mixiユーザー(id:62645424)

2017年01月23日01:00

4110 view

大石寺の法主が、本門寺の本堂に安置する弘安2年の大本尊は万年救護本尊であり、今は房州妙本寺にある、と記録している

堀上人が編纂された富士宗学大全135巻(現在は、大石寺の富士学林の教科書「研究教学書(30巻)」にまとめられている)の中に、17世日精が法主を辞めてから書いた「家中抄」という長編の大石寺派とその関連の歴史書がある。その中の「富士門家中見聞稿本零編」(日精の1657年の花押入りの直筆文書。法主になったのは1632年なので登座25年後の文書)において、本門寺を建立する時にその本堂に安置する本尊について、

「日興が身に宛て給わる所等とは是
万年救護本尊の事也、今房州妙本寺に在る也」(研究教学書6巻P.361)
(通解:日興が身に宛てて給わったところの日蓮一期の弘法とは、万年救護本尊のことであり、今は千葉の妙本寺にある。)

と記載されていて、これに誰かが二本線を引いて訂正を加えて、
「板本尊の事也、今当山に在る也」
と明らかに都合の悪い個所を意図的に改竄しているのです。これに対して堀上人が詳しく解説を加えています。

「亨云く 板の字は精師に似たるも当山の二字は全く因師なり 又二ケ所の消し方精師の例に非ず 又師に万年救護の説あるなり 年譜には弘安二年に懸とかけたり 常在寺には万年板本尊を本堂に安したり」 (研究教学書6巻P.362)
(通解:日亨云く、板の字は精師の字に似ているが当山の二字は全く31世日因師のものである。また二ケ所の消し方は精師の例には無い。また精師には万年救護本尊を弘安2年に大聖人が日興上人に授与したという主張がある。精師が晩年に著した日蓮聖人年譜には、弘安二年に懸とかけているし、常在寺には万年救護本尊の板本尊を本堂に安置していた。)

  唯授一人のはずの血脈相承とやらを受けて、当然「日興跡條々事」の正本、草本の両方を知っていたはずの法主日精が、生涯の信念として大聖人から日興上人へ弘安2年に授与された御本尊とは万年救護本尊であると信じていたのです。これこそ堀上人がえぐり出した歴史の事実です。
  もちろん日顕宗の輩は、何としても否定するために「それは草本だ!改竄され偽造された文書を根本とすべきだ!」と主張している訳です。
どういうことかと言えば、家中抄3巻で正本が残されているのは「稿本零編」と「上巻」のみなのです。万年救護本尊について書かれた肝心の「中巻」は江戸時代後期の写本のみ。この写本は、全て都合の悪いことは改竄された偽造文書だというのが、オレオレ詐欺坊主たちの大石寺の歴史なのです。

 さらに、日精の直筆正本が残されている「上巻」にも、しっかりと

「弘安二年に大曼荼羅を日興に授与し給う、万年救護本尊と云うは是なり、日興より日目に付属す、今房州に在るなり」

と、全く同じ内容で、弘安2年に大聖人から日興上人に授与された万年救護本尊が日目上人に付属されたことを示されています。ただし、日郷が日道と決別して保田妙本寺を開いた時に、万年救護本尊(大聖人の御本尊の中で唯一「大本尊」との記載あり)も大聖人の御影も全て日郷が持って出たのです。
 そのことを31世日因は、

「当山日目上人の相伝悉く房州保田に有る」(富士宗学要集1巻)

と、正直に記録しています。
 これらの事実が示すように、文字どおりスッカラカンの退席痔が、文書の改竄(公文書偽造)ばかりか、板本尊の模刻までやってアイデンティティ(世間ではメンツとか言います)を捏造した歴史の背景なのです。
 しかし、その手口はオレオレ詐欺とほとんど変わりません。したがって、これからは「オレオレ詐欺坊主」と呼ぶのが正しい呼び名なのでしょう。



4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する