京新聞の望月記者の新書を読み始めました。そこに“団塊の世代のころには一致団結して戦うという流れがあった”みたいな記述があり、僕は落胆しました。あのころは決して“一致団結して闘って”いたのではないと自覚しているからです。いろんな意見や考えを持った連中が、それぞれの立場から意見を交換し合っていたわけで、それを一致団結と一面的にしかとらえない“現在の若者”の認識の浅さに、僕は落胆してしまったのです。

ことほど左様に“運動原理”というものが衰退したのでしよう。僕が大学へ入ったころ、物事の考え方そのものを教えてくれた先輩のオルガナイザーはも全く存在しないのでしょう。僕も2回生になったら新入生に対して知っていることは教え、考えることを促すくらいはできました。そんな“運動”は現在望むべくもないのでしょう。

とはいえ、報道らしく見せたお笑いなんか、僕には不要です。同時に、岡本社長の会見をSNSで皮肉るしかない多くの芸人さんたちが哀れです。ダウンタウンの松本氏は、ギャグをかます前に、“松本、動きます”と言う前に動いてほしい。だって吉本興業内部の問題なのですから、それを報道みたいに扱うのはおかしいと僕は思うのです。
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