mixiユーザー(id:62587154)

2019年10月21日21:27

144 view

岳友 渡辺和文

先週13日、千曲川が溢れ、新幹線も漬かって、長野市中心に大変な災害となった日、
信大農学部森林工学時代の友人平井に電話をした
おれは日月フリーだったんで、何か手伝えることはないか、と思ったんである

幸い、長野市の南東、松代地区に住む平井の家は無事だった
平井は
「渡辺からも電話もらった。あいつは今、北海道にいるらしい」
「あの渡辺がか!やつのケイタイを教えてくれ!」

学校卒業以来、初めて渡辺とレンラクをとった。
おれは4年生前期を休学して南米放浪、夏の終わりに帰国すると、
渡辺は後期を休学し、ヒマラヤに旅立っていた
やつは5年生になってもアンデス、アラスカと山旅をつづけ、
一度も顔を見る機会がないまま、おれは5年で卒業した
渡辺は6年生か7年生までやったんではなかったか。


13日、電話をかけるとルス電になっていたんで、メッセージを入れた


「生きてる間に連絡取り合える日が来るとは夢でしか思い描けんかった
三年の終わり以来だ

自作絵はがき十二名山送るよ
カムエクが入っとる
では。」

「ご無沙汰しています、渡邊です。これから明朝まで夜勤で、電話を持ち込めません。」

翌朝追伸が来た

「昨日は失礼しました、お元気そうで何よりです。
実は85年に一時帰国した際、伊那北近くの路上で 48−62(死は無になる)ナンバーの赤いバイクを見かけ、声をかけたのですが走り去ってしまいました。
サンチャゴのペンション早乙女のノートに記された『コルディエラブランカからティエラデルフェゴへ』の一文や、ヤンガヌコからウニオン峠に抜ける途中の茶店でも、山崎の痕跡があったことを昨日のことのように覚えています。
今は、夏はシーカヤックで僻地の沿岸を漕ぎ、冬はトマムのパウダーを滑っています。
59年生きてきて、今が一番幸せです。今年の冬はトムラウシとニペソツを狙っています。
マンションのベランダからは、大雪から日高まで見渡せるのだけど、今はヒマラヤより遠く感じるのは何故だろう。
春にピナレロのロードバイクを手に入れて、毎日勤務先の病院まで50kmこいでいます。
そろそろ床に入らせてもらいます。また!」

「床に入ってハッと思い出した!あのメッセージはサンチャゴじゃなくて、ラパスで見たものだ、ごめん、おやすみなさい」



「付き合いは短期だったがお前の夢は何十年に渡りみた
林工の二強だと誰だかが付けてくれた
ペルーは五度再遊した
ペンシオン西海で、おまえの名をみて声上げた時を思い出す
ツールド美ヶ原を走って15年。
それはトラック、リフトを運転する新聞屋の折込広告の仕事に就いてからだ
あとは手紙に書くよ

ガラケイは画面が狭い
そろそろスマホにしよ、とも考えている
では!」



フォト
       1981初冬 ドカ雪が来た新雪の白馬岳を登頂し、白馬大雪渓を下る渡辺。

フォト
                       猿倉に下り着いて。


フォト
1983春雪 八日間かけ、笠ヶ岳〜剱岳をやった。黒部五郎岳〜薬師岳のこのあたりの無人小屋で、槍ヶ岳から縦走してきた渡辺とバッタリ逢ったんではなかったか。バックは立山。左向こうの隅が剱岳。

フォト
                 1983・5・6 剱岳頂上直下 撮影・渡邊和文

2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する