mixiユーザー(id:63255256)

2021年07月23日02:41

9 view

アンチテーゼを勘違いしていた90年代の愚かな表現者たち

オリンピックのクリエイターチームで、今度は解任ですか。またも「90年代の表現行為」が問題にされてのこと。「あの時代は、ああいう表現が許されていた」わけではないことを、同時代の表現者として、言っておきたいですね。

ジョージ・オーウェルの「1984年」のような、アンチテーゼ小説というものがあります。戦後の日本で、こういう小説をやるようになったのは、ようやく80年代の後半ごろ。とはいえ、一部の作家と研究者のあいだで、やっていただけのもの。

アンチテーゼ小説とは、「世の中で、正しいと思われていて、すっかり定着した常識の中にも、間違ったものがある」と指摘するものです。しかし、意味を理解してない人たちには、「常識に対してケチをつけた」とか、「常識をあげつらって、あざわらっている」などと誤解されていました。すると、90年代になって、同様の誤解をしたまま「常識にケチをつけるのがハイレベルな表現なのだ」と勘違いした表現者が出てきたのです。

本物と、勘違いとで、どう違うのか、「殺人」という主題で比較してみましょう。かつては「人類という動物には闘争本能がある」の理解が「常識」でした。「殺人は人間のさがである」とまで言っていました。しかし「人間の闘争本能」は疑問視されるようになったのです。アンチテーゼ小説が、この問題に取り組んで「殺人の話」を書く場合、「殺人は悪」の常識を否定しているのではなく、「人間の持つ闘争本能によって、人は人を殺すのだ」という常識の否定です。実際、今では「闘争本能」の理解は、ほぼ否定されていますね。かつての「常識」は間違っていたんです。いまだに「闘争本能」とか言う人がいたら、20世紀の常識が刷り込まれたまま、アップデートしてないんでしょうね。これに対して、勘違いの表現では、「殺人がいけないなんて誰が決めたのか。本当は、いいことかもしれない」と、うそぶくんです。本気でそう思っているかは、別として。

だから、今回「問題にされた」ような、お粗末な表現を、平気でやってたんですよ。

本物のアンチテーゼであっても、無理解者から批判を受けていたのですから、彼らの勘違い表現は、もっと激しく批判され、嫌悪されていました。その結果、大手メディアは「自主規制」を強めるようになって、本物のアンチテーゼができなくされてしまったんです。それによって「彼らの勘違い表現」が「独り勝ち」したかと言えば、そんなことはないわけで、彼らのほうでも廃れているじゃないですか。本物を巻き添えにした上で。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する