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2021年03月30日21:11

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新羅の歴史 

変遷
建国 紀元前57年
仏教伝来 530年
真興王の領土拡大 551年 - 585年
半島統一 676年
後三国時代の始まり 892年
滅亡 935年12月1日


 後三国

甄萱は尚州の農民出身で、西南海で軍功をたてて頭角をあらわした。完山(今の全州)を本拠にして、892年に挙兵、武珍州(今の光州)を襲撃し独立した。さらに周辺の豪族達を糾合し勢力を拡大し、900年に「後百済王」を名乗って南西部に「後百済」を建てた。

弓裔は新羅王族の出身で、891年に挙兵して新羅に反旗を翻し、梁吉の元で江原道など各地で軍功をあげる。898年に松嶽(後の開城)に都をおいて北部一帯に「高句麗」(後高句麗)を建国、901年には梁吉を倒して自らを王と称し、独自の年号や官制を定めた。後高句麗は904年に「摩震」、911年に「泰封」と国号を改めている。

こうして、新羅・後百済・泰封の三国が鼎立することとなったが、弓裔の下にいた松嶽の商人出身で水軍の将であった王建は、そのもとで武勲を建て、918年に弓裔を滅ぼし、開城を都にして新たな「高麗」を建国、自らを王(太祖)と称した。王建は、地方豪族をまとめ上げて地力を蓄え、935年に新羅を併合、936年に後百済を滅ぼし、高麗は半島を再統一する。

  Wikipedia
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