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2017年09月14日09:38

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ハナ肇とクレージーキャッツについて、私が新たに知った2〜3の事柄。

BSジャパンで放送した「武田鉄矢の昭和は輝いていた」という番組で、ハナ肇とクレージーキャッツの特集をやっていました。なんとCMを抜いても2時間14分という長尺(抜くな? いや、そりゃ抜きまっせ)。ゲストはただ一人ご健在の犬塚弘さんでした。

冒頭、“いぬづか・ひろむさんです”と紹介したので、まずびっくり。僕は今の今まで“いぬづか・ひろし”だと思っていました。そしたら犬塚さん曰く、“本名はひろむですが、最初のころ紹介する人がひろしと読んでしまい、めんどうなのでそのままにした”とのことです。そう言えば、“国民的俳優”(好きじゃないな、この言い方←なら使うな、ってね)の渥美清が、“本当は渥美清太郎という名前だったけど、誤植されちゃってそれっきりそのまま”と語っていました。

ハナ肇とクレージーキャッツは、7人組ですが、ハナ肇、植木等、谷啓、安田伸、石橋エータロー、桜井センリの6人は既にお亡くなりになっています。昔から不思議だったのは、ピアノが2人いること。これについては石橋エータローが病気になって桜井センリにピアノを頼んだ後、石橋が復帰したからといって辞めてもらうわけにはいかない、ということだったそうです。戦後のどさくさの、食うや食わずの時代を共に暮らした人たちの“人情”というやつだと感じました。

高校生のころ同級生のM君がスイング・ジャーナル誌を見せてくれて、日本のジャズメンの人気投票で、サックスで安田伸、トロンボーンで谷啓が1位でした。だからクレージーキャッツがジャズメンとして一流だったことは当時から知っています。実際に「シャボン玉ホリデー」などで演奏を耳にすることがありましたし、なにより「大人の漫画」のテーマ曲が楽しかった。

僕がクレージーキャッツを知ったのは、兄が「シャボン玉ホリデー」の忠臣蔵パロディー編を見て“面白い”と騒いでいたから。なんでもその回は歌が一切なく、ギャグ・コントの連発だったそうです。青島幸男も登場し、“台本書いてるより面白い”と、のたまっていたそうな。残念ながらそれ以後、歌なしの回はなかったと思います。

その「シャボン玉ホリデー」のクロージングが印象的でした。ザ・ピーナッツが“スターダスト”を歌っているところへハナ肇がやってきて、コメントを言うわけです。たとえば“もうすぐ東京オリンピックです”なんてね。そして“でもピーナッツは残念だったね。だって相撲が競技の中にないから”と言うと、ピーナッツが左右からハナ肇の腹に肘鉄をくらわす、というものでした。

この特集で興味深かったのは、クレージーキャッツ結成十周年という1965年のステージの模様がかなり収録されていること。当時、「映画評論」誌で中原弓彦(小林信彦)が、“クレージーキャッツでいちばん面白いのが舞台、そしてテレビで、映画がいちばん面白くない”と述べていました。その舞台を見るなんて、奈良に住んでいた僕にはありえなかったわけです。テレビ中継があったのに見逃していた!

当時のテレビの映像は、テレビ画面を16ミリフィルムで撮影したキネコというものです。だから走査線のアラが見えるし、どうも今どきの高画質にはそぐわない。しかし見ていると、その絶妙な間とか、いろいろ面白いわけです。犬塚さんが言うには、“楽譜にギャグを書き込んでいた”そうです。さすが音楽家ですね。

谷啓の表記が最初“谷敬”だったということも今回知りました。どっかで聞いたような気がするけど忘れていたのかデジャヴなのか。考えてみたら、クレージーキャッツの映画はたくさん作られていますが、最初のころの作品は後年テレビで見ただけでした。「大冒険」は見に行ったけど、植木等が007をやってもねぇ。マカロニ西部劇が嫌いな僕には向きません。

とはいえ、クレージーキャッツという存在は、やはり圧倒的でした。ベルウッドのころ、大滝詠一さんがクレージーキャッツが好きだと聞き、親しみを持ったもののお話しする機会なし。そして懐メロとしてCDがいろいろ出ましたが、それを買うには至らなかった。でも、「大人の漫画」のインパクトや、「シャボン玉ホリデー」のギャグの楽しさからは大きな影響を受けました。だから参議院議員に青島幸男が、宮田輝に次ぐ得票数で当選したときには喜んだし、その後の活躍にも期待していたんですけどね。

ということで、“あの時代”の証言として、とても貴重な2時間14分でした。←だから3時間枠だってば。
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