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2020年07月15日14:26

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Three Kingdoms

福田組で三国志が映画化とあって期待している。
無事に映画産業が維持されればの話だが。。。

ところで横山(光輝)「三国志」で育った僕としては
劉備が殊更に善人に扱われている点について
幼い頃からずっと疑問を抱いていた。

底抜けにお人好しの善人で人徳の人、という設定の劉備玄徳の元に
綺羅星の如く人材が集結し、
官軍を操り圧倒的な戦力的優位を誇る曹操の魏軍に対抗する物語は
読む者の心を熱くする。
熱くはさせるのだが、劉備個人の活躍は少なく
配下のスターバースター的武将知将がエピソードの大半を作っているのである

当初は、その曹操とともに黄巾賊という民衆の反乱を鎮める闘いに加わり
初めての領土を得るのだが、その鎮圧の中心に座った董卓に
実権を奪われると董卓VS「各地の雄軍同盟」の構図になり、
著しく不利なポジションに転落する。
彼が挙兵した時から中山靖王(漢の皇帝の血筋)の末裔、を謳っており
漢王室の再興をテーマに転戦するのであるが
勿論のこと、本家の漢王室は存在しており、それでは僭称であり
反乱と何ら変わらない
仮に末裔だとしても、本家が存在している時に「我こそは皇帝だ」と
言わんがばかりの話なのである。

但し、当の漢王室は十常侍と呼ばれる宦官グループと
外戚のグループが激しく実権争いを続けるという腐敗ぶりで
外戚というのは日本史で言うところの藤原氏とか蘇我氏が有名な
いわゆる皇帝の母型の親戚連中である。
長期世襲王朝になると、必ずこの問題が発生して王政が腐敗するのは
古今東西お決まりのコースなのである
これを避けるには「世襲ではなく実力制」で為政者を決めるか
或いは、皇室の制度を明確にするか、である。
しかし、中国という国は当時はゴリゴリの徳治政治であり神権政治であったから
苗字が「劉」さんでないと徳も無ければ神にも選ばれない、という理屈で
世襲を行っていた。

厳密には統一王朝でもなく果たして一つの王朝かどうかは
定かではないが、800年続いたと言われる周王朝も
王朝の腐敗は顕著であり、短命の王朝は強権の初代の亡くなった直後に
国が乱れるという憂き目に遭って滅ぶことが多い。
例えるなら北朝鮮の「金王朝」も建国が1948年であるが
三代目にいよいよ支配体制の破綻の気配を見せ始めているが
短期王朝と近いものがある

三国志は、中国初の「統一王朝」における「長期王朝」である
後漢(東漢)の時代の末期の話であり、
長期王朝が腐敗政治で崩壊していく記録が
明確に記録されている最初の王朝なのである。
前漢・後漢合わせて282年の王朝で
高祖・劉邦の名は耳にした事もあるだろうが
「劉」氏による王朝である。

これに比肩する長期王朝は唐が289年、
清が268年、明が266年で、晋が155年である。
漢代は途中、王莽による「新」
唐代は則天武后による「周(前出の周とは別で、区別するために武周と呼ぶ)」
という王位簒奪的な王朝の中断があり、
晋代は匈奴に都を含む華北全域を侵略され滅亡したが、建康にて再興を果たしている。
このように、王朝に苦難があっても表向きの大義があると
王朝が再興されるのも周代に倣った中華王朝のパターンとして
定着させてしまっている。

現に「劉焉」(りゅうえん)という王族の末裔と
「劉表」(りゅうひょう)という登場人物がいるが
いずれも皇帝の流れを汲む王族の地方官僚であり、
劉備はそれぞれ戦いに敗れると彼らに近付いている

同じ王族の血を引く親戚という事で
手勢とともに身を寄せた劉表の領地である荊州に居城を構え
劉表の死を契機に、晩年の妻の子・劉と長子の劉の間で
世継ぎ争いを勃発させ、それに乗じて荊州を乗っ取ろうとしたのも劉備である。

結果的に圧倒的な大群で荊州征伐に乗り出してきた曹操率いる官軍
(といっても、中身は曹操軍である)によって蹴散らされてしまうのである。
※南陽の戦いなど
この時代においては、世襲をするなら長子、実力制なら合議制、というのが
世の習わしで劉備は筋道を外さず長子の劉を支持したという。
ところが劉表の妻である蔡夫人が自分の子の劉をどうにか継がせようと
あれこれ働きかけ、これが王位なら外戚に当たる夫人の兄も動員して
反乱を仕掛けたから堪らない
長子は身の危険を感じ
視察と称して居城である襄陽(じょうよう)を離れて
支城の江夏郡まで逃げていたのである。
劉は、曹操軍とは戦わず、進んで城門を開き、
劉備たちは大義の無い戦い、と言い訳して
南方に逃れて行くのである。
この時、人質の積りかはたまた人間の壁なのか
或いは念入りなプロパガンダのお陰か
土地を棄てて劉備の後をついていく住民が続出し
彼らの多くの骸を背後の守りとして
劉備たちは次なる寄生先を求めて旅立ったのである

こんな非人道的な所業は古今のヒーローの手口としては聞いた事が無い。
無慈悲で残忍で悪魔的な行軍は許されない話である
この頃にこの催眠術師によって仲間に繰り入りられた
世界最強のペテン師・諸葛亮孔明が入れ知恵したのかも知れない。

この後に「同族の誼」とか何とか云って
身を寄せようとしたのが劉焉亡き後を継いだ劉璋が治める蜀漢の国であった。
その後、蜀の重臣と内応して劉璋を追い出した劉備が
蜀で皇帝を僭称し「蜀漢」となり三国志の「三国」が鼎立するのが
この物語の大きな流れである。

物語の中では曹操が実に悪く描かれるが
最終的な勝者は魏王・曹操であり、
彼は漢王室を維持する事に最後まで務めた立ち回りでもあった
死ぬまで漢王室の丞相(総理大臣、或いは江戸時代の大老的ポジション)
であったわけで、皇位を簒奪には至らない。
ただ、曹操は朝廷の事実上のトップであり、
皇帝と諸侯が接する時は曹操を通さないと何もできない仕組みにしたり、
佩剣(腰に剣を帯びる事)したまま、宮殿に上がる事が許される唯一の武人であった。
これは貴族や宦官にとって手も足も出ない特権であり
歯向かえば何らかの理由で斬り倒されるので、曹操の専横自体は事実である。

曹操の死後は中国伝統の「禅譲」の儀式を皇帝に強要し
帝位は息子の曹丕に渡る事になる。
本来なら、「漢」の次は「魏」が後継王朝となるのだが
この時点では中国全土は統一されておらず
220年に曹操は没してしまう。
因みに劉備は223年、孫権は252年に没する。
魏が裏切者の司馬懿仲達によって滅ぼされるのは265年、
晋(西晋)が興り、その晋が孫権の末裔が治める呉を滅ぼして
中華統一を果たすのが280年なので、漢が滅んだ220年から
統一されていない期間が60年あったのである。

一番最後に得をしたのは司馬氏であり
曹操の参謀から晋王朝の国父になった司馬懿仲達である。
日本で言うと、徳川家康と言ったところか

話は脱線したが
劉備は「人たらし」であり、ヒーロー大集合が可能である事から
日本で言うと信長と秀吉を足して2で割った感じであるとも言える
そして若い頃はゴロツキだったのか
「一騎当千」の名を恣にする軍神・関羽、猛将・張飛と義兄弟の契りを結び
その後も名将と呼ばれる武将が次から次から彼の元に集結するのである
極めつけが死んでしまっても中国版家康を翻弄させるほどの知将
諸葛亮孔明が彼の陣営に加わって強度を増すのである。

先にも述べたが、蜀の国を乗っ取るまでは流浪の日々を送るばかりの
劉備の元に次から次から名称が馳せ参じるというのは
異常な事態である。
ペーパーカンパニーで事務所が存在しない会社に就職するくらい
おかしな話なのである

これは相当の「人たらし」であるか
相当の集団催眠の使い手であるかどちらかであるとしか考えられない
当時の歴史的背景を鑑みると
住民が「好きな領主」の後をついていくのは
どうやら定番だったらしく、
あれは催眠術はそんなに使っていなかったかもしれないが
自ら武装蜂起しても不思議ではない猛将たちが
然したる武功も挙げていない劉備の配下に進んで就くのは
異常極まりないのである。
そこには「姓」の力が大きかったのではないかと
そして、最初に抱き込んだ関羽と張飛、
更には袁紹に滅ぼされはしたが日本にもその名が伝わっていた
公孫瓚などと交誼を深めていた事が彼のカリスマを底上げしたのかも知れない。
いずれにしても福田組の作品である。
キャスティングに激しく偏りがあるので、誰がどの配役で
どのエピソードをパロディ化するのかを考えただけでも
ワクワクする。

この期待を良い方向で裏切って貰えたら、なお嬉しいのだが。
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