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2015年09月20日09:00

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メスクリンの地図を考える

 mixi某所での会話がきっかけで、ハル・クレメントの『重力の使命』を再読した。
 ハードSFの古典的名作だからストーリーは詳しく述べるまでもないだろう。要約すれば、高速で自転するため目玉焼きのように平たい形をした惑星メスクリンを赤道から南極まで旅する物語ということになる。
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            これは初期のダブルディ版 メスクリンの形はかなり正確だ。

 回転の遠心力により表面重力が赤道上の3Gから極地の665Gまで変化するのがこの世界の最大の特徴であり、物語が進むにつれて舞台の重力も変化していくことが、他の作品にない独特の魅力となっている。

 なっているわけだが、本書は有名なわりにあまり読まれていないような気がする。クレメントは小説が下手という評判があるが、そのせいだろうか。
 実際今回読み返してみても、開巻しばらくはテンポがのろくてかなり読みづらい感じだった。しかし南極への旅が始まってからはどんどん物語に引き込まれていき、一気に読んでしまった。やはり名作だと思った。
 それにしても全20章で300ページほどの長編なのに、旅が始まるのが第6章、90ページを過ぎてからというのでは、現代の読者には合わないかもしれない。最初のうちもたつくのは、物語が動き出す前に科学的背景を一通り説明してしまおうとするからだろう。舞台設定が異常きわまるので説明しなければならない事柄も膨大だ。最初の5章を費やすのもやむをえないかもしれない。

 クラークならこの設定をもっとうまく説明しそうな気もするが、今の自分はストーリーより背景の惑星の方に興味が向いているので(最初からそうだったという説もある)、この愚直なスタイルがむしろ好ましく思われる。ハードSFだから当然だが、読者に科学知識があればあるほど面白く読める。それも天体力学から化学、気象まで非常に広範囲な知識を要求されるので、クレメントの説明が十分とは言い難いことも相まって、SF初心者には本当の面白さを感じ取るのは難しいだろう。科学の勉強をしながら年に一度くらい読み返すというのが、一番理想的な読み方かもしれない。
 自分の場合も、初読の時は設定を完全に理解できる知識はなかったと思う(今も怪しい)。当時は良く判らずに読み飛ばした箇所も多かったが、今では細かいシチュエーションの背後に隠されている科学的背景を読み解くのが楽しい。文学的含蓄とは無縁のレベルで、噛めば噛むほど味が出るスルメのような本である。

 さて本題に入る。今回特に注意して読んだのがメスクリンの地理だった。もともとクレメントが、まずメスクリンの模型を作ってその上に地図を書き、地図にしたがってストーリーを展開したと語っているくらいなので、それなら描写から逆算してメスクリンの地図を作れるはずである。この「メスクリンの地図作り」はぜひやってみたかった。
(クレメントの作った模型は残っているのだろうか? ぜひ見てみたいものだが)

 そこで思い出した。メスクリンの地図を発表した人が既にいる。「宇宙船」第5号(1981年冬)に掲載された久保宗雄氏の連載「ファンタスティック・マップス」第3回は「メスクリンを描く」なのである。せっかくの機会なのでぜひ実見したいと思い、なんとか入手に成功した。
 先人のこのような試み自体には勇気づけられたのだが、しかし実際の「メスクリンの地図」は、非常な不満を禁じ得ないものだった。
 久保氏の地図の確認はわずか一ミリ秒で完了する。では「宇宙船」5号72頁をもう一度見てみよう。
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 一見してわかるのは、この地図は本来なら成立しないことである。物語はメスクリンの赤道上から始まって、南極で終わる。この地図には赤道と南極が同時に書かれていて、しかも赤道を直線に描いているが、こんな図法は存在しない。
 赤道が直線になる技法で代表的なのはメルカトル図法だが、メルカトル図法では両極を描けない。しかもメスクリンは球形ですらない。極端に平たい回転楕円体である。こういう天体を表すために作られた図法は当然、既存の地図の中にはないだろう。
 久保氏もこれには困ったようだ。「いったい、どうすれば正確なメスクリンの地図が描けるのでしょうか? 今回描いた地図というのは(略)駅前の街頭にみられる案内図にみられる、立体的に模式化した鳥瞰図に近いものなのでしょう。(略)舞台としたメスクリンがハードSFなので、もっとハードに描きたかったというのが、僕の感想です」(71頁)

 というわけで、久保氏の地図はSFの地図というよりは異世界ファンタジーの地図に類するものということになる。どうやらしなければならないことは、このファンタジー地図を科学的な地図に引き戻すことのようだ。さて、できるかどうか。

 まず久保図の問題を洗い出してみよう。図法の問題は既に示した。次に問題なのは距離だ。久保氏は各地点の距離を基にしたと書いているが、本編を読むと、地図の上と下で縮尺が全く違っていることが分かる。
 ブリー号の行程は大きく分けて、前半の陸路(赤道付近)と、後半の海路(南半球)に分けられる。久保図は前半の陸路に比べて、後半の海路が明らかに短すぎるのである。168ページによると、ブリー号が7Gの地帯を航海している時、南東500マイルに群島がある。そこは久保図で「東の群島」と書いてある箇所だ。久保図ではこの群島は、南北方向で赤道から南極までのほぼ1/3の位置にある。
 ところが『重力の使命』巻末の著者解説「メスクリン創世記」の断面図を見ると、南緯10度でも27Gになる。つまり久保図は南北の距離が歪みすぎているのだ。
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 読み返して分かったが、クレメントは地図を描くために必要な情報を本文の随所に示している。つまり各地点の重力加速度だ。その数値と「メスクリン創世記」の断面図を突き合わせればその場所の緯度が分かる。道中のイベントごとに緯度とGを示すことができれば、かなりまともな地図になるし、SF的にも面白い図になったはずだ。
 久保氏がそうしなかったのは、あるいは「メスクリン創世記」が載っていない創元推理文庫の『重力への挑戦』をテキストに使ったのかもしれない。『重力の使命』がハヤカワ文庫から出たのは久保図から4年後の1985年だ。もっともハヤカワSFシリーズ版なら探せば手に入ったはずだが。
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                        訳書の一覧

 そこで、本文からGについての記述を調べてみた。
 以下ハヤカワ文庫の浅倉久志訳に依る。

 1章〜5章 赤道上。ここでの重力は3G。
 6章から旅が始まる。まず出発点の入り江から陸路で東に約1600マイル、南へ300マイルの地点まで進む。そこで分水界を越えて東の大洋に注ぐ川に出る予定だった。この経路の重力は3Gから3.5Gのあいだになる。(p84)

 分水界で一行が断崖に出会ったのは9章で、128ページ。断崖はそこから南へ1200マイルつづいて5Gの緯度で終わっている。(p132)

 断崖を降りて東の海に出、南への航海の途中でグライダーを使う部族と遭遇したのは11章。この海域では7Gで(p168)、まだ赤道地帯。

 グライダー民族の群島を過ぎてさらに航海し、大陸に近づいたのは14章。この辺は40G〜45Gで、南緯10度から20度のあいだ。(p208、220)

 カヌーがらみの事件も14章で、60Gから190Gの間で起こる。「ブリー号が海路の三分の一以上をあとにして、約二百Gの緯度まで南下したとき」カヌーが水没する。そこはだいたい南緯30度付近。(p220〜221)

 南の大陸に上陸したのは南極から二千マイルの地点(p225)。「メスクリン創世記」の図から判断すると南緯80度を超えている。ここでの重力は約660G。ここから15章で佳境に入る。

 まとめると、
1〜5章:赤道直下。3G
6〜9章:南半球の赤道地帯。3G〜3.5G
10〜13章:南半球の低緯度地帯。3.5G〜7G
14章:南半球。7G〜660G
15章〜20章:南極。665G

となる。

 これで分かるのは、旅の最終行程を除いた大部分のイベントが赤道周辺で起きているということだ。これは赤道から南緯10度の間の狭い範囲でしかない。旅の大部分を占める南極までの航海は一章であっさり片づけられている。
 つまり、ストーリーを基準にして地図を作るなら、赤道付近とそれ以南で地図を分けるのが合理的ということになる。
 久保氏がこれに気づいていなかったとは思えないが(現に、連載1回と2回は「西遊記」の地図で、前半の天界と後半の西天取経で地図を分けている)、そこは大人の事情があったのかもしれない。このメスクリンを取り上げた第3回で連載が中絶したことから察するに、この回で読者の反響が悪ければ打ち切りと通告された可能性がある。もしそうなら、2回に分けて掲載したくてもできないわけだから、一葉の地図にまとめるしかなくなる。苦し紛れのファンタジー風地図になったのもやむなしだろう。こんなマニアックな題材を、ともかくも商業誌で発表してくれただけでもありがたいと思うべきか。

 こうして、赤道周辺と南半球の二枚の地図に分割して表すのが適切ということが分かったが、では具体的にどういう地図にすればいいのだろうか。


(以下続くが、多少の計算が必要になるので手間取るかも)

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