mixiユーザー(id:6231411)

2020年08月03日02:30

12 view

暇つぶしの日本史2

日本の王家である天皇家は主張ベースでも
世界に類を見ない長期に継続している王家であり
「神話」時代を割り引いても、相当に長い期間、血統が維持されている
と「言われている」が
日本人である我々がそもそもそれを信じていない。

原因は幾つかあるが、一つは「天皇」とされている人が
本当に天皇の子かどうか分からない事。
次に正統とされている皇統が途中から曖昧になってる事。
「壬申の乱」というのが代表的な例で
672年、天智天皇(第38代)が崩御すると
その息子である皇太子の大友皇子(第39代・弘文天皇)に
天智天皇の弟と言われている大海人皇子が戦を仕掛けて勝利、
後に即位して天武天皇(第40代)となるのである
しかし、それって「日本書紀」に書かれている事件と言うか
記録なのであり
「日本書紀」とは720年に舎人親王が天武天皇の命で編纂した
と言われている
という事は、天武天皇、つまり大海人皇子にとって不都合な内容が
記録されているわけがない。
実は大海人の登場は謎に包まれている、とされているのだ
既に長子が家督を継ぐという文化は定着していた我が国に
天皇より年上の皇弟が居た、というのが大海人皇子のプロフィルである。

645年に乙巳の変を起こした時、
即ち、後の天智天皇である中大兄皇子が
後の藤原鎌足である中臣鎌足とが実行犯となり
当時、権勢を奮っていたとされる蘇我入鹿を暗殺した事件である。
一番古い誕生年の説(神皇正統記)では大海人皇子は31歳、
興福寺略年代記によると6歳である。
しかし、それぞれ中大兄皇子は31歳、15歳である。
つまり、中大兄皇子が記録に残っているのであれば
大海人皇子も「乙巳の変」に登場して然るべきだと
考えるのである。
この生年不明の天武天皇は本当は皇統から外れてていたのではないか
これを正当化するために「日本書紀」を編纂させたのではないか
僕はそう考えるのだ

これとは別に「南北朝時代」という大きな疑問点を作るトピックがある
ここに触れる事は今上天皇のルーツが疑われる事でもあるので
近代ではタブーとされていた点である。
因みに今上天皇は南朝の方を正統としていた時期はあるが
南北朝時代とは
88代の後嵯峨天皇(1220生-1272没)が後嗣を定めずに
亡くなった事がきっかけである
1331〜1333年に起きた「元弘の乱」により、
第96代の後醍醐天皇は鎌倉幕府を滅ぼし「建武の新政」を始めたことは
教科書にもデカデカと載っていて皆の記憶にあるところ。

しかし、この第96代の後醍醐天皇が後に主力の足利尊氏と対立し
吉野に逃れる事で「大覚寺統」即ち「南朝」という系統が
発生してしまう。
南朝の拠り所は持ち逃げしたとされる「三種の神器」が
南朝にあるという点
一方、北朝(持明院統)は後深草天皇(第89代)と亀山天皇(第90代)の系統が
それぞれ交互に皇位を継承するという流れを主張して
北朝として光厳天皇(北朝第1代)を擁立して
皇統が二つに分かれるのである。
ここで指摘したいのは血統が問題なのではなく
この時、重要視していたのは「三種の神器」だったという事である

つまり、「神器の継承者が正統」とこの時していた事を
記憶してもらいたいのである。
しかしながら、である。
「草薙剣」は間違いなく、現在継承されているのはレプリカである。
それは平家が滅亡する「壇ノ浦の戦」で
幼帝の安徳天皇と共に海に沈んだ、とされているからである。
それにどちらかが間違いだと思うが
現在、天皇が祖先神として祭祀を行っている伊勢神宮に祀られているのは
「八咫鏡」である
どちらも「三種の神器」である
因みに愛知県の熱田神宮の主神も「草薙剣」であるから
剣に至っては、現在天皇家にあるものと合わせれば3つあった事になる
つまり、熱田神宮か現在の天皇家の片方か両方がレプリカを
使っていることになるのである。
「八咫鏡」も天皇家のものか伊勢神宮にあるものかどちらかが
レプリカという事になる。

レプリカがあり、だとするならば
この後醍醐天皇の抱え込んだ真の「三種の神器」の価値は
「レプリカでOK」程度のものだったのか
という話になるのか。
いずれ南北朝は南朝を支える楠木一族が敗退して行く事で
北朝と統合されていくのであるが
この時、三種の神器が北朝に戻された、という件で
この南北朝分裂問題は「解決済み」としてしまい、
第100代・後小松天皇は早世した101代の息子の後に
北朝の始まりで、さっき出てきた光厳天皇の子孫にあたる
後花園天皇(第102代)を擁立して
彼に皇位を継承させるのである。
後花園天皇以降は、割とはっきり今上天皇まで皇統は続いており
それ以前の血統は曖昧、
「三種の神器」に至っては過去は最重要視されていて
近年は複数あっても問題視しないという事から
皇統の証が
歴史的に血統なのか神器の継承者なのかが
曖昧になっているのである。

僕は考えているのだが、皆さんどうだろうか

せっかく、令和の世の中になった事であるから
話題にしてみても面白いのではないか
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する