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2020年04月02日22:45

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【うちのんとの思い出】うちのんが広島やカープを好きになったわけ

※最初にご注意を※
私の記憶をたどっているので、脚色というか美化されている箇所があるかもしれません。
変な表現があるかもしれませんが、そこはご了承ください。

あと、今回けっこう長いです。心して読んでください。


もともと、うちのんは野球が大嫌いでした。

ルールがわからないから・・・ではなく、
「好きなテレビが見られない」から。

うちのんが子供だった頃は福岡に野球球団がなく、
基本的に巨人戦の中継だらけ。
当然テレビは一家に一台。
父親にテレビを強制的に奪われる。見たいテレビは見せてもらえない。
父親が巨人戦を見る姿が憎くて仕方ない。よって、野球が嫌い。

しかし、若干状況が変わります。
それが、福岡ダイエーホークスの誕生。
知り合いに福岡ドームに連れて行ってもらい
「野球を観なくても周りを観ていれば楽しい」ってことを知ったと言います。

それは、大阪に単身で移り住んでも同じです。
知り合いに阪神ファンがいれば、その阪神ファンに甲子園に連れて行かれる。
で、野球を観なくてもその場でノリに合わせてどんちゃん騒ぎしてたら楽しい。
でも、野球のルールは知らない。そんな感じのうちのん。

そんなスタンスのうちのんと私が知り合ったわけです。

そんなだから、私が野球の話を延々とすると嫌な顔をするわけです。
『こいつもうちの父親と同じか!』って。

まだ、私は東京にいたから頻繁にカープ戦を観てたわけじゃありません。
知り合ったばかり、一緒に住み始めたばかりの2002年頃は
まだCSチャンネルもそんなに普及していなかった頃。
カープが見られると言ったら巨人戦の時ぐらい。
すると、また、うちのんのトラウマがよみがえるわけです。

「私のテレビを取らないで!!」って(苦笑)

で、私は悩みます。どうやったら野球を観させてくれるようになるか。
やっぱり、カープを好きになってもらうしかないんじゃないかとなるわけです。

が、当時のカープはご存知の通り弱小球団。
強さでアピールというわけにいきません。
ドームに連れて行くにもチケットとるの一苦労。
神宮やハマスタはガラガラで見せられたものじゃない。
であれば、選手のパーソナリティで勝負しかないわけで、

「この選手かっこよくない?」
「この選手ってさ、ちょっと変わった性格しててね・・・」
「この選手ってさ・・・」

あげく「うるさい!」って言われるんですよね・・・


で、私は交換条件を出すことにしました。
うちのんは少女コミックが大好きで、たくさんコミックを買っていました。
また、本屋に行っては「このコミック買ってほしい」って私に求めてくるわけです。
それで、私はこう言いました。
「あなたの好きなアニメや漫画を俺も興味持って読むようにするし、
 話題についていくようにするから、その時しか見れない野球は見せてください。
 ちゃんとあなたの見たい裏番組はビデオ録画するから。」

ちなみに私の家には、大学の先輩だった人からもらったビデオデッキと
うちのんが姫路から持ってきたビデオデッキがありました。
だから、裏番組を2つ録画することができました。

その交換条件を受け入れてくれてくれたものの、
録画した番組を一緒に見ることになった私は、
野球が終わった後、一緒に録画したビデオを見ることになり、
また、うちのんは「このアニメはビデオ借りてきて前の話観ないとわからないよ」と
TSUTAYAに行っては大量に借りて「全部観なさいよ」という始末。

確かにうちのんの言う通り、観た方がつながりがわかって面白い。
けれど、私の睡眠時間がかなり削られる・・


2003年5月に千葉県市川市のアパートに引っ越した私たちは
相変わらず近くのTSUTAYAで映画やアニメを借りては観る生活。

正直、この交換条件間違えたと思いました。(苦笑)

しかし、この状況に劇的変化を与えた人物がいます。
それが2008年に背番号18を背負い、一軍に登場した前田健太。

2007年の時に選手名鑑を見せながら
「この子、今年のドラフト1位で入った子なんだよ」って言っても
「ふ〜ん」でしかなかったうちのん。

しかし、2008年に一軍で投げる姿がスポーツニュースで映るようになると
「この人だれ?」になり、
「前田健太だよ。去年のドラ1の」と答えると
「この人が投げるときだったら球場行ってもいいかも」と反応が。

うれしい反応ではあったんですが、まだ予告先発ではなかった時代。
いつ投げるかもわからない、あくまで新聞には『予想先発』しか載ってない時代。

私は賭けに出ました。
2008年7月17日の対横浜戦。
予想先発がマエケンだと知った私は、
うちのんに当時の私の職場近くの駅、品川駅で待っててとお願いし、
定時ダッシュをかまし、うちのんを横浜スタジアムへ連れて行ったのです。

予想先発は当たり、カープの先発はマエケン。
「間に合え」とばかりに電車に二人で飛び乗ったのです。

が、試合展開が早く、また、マエケンは5回4失点で降板。
私たちが中に入った時にはすでにピッチャーは岸本にスイッチ。
しかも後を受けた梅津が炎上してるではないか(苦笑)

バックスクリーン横に座った私たちはグラウンドを観て
「間に合わなかったね」
「そうだね」しか言えませんでした。

でも、せっかく来たんだから楽しみたいと思った私は
うちのんに「ちょっとだけ上に行ってくるから見てて」と言って、
スタンド最上段の通路に移動し、応援団の掛け声に合わせて
「かっとばせー、シーマっ!!」と周りの観客と一緒に大声で声援を送ったんです。

結局、最後の追い上げむなしく、9-8でカープは負けたものの、
うちのんは最後まで試合をおとなしく見てくれました。
そして、私が大声で応援している姿も。


2008年と言えば、前の広島市民球場が最後となる年。
カープコミュでもRED STORM DAY 2008を実施して、
最後の年ぐらい、市民球場を赤く染めようとばかりにがんばりました。

『最後の年だし市民球場行きたいな』と思っていたら
タイミングよく、うちのんの弟が広島にいることが発覚したのです。
であれば、うちのんと弟を再会させるちょうどいい機会になるのではないかと
私はうちのんにRED STORM DAYのことを切り出しました。
そして、OKをもらい、当日、広島へ向かうことになります。

朝一の新幹線で広島へ向かい、タクシーで市民球場へ向かい、
市民球場横の広島青少年センターの一室のRED STORM DAY事務局に顔を出してから
本通りをパレードしました。
「市民球場最後の年、みんなで市民球場を赤く染めましょう!」
こう叫びながら、スラィリーが通りがかった人にちょっかい出しながら
パルコ前をUターンして市民球場に戻って、いざ、試合開始です。

カープうどんを食べつつ、試合を見てたら、
途中トイレに行っていたうちのんが、びっくりした顔で帰ってきました。
「どうした?」と聞くと、
「トイレ前で大阪時代の知り合いに会った」と。

「お前、カープに寝返ったんか、われぇ!!」と言われたうちのんは
「今の旦那がカープファンなんじゃ」と返したと言います。

たぶん、本心はドッキドキだったんじゃなかろうか。
でも、ちゃんと自信をもって言い返してくれたことは本当にうれしかったです。

その日の試合は延長12回に突き放されて5-3で負け。
うちのんは、大阪の知り合いにまた会うとまずいんで、うちのんの弟に預けて、
ひとまず弟の自宅に帰らせて、私はRED STORM DAYの人たちの後夜祭に参加。
終わった後、うちのんと落ち合って、
胡町のうちのんの弟の知り合いのママさんのスナックに行き、
うちのんがやしきたかじんの『東京』をもじって『広島』と歌い
その場にいたおじさんたちに気に入られるってこともありつつ、
広島を楽しんでもらったんです。

それもあってか、うちのんは広島という街が好きになっていきました。

翌年も私とうちのんは、当時すでに私たちと同居していたうちのんの弟を連れて
RED STORM DAY 2009に参加しました。
この年は敬老の日が9月21日、秋分の日が9月23日だったんで
間の9月22日が国民の祝日となり、都合5連休。
なので、私たちは9月21日に前入りして9月23日にゆっくり帰る日程を組んでいました。

しかし、出発する数日前、うちのんが左足ふくらはぎの肉離れを起こし、
歩けなくなってしまったのです。
そのため、私は急いで車いすを購入して(運よくホームセンターに売っていた)
うちのんを車いすに乗せて広島に連れて行くことにしました。
今考えればかなり強引ですが、それでも連れて行きたかったし
なにより自分がマツダスタジアムに行きたかった(苦笑)

9月21日広島に到着し、その足で宮島に渡り、厳島神社に行きました。
その際にお土産屋でいろいろ見ていたときに、
うちのんが「これかわいい!」と言うんです。
それに気づいたおばちゃん、うちのんに向かって
「お嬢ちゃん、それ、かわいいでしょ〜」って言うんです。

間仕切りあって見えてなかったんでしょうけど、
そこにいるの、車いすに乗ってる33歳のうちのんです。
おばちゃん、それに気づいて
「ごめんなさい、下から声が聞こえたから、てっきりお子さんかと思ったわ」
いやいや、うちのん、にやけてましたからまんざらじゃなかったですよ(笑)

9月22日、RED STORM DAY当日はあいにくの雨。
マツダスタジアムに近づくにも寒いので愛友市場でみんな暖を取っているような状況。
試合はどうにか実施できたものの、お寒い内容の完封負けになってしまいました。

マツダスタジアムから流川のライブハウスで行う後夜祭に移動する際、
私たちは口々に声をかけられました。
「今日(カープ)どうだったんね?」
「アチャー、あかんかったんかぁ。」
「今日、カープあったんね。大変じゃったねぇ。」

そして、車いすに乗っているうちのんに対しては、
「エレベータ乗るんね。どっち行くん?ボタン押しちゃるけ。」
「段差超えられんじゃろ。支えちゃるけ、しっかり押しんさいよ。」

みんなが助け合ってくれる。
うちのんは、地元ではあまり見られない、人のやさしさにも触れて
また、めったに食べれない広島のお好み焼きにも触れて、
ますます広島が好きになったと言います。

2011年5月に病気が発覚し入院、車いす生活になったせいで
行ける球場は車いす席がしっかり整備されている神宮球場ぐらいしか行けなくなり、
また、熱中症の心配もあって、屋外の観戦はできなくなりました。

しかし、また、うちのんは新しいカープ選手を好きになります。
それが津田の背番号を引き継いだ、大瀬良大地。

2013年のドラフト会議をなぜかTBSテレビで見ていたうちのん。
そして、ドラフト会議中継のあとの特番をみて、
うちのんは一瞬にて大瀬良にときめいていました。
「この人、性格がいいし、なにより笑顔がかわいい」

うちのんは私に「大瀬良のレプリカユニフォーム買ってください」と言いました。

また、2019年のドラフト会議を観ていた私の横で
森下暢仁を見て、うちのんは「この人の笑顔も素敵ね〜」と言いました。

「お前は笑顔がかわいいのが好きなんか!」と突っ込みたくなりました。


うちのんが広島に行きたいという思いを再燃させるきっかけがありました。
それが、2013年4月から始まって、私たちは2015年10月から聴き始めた
RCCラジオ ラジプリズムという番組との出会い。

もともと、うちのんはアニメが大好きでした。
そして、ラジプリズムはアニメ・サブカルが大好きな人がパーソナリティ(以下、部長)。
いきいきと自分の好きな分野をかかっていく部長と、
自分の好きなものを私に語っていくうちのん。今思えば波長が合っていたんです。

部長がおすすめするアニメで気になるものは観るようになったし、
なにより、ラジプリズムが行うイベントに参加したいと言うようになった。
しかし、体が思うように動かず、人工透析まで行うようになっていたうちのんには、
確実に時間を作れるのは週末ぐらい。
どこかでタイミングを合わせてイベントに行きたい。
うちのんの想いにどうにか答えてあげたい、でも、できるだけ体の負担は軽くしたい。
私はそう考えつつ、
2017年のフラワーフェスティバル、
2018年のフードフェスティバル、
2019年の広島城光の祭と部長生誕祭 に連れて行くこと、
そして、その都度、量は少なめにしつつも、広島のお好み焼きを食べさせてあげて
広島を楽しんでもらうようにしました。


ラジプリズムが番組を終了し、それをしっかり見届けるように
うちのんは先日、44歳の生涯を閉じたわけですが、
うちのんのわがままもたくさん聞いてきましたが、
うちのんも私のわがままをたくさん聞いてくれて、
カープを一緒に応援してくれたし、
私がカープコミュの管理人になることも
「んなことして、あなたに何の得があるん?」といろいろと言われながらも
ずっと私ががんばっているのを見届けてくれました。


うちのん、カープを好きになってくれてありがとう。
なにより、俺の故郷、広島を好きになってくれてありがとう。

でも、本当は、森下の活躍、一緒に観たかったな。
それだけが心残りです。

森下のレプリカユニフォームを買って家に飾っておこうと思います。

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