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2020年08月07日15:03

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Smells Like Teen Spirit

前出の日記では
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976495805&owner_id=6231411
「世界一長く続く王家」などと誇らしげに謳っている我が国の天皇家であるが
本当に血統なり、正当性なりを維持してきたのかどうかは
甚だ怪しいのである、と指摘した。
一つはその書き記した最大の資料である「日本書紀」の編纂を命じたのが
(特に怪しいという意味で)生年不明の天武天皇である、ということ。

天武天皇は「大海人皇子」時代に
兄である天智天皇の息子、大友皇子(のちに弘文天皇と諡される)を
壬申の乱で滅ぼしているが
果たして歴史に突如として表れて甥御から皇位を奪った
天武天皇が何者だったのだろうか、という事が近年議論されている。
 更には皇統が2つに分かれた「南北朝時代」によって
「正統とは何か」が曖昧になってしまっている指摘をした。
 他にも天皇家の皇統については謳っている「万世一系」が
怪しいと指摘できる点は多々あるが、ここでは省略。

今度は我々にとっての内面史に当たる「仏教」との関りについて
紐解いてみたいと思う。

仏教が日本に渡来したのは6世紀半ばから後半の事だと言われている。
ご存じの通り、開祖はゴータマ・シッダールタことお釈迦さまであり
彼はインド出身の紀元前5世紀の人物である。
そもそもインドが多神教文化であった中で生まれた事と
元々は釈迦が修行の果てに
解脱(悟りを開いた状態、輪廻から離れる)
という状態を目指す事を説いたものであるから
宗教というよりは精神トレーニング法のようなものとして始まっている。
これが日本に伝わるまでの1000年の間に歪みに歪んで
一つの宗教として伝わった事はよく知られている事である。

だって、そうだろう?
個人が修行を経て苦行の連続とされる輪廻から解脱、というのが
仏教の真理だとしたら、仏門に入るには全員が修行しなければならないわけで
また死者を祀るような機能は備わっていなかった筈だからである
後にこの点は論争となり、各宗派に分かれて
これまた血生臭い争いに発展するわけだが

ところで
奈良にある法隆寺や大阪にある四天王寺は
どちらも聖徳太子と言われている厩戸皇子由来の仏教寺院であり
我が国最古の歴史を誇る施設である。
例えば、四天王寺を建立するための宮大工だった「金剛組」は
現在も存在する企業であり、創業が西暦578年なので
今年で1443周年を迎える企業という事になる
四天王寺の横に現在も社屋がある。

日本と近しい間にあったとされる朝鮮半島の百済より
日本に仏教が伝来すると、数十年の間に一気に流行する
この時、廃仏論争が起き、
廃仏派の物部守屋らと蘇我馬子ら拝仏派で血生臭い争いが起き
587年の丁未の乱(物部守屋の乱)で蘇我氏ら拝仏派は
政敵でもある廃仏派を全て滅ぼして殺してしまう
これにより、日本の朝廷は「仏教を正式に擁護」することに
相成ったのである
本来は天皇の外戚における主導的な立場を巡る
物部氏と蘇我氏の争いであったものが
仏教の是非を巡る争いに置き換えられているのであり
大衆の信仰からはかけ離れたところにあったのであるが

既に日本人は出雲大社をはじめ、多くの神社を建立し
そこにおいて死者を神などに祀り上げて鎮魂する、という信仰が
定着していた。
因みに出雲大社には「大国主命」に相当する人物が祀られているのだが
彼は神武天皇に連なる「天照大神の子孫」が日本列島を侵略するまで
列島で最大の王者であり、彼を滅ぼしたことで「祟りがある」と
考えられ、鎮魂のために建立されたと現在では目されている
それと同様に
丁未の乱で自己実現のために蘇我氏が滅ぼした物部守屋を
鎮魂するために建立したのが「四天王寺」である、と
現在では言われているのも納得できるというもの。
そこで祀られているのはしかし、
丁未の乱において、厩戸皇子が戦勝を祈願したという「四天王」であり
当初建てられた場所というのが、焼き討ちを行った物部守屋の邸宅があった場所
であると考えられている。
四天王寺は、後に現在の場所に移転したのである。

しかし、戦勝祈願で祈った仏像を祀ったり(本尊は救世観世音菩薩)、
既に当時にして釈迦の教えからは相当な「発展形」が
仏教の教義になっている事が窺えるほか
後の仏教にも繋がる話だが、排他的な思想の存在も散見出来る
つまり、人民を救う、といった大義的な部分は維持されても
政敵を無残にも滅ぼすことは仏教的に正義である、としているわけで
万人を救おうとする後の(大乗)仏教とは相容れない

前出の蘇我馬子の孫が蘇我入鹿で、
その専横が極まった645年の乙巳の変(我々が大化の改新と習ったやつ)で
中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)に暗殺される
というのが飛鳥時代の大きなエポックである。

神も仏も無いような争いが
日本の仏教の始まりであるということ、と
我々には色んな部分でお馴染みの「聖徳太子」が定めたという
十七条憲法でも示される「三宝を敬え」が現在に至るまで
強い影響を残している
どうして葬儀の場はここまで圧倒的に仏教式に支配されているのか
我々は深く考察した事があるだろうか
因みに三宝とは「仏法僧」すなわち、釈迦とお経と坊主
丁寧に言い直すと、「釈迦由来の仏像、経典、僧侶・出家者」
という事になるのである。
仏像に至っては釈迦像のみならず如来像や観音像を祀るとこも多く
経典に至っては複数の言語に訳されたのち、複数の宗派がそれぞれの経典を掲げる
出家者の規定も様々で
しかも悟りを得て仏陀に至ったのは釈迦ただ一人だけ、という現状である
如何なる高僧も悟りを得た、という事になっていない。
ということで仏教用語としては「仏」とは
釈迦牟尼、ゴータマ・シッダールタただ一人の事を指すのである。
その辺に転がっている死体を「ホトケ」と呼ぶのは物の喩えに過ぎず
仏教的には間違いなのである。
一方で釈迦は、唯一神の存在を否定する代わりに
仏陀となった自らの守護神の存在を示している。

ともかく、原始仏教と現代仏教の開きが大きい事だけは
ここに明示しておきたいと思う。
急な話でアレだが
煩悩を滅した悟りを開いた状態の事を「涅槃」という
英語では「NIRVANA」である

ということで
Nirvanaの
Smells Like Teen Spiritを
曲名に特に意味はないらしい(笑)


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