mixiユーザー(id:6286369)

2020年04月02日18:41

714 view

【うちのんとの思い出】出会い

※最初にご注意を※
私の記憶をたどっているので、脚色というか美化されている箇所があるかもしれません。
変な表現があるかもしれませんが、そこはご了承ください。


うちのんと出会ったのは、実はインターネット上でした。

当時大学4年だった私は、何人かの女性と付き合っては別れを繰り返していました。
とはいえ、私の性格上、好きになったら嫌いになれない。
いつも別れを切り出すのは相手からでした。

「会いたいときに会えないから」
「一緒にいるとしんどいの」
「遠くの彼氏より近くの友達の方がいい」

いろんなこと言われて別れてきました。

独りで過ごすとき、いつもお世話になっていたのが
当時流行っていたYahooチャットでした。
誰かが好きにタイトルを付けてチャットを作り、
その中でしゃべりたい人が、ボイス機能でしゃべれたり、文字で会話したりするもの。
そのタイトルに惹かれたり、人数が多いところに入って会話する、
そんなもんなんですけど、

2001年11月30日、上から人数の多い順にチャットに入っていった私は
あるチャットで指が止まりました。

チャットを作っていた人がずっとボイスチャットしていたんですが
その声がすごく心地いい。
文字で会話していく人のコメントを拾っては、心地いい声で返していく。

一瞬で私はその人に惹かれていきました。

その人こそ、後々私が『うちのん』と呼ぶようになる当の本人です。


私は、個別にプライベートでメッセージを送りました。
「声が心地よくて聞きほれてしまいました。また来てもいいですか?」
『いいですよ。またよろしくお願いします。』

プライベートメッセージに返事がもらえることがわかった私は
厚かましくも何度もプライベートメッセージを送ります。
そして、個人的な相談だったり、自分は今、彼女がいないこと、
相手がいないと寂しいことを赤裸々に語っていました。

また、私は当時のYahooプロフィールに
「少しイケメンに加工した」顔写真を載せていたので
『うちのん』は私のことが少しずつ気になっていったようで
当時使っていた携帯電話の番号を教えてくれました。
ただし、その携帯電話からこっちからかけることはできないので
電話してきてほしいとも言われました。


当時『うちのん』は兵庫の姫路に住んでいました。
生まれは福岡の北九州二島というところ、若松のボートレース場が近くにある場所。
小中といじめられ、先生にも何かよからぬ事をされたらしい『うちのん』は
不登校になって職業訓練校に行った後、単身で関西に向かったんだそう。
大阪で知り合った人といろいろな付き合いをしつつ、
単身で住んでいたアパートにストーカーが付きまとっていたために
姫路の身寄りを頼ったんだという。
しかし、その姫路の身寄りも一癖あって、血のつながりのない兄弟なのだという。

その血のつながりのない兄弟が持たせてくれている携帯だから
お金がかかる使い方はできないんだと教えてくれました。

知り合ったばかりの人間に、よくここまで教えてくれるなと思いましたが
私にはその言っていることがウソには思えませんでした。

大学を卒業したら一人暮らしを始めることを決めていた私は
ふとそのことを話しました。
すると『うちのん』はこんなことも話してくれました。

「正直、今の家の環境はよくないの。アニキは私を邪魔もの扱いしているし、
 平気でアダルトビデオ見るから、私のことを女扱いしてくれない。
 そのくせ、エッチしたいってときは私にせがんでくる。拒否するけど。」

聞けば聞くほど、その場に置いたままではだめじゃないのかと
思いが強くなっていきました。


私はうちのんに直接会いたいと思い「クリスマスに会いたい」と言いました。
とはいえ、翌日には東京で用事があり、一日しか一緒にはいられません。
すると『うちのん』はこういうんです。
「会いたい気持ちはやまやま。好きになってくれている気持ちもわかる。
 だけど、私にはあなたに心配をかける要素しかないよ。」

聞くと、『うちのん』はすでに持病で入院経験があったらしい。
『余命数年』て脅されたこともあったらしいけれど、
『うちのん』はいつ倒れるかわからない自分を貰ってくれる人なんかいない、
「自分みたいな人があなたのような人といっしょになったらいけない」
そう言ってきました。

けれど、自分はそこで引きませんでした。
「それも含めて全部受け止めるから」

結果、私は2001年12月25日の始発の日本エアシステムで羽田から関空へ。
『うちのん』は姫路から梅田へ行き、南海のラピートで関空へ。
しかし、人身事故か何かで『うちのん』が関空に行くことができません。
私の携帯にメールが来て「神様が邪魔してるみたい」と言ってましたが
「今日の最後の飛行機まで俺は待つから大丈夫」と返事しました。

公衆電話から電話がかかってきて、聴きなれた『うちのん』の声を聴き、
目印を教えてもらって、公衆電話で話している『うちのん』を見つけました。

ぽっちゃり小柄なかわいらしい女の人。
第一印象はそんな感じでしたが、もう見た目とかは全く関係なかった。
『うちのん』は緊張してて全く目を合わせてくれませんでしたが、
私は付き合ってほしいことを伝えました。

その日最後の22時の飛行機で帰る私を
『うちのん』は最後まで見送ってくれました。
後から聞いた話だと『うちのん』はその場で大泣きして
その場にいた外国人の人に「What's happen? ダイジョウブ?」って慰められたそう。


卒業論文を提出し、一人暮らしする家を決めたあと、
私は意を決して『東京で一緒に暮らさないか』と言いました。

『うちのん』は少し悩んだ後、こう言いました。
「行きたいけれど行くお金がない」

私はうちのんに姫路から東京までの新幹線代金を振り込み、
東京へ来るように促しました。

そして『うちのん』は2002年2月1日、単身で東京に来てくれました。
私は当時始まったばかりだったチャージ専用のSuicaを渡し、
使い方を実演して見せたら『うちのん』は驚いた表情をし、
やってみるように促すと、うまくいったとばかりにけらけらと笑う。

本当に笑顔がかわいい女性だったんです。


西新井のマンション一室に居を構えた私は、
うちのんを家に連れて行ってすぐにダメ出しを受けました。
「押入れがないじゃない!」
「次に住む家は私も一緒に探すからね」
ここまで言われると、もう断ることはできません。

家に何もない状況だったので、
私と『うちのん』は私の自転車で二人乗りし
環七沿いのドン・キホーテへ向かい、まずは『うちのん』の自転車を買い
それから日用品や食器を買いに行き、近場のスーパーを二人で買い物に行く。
そんな日々が始まります。

2002年、私の社会人1年生とともに、うちのんは
私と一緒に人生を歩み始めました。

10 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する