mixiユーザー(id:6327611)

2019年01月20日05:45

205 view

わが映画人生、3度の転機を思い返しました。ヤフー掲示板終了前に20年来の仲間との再会について。

僕の映画人生(というか今にして思えば僕の人生には映画しかない)において、大きな転機が3回ありました。時代順に言うと、まず1965年8月高校三年生の時、大阪まで行って雑誌「映画の友」の愛読者たちで作る会合に出席したこと。次は1999年、ヤフー掲示板の映画板に加わったこと。そして2010年、ピンク映画の池島監督と知り合い、池島作品を追い続ける仲間と出会えたことです。

大阪“「映画の友」友の会”は、毎月第一日曜日に前月大阪で封切った映画について語るという会でした。たまたま1965年8月は、「サウンド・オブ・ミュージック」で大盛り上がり。先輩たちの映画に対する愛情が伝わり、それ以後今まで50年以上、おつきあいしています。

加わって何回目かに、亡くなった西村五郎さんから、こんな言葉を投げかけられたのを明確に覚えています。“お前、俳優とかについて詳しいらしいけど、R・G・アームストロングって知ってるか?”。僕はその3年ほど前から「映画の友」を毎月購入していましたが、そんな名前を読んだ覚えがありません。すると五郎氏は続けて、“ルーク・アスキューは? L・Q・ジョーンズとか、ストローサー・マーティンは?”とたたみかけてきました。

僕は小学校2年生のころから映画をよく見始め、2週に一度は映画館へ通っていました。そして「映画の友」を読み、主演俳優の名前と監督の名前だけはほとんど覚えていたのですが、五郎氏の挙げた名前には全く覚えがありません。別の機会に五郎氏は、“「真昼の決闘」で、駅で待っている3人の名前、全部言えるか?”とも言いました。

そんな、「映画の友」という“専門誌”にも明確に載っていない名前を語り合う先輩たちは、僕にとって“神”でした。同時に“なにくそ”と思ったのも事実。それを「傍役グラフィティ」という本に参加したとき、なんとか克服できたと感じたものです。

そしてヤフー掲示板でした。ハンドル名を用いて書きこみ合う掲示板ですが、その映画板にはすばらしい出会いがありました。そこでは他の板で“荒れている”と言われた状況がほとんどない。というか、荒れかけたら良識ある参加者たちによって、荒れさせようとする書き込みに立ち向かっていたのです。

そして荒れるよりも何よりも、詳しい書き込みに驚愕しました。そのころはプロのライターとしてある程度の稼ぎもあった僕ですが、そういう仕事では得られない映画好きの集まりという魅力がありました。西村五郎氏のような傍役に対する知識と愛情が、多角的に展開していたと言ってもいい。←大谷翔平の言葉を借りるなら、“いくらお金を払っても体感したい知識量(その質と情熱ですね)”だということ。

その代表的なトピックのひとつ「こんな映画にこんな人が」で知り合った人たちが、ヤフー掲示板が終了するということからオフ会を開くということで、駆けつけました。最近はFBなどで言葉を交わしているので、毎日あっている気がする人もいるし、ヤフー掲示板のときに言葉を交わしただけ、久しぶりの再会という方もいます。

急展開でオフ会に至ったため、参加できなかった方も多い。でも、この絆は堅いと実感しました。映画の友の会が半世紀後の今でも友達ですから、時間が許せばこちらも同じです。だからピンク映画の仲間たちのPK会も、時間が許せば同じだけ続くでしょう(みんなで二百歳まで生きたい!)。そのためには、それぞれがいつまでも映画を愛し、それによって何がしかの進歩(変化)をとげていく必要があるわけで、退いたら“おわり”だとつくづく思います。

人は、いくつ何十歳になっても、勉強であり進歩するしかないと、つくづく実感した一日でした。これからもよろしくお願いします。写真2は「映画の友」の1965年8月号。この豪が発売されたあとに“例会”に参加したことになります。そういえば、ナマのクラウディア・カルデイナーレと万博映画祭(フェスティバルホール)で接近遭遇したっけ。
3 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年01月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031