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2015年01月01日23:20

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日本人が怒るのは

 師走の慌ただしさでしばらく見ていなかった日経ビジネスのメールにこんなのがあった


>ある知人が少し前にスウェーデンでの会合に出席した時のことです。直前にスウ
>ェーデンでも総選挙があり低投票率が話題になっていました。「これは民主主義の
>根幹を揺るがす大問題だ」とスウェーデン人出席者たちは渋い表情で語っていたそ
>うです。やはり東西を問わず有権者の政治離れは深刻なのかと妙に納得した日本人
>出席者たちでしたが、次の言葉を聞いて驚きました。「90%を切るなんて」…。日
>本ではどうだ」と聞かれるのを恐れ、知人を含めた日本人出席者たちは一斉に下を
>向いて固まっていたそうです。


(こういうのはつぶやきの方が相応しいのだけれど、引用が長すぎるので日記で、ということで)


 しかし、気になったのはその続きで、そちらの方が本題。

>実は最近の風潮で気になることがあります。読者の方々からは様々なご意見をい
>ただくのですが、ネットでの投稿などで増えているのが「怒り」調の文体です。中
>でも多い表現が「許せない」とか「××するな」とか。自分と違う意見に対する完
>全なる拒絶反応で、多様な意見を認めるという姿勢は残念ながら感じられません。


 自分はどうか、と考えてみたら、世間の人が「怒り」を表明する場面では、「悲しい」「憂鬱」といった反応をまず生じて、気持ちが落ち込み、気力が萎えるという順序が一般的。
 社会や、日本や、世界がどこまでも悪くなっていく一方だと思うと、悲しみと無力感がまず襲ってくる。

 そこで思ったのは、世間の人はなぜこんなにも「怒る」のだろうかということ。
 自分の反応からふと思ったのだが、他の人も「憂鬱」を感じているのだけど、それに何とかして抵抗しようとして、怒ることで生きる意志を奮い起こしているのではないだろうか。

 そういえば、年末に見た「インターステラー」に引用されていたディラン・トマスの詩もそんな内容だった。

  死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ

            (ディラン・トマス「あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない」


 昨今の日本人がむやみやたらと「怒る」のは、生きる意志を保とうとする必死の行動なのではないか、と仮説を立ててみた。
 そう考えると、ネットには悲鳴が満ちているように思えてきて、それはそれで恐ろしいことだと、また気持ちが落ち込み始める。

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