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2020年01月20日00:57

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封建君主は専制君主ではない

○時代劇の『大岡越前』や『遠山の金さん』では、町奉行が被告人を前にして、何かと尋問をしたあと、判決を言い渡して終わります。しかし実際は、そういうわけにはいかないんです。町奉行所が「判決文」を作成しますと、まずは老中評定所に提出して、裁定を受ける必要があるんです。そのとき「判決破棄」や「差し戻し」になるケースもあるんですよ?「裁定がおりた」場合は、将軍または大老の「承認」を受けますが、ここで「差し戻し」があって、老中評定所の再審理になることもあります。新井白石の自叙伝『折たく柴の記』に、将軍が「差し戻し」を命じた事例が書かれています。こうして「承認」を受けた判決文が、はじめて被告人に宣告されるんです。現代の裁判なら、判決がおりてからの控訴ですけども、江戸時代では判決の前に「上級裁」の結審が必要なんです。だから町奉行が、尋問の場で判決を言い渡して「一件落着」は、フィクションだってことね。

○ここで重要になるのが「将軍は承認するだけ」ということ。『折たく柴の記』の中で、将軍の家宣は「老中評定所の出した判決を破棄して、自ら判決を下すこと」をしていません。あくまで「再審理せよ」と「差し戻し」を命じているだけです。常にそうです。しかし老中評定所のほうは「町奉行所の判決を破棄して、評定所が新たな判決を下すこと」をしています。江戸時代後期の幕府の裁判判例集『科条類典』には、老中評定所が「奉行所と違う判決を下した」例と、「奉行所に再審理を命じた」例の両方が載っています。つまり「江戸時代の高裁」は、現代の高裁と同様に「判決破棄」と「差し戻し」をしますが、「江戸時代の最高裁」は「差し戻し」しか、しないってことです。なぜならば、将軍は「承認するか、しないか」の判断をするのであって、審理をする「権限」は持たないから。

●永禄十三年正月二十三日「信長の条書/日乗上人・明智十兵衛宛」一〜二
「一、諸国へ以御内書被仰出子細有之者、信長に被仰聞、書状を可添申事」
「一、御下知之儀、皆以有御棄破、其上被成御思案、可被相定事」

○さて。問題の「五箇条の条書」ですね。二では、義昭の「御下知」を「みな御棄破あるをもって」と書いています。「義昭の出した命令を、すべて破棄しましょう」という信長の主張。これによって「義昭の命令権を信長が奪ってしまったのだ」と解釈されていますけど、そもそも「どうして義昭が命令を出しているのか?」という点に、歴史学者は誰も疑問を抱かないんですか?「権限」という言葉の意味は「制限された範囲の権力」です。もしも制限されていないなら、それは「絶対権力」です。義昭が「足利王国」のレグナントで、信長がリューテナントならば、「義昭の意向を受けて、信長が命令を発する」または「信長の出す命令を、義昭の承認で発効する」のが正しい形態。なのに「義昭が命令を出している」という不思議。それとも「室町幕府の将軍」は、絶対権力を持つ専制君主?

○だったら「中世の日本」は「封建社会ではない」ってことじゃんか。何をデタラメ言ってんだかなあ。信長は、続きの文章に「破棄したうえで、御思案なさって、定めましょう」と書いています。この意味は「おまえが命令を考えるな。俺が考える」ではないですね?「被成御思案」の敬語表現を「信長が思案する」とドアホに読むんじゃない限り、「御思案なさる」のは義昭です。つまり「義昭様の御意向は、承りますから、ちゃんと真剣に考えてくださいよ」と言っているんです。

○加えて「条書の一」は「諸国へ御内書を以て仰せ出ださるる子細これあらば、信長に仰せ聞かせられ、書状を添え申すべきこと」と書いています。義昭が手紙を出すことを「禁止している」のではなくて、「手紙を送って、伝えたいことがあるなら、私に聞かせてくださいよ。私が添え状を書きますから」と言っているわけです。この二つの条文で「信長が言っていること」は、「御命令を出したいのなら、まず私に言ってください。私の知らないところで、勝手に命令を出さないでください」です。要するに、信長に「執政権を任せ」ておきながら、信長を無視して「勝手に命令を出していた」のは、義昭のほうだってことですよ?

○このことが「理解できない」というならば、それは「封建制度というものが理解できていない」ってことです。封建君主と専制君主の「区別もつかない」ってことです。フィクションの時代劇の「架空世界」で、歴史学をやっているわけなの?

●六月十二日「明智光秀の土橋平尉宛」前文
「如仰未申通候処に、上意馳走被申付而示給、快然候。然而、御入洛事、即御請申上候。被得其意、御馳走肝要候事」

○「光秀の原本手紙」土橋宛で、光秀が「上意」と書いたことに、実は「問題があった」わけなんですね。これが「義昭の出した命令」を指すならば、またも義昭は「勝手な命令を出している」わけなんでしょうか?「鞆幕府」は「毛利家によって支えられている」わけですが、この時期の義昭は、自分の「ちっぽけな王国」の中で、自ら「執政権を持って」いて、輝元には権限を与えてなかったの?

○さてさて。放送開始の遅れた大河ドラマ『麒麟がくる』ですが、無事にスタートしたようですね。けれども、フィクションの時代劇ですから、君主制とか封建制とか、どうせ真剣には考えてないんでしょうよ。せっかく明智光秀を主人公にして、わざわざ「本能寺の変」をやることになるってのに、相変わらずの「架空世界」をやるだけでしょう。要は「専制君主にしちゃった中世」という嘘の世界。
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