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2020年01月21日15:16

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「白虎隊」は悲しくない

テレビで「白虎隊」を見た。
1986年末に読売テレビでやってたアレである。
当時、中学生だった僕であるが
同級生たちの間では「横山光輝・三国志派」「吉川英治・三国志派」「司馬遼太郎・竜馬がゆく派」など歴史ファンの間だけでも無数に派閥が分かれており、残念ながら脳みそまで筋肉が走っていた僕はどの派閥にも所属していなかった(笑)

そういえば、僕の陰口の渾名が「丞相」だったのは
尊大で暴力的で周りに多数の取り巻きを従えていた僕を
どちらかの三国志派の誰かが奸雄・曹操に準えて
そう呼んでいたに違いない
よく考えたら、僕の周りにいる友人たちは挙って三国志派だった。。。

しかし、そんな具合だから
高校時代に専門だった世界史から気の迷いで
浪人時代に日本史をやった時くらいにしか
幕末について知る機会が無かったため
「白虎隊」については思い入れが無かった

関西人だし、会津と縁も所縁もないので仕方ない事なのであるが
北関東から東北にかけての出身者で
なおかつ勤皇家で佐幕派の人なら
多少、思い入れはあったに違いない

しかし敢えて日記に書く理由というのが
「実に面白かったから」
である。

白虎隊とは
明治初頭の戊辰戦争の時に
旧幕府軍側として新政府軍に対抗した会津藩の会津軍における
少年兵たちの部隊名である。
実際は300人ほどで形成されていたが
ほぼ予備軍扱いで戦闘に参加する予定は無かったのであるが
ドラマ終盤の「会津戦争」の時に
新政府軍の怒涛の侵攻で軍備が間に合わず
その内の二番隊だけが戦闘に投入された際に
唯一の大人である隊長が離脱した際にはぐれ
そのまま傷を負いながら飯盛山に敗走し
会津若松城の武家屋敷が炎上しているのを落城したと勘違いし
20人くらいが集団自決した、という悲劇で有名なのである。

この集団自決の時に自決に失敗した「貞吉」が唯一生き残り
歴史に残る盛大な勘違い自決の内幕を後世にまで伝えた、というのが
ドラマの主題である

そう言ってしまうと何だか侮辱しているように聞こえてしまう人もいるが
この戦争の背景とか、詳細を知ると
この事実が実に興味深く、それを茶化さずに丁寧に
しかも今では信じられないレベルの豪華キャストで描いたのが
この「白虎隊(1986年)」というドラマである。

因みに白虎隊の隊員自体は歴史には余り登場せず
大した役回りがあるわけではない
訓練を受けて、戦場に送られて
勘違いして自決するだけの役割である
件の貞吉役は競馬ファンならお馴染みの宮川一朗太が演じている
残念な事に生まれも育ちも会津である筈の彼らは
殆どが標準語で喋りセリフも棒読み
他の地元の登場人物が端役であっても丁寧に
会津訛りで演じれば演じるほど方言指導の時間が無かったことが窺える
標準語の方が聞き取りやすいかも知れないが
そこは字幕を入れてでも「会津弁」でやらなきゃ嘘だ
「生まれ変わっても俺たちは会津でまた会おう」
などという自決前の彼らの名台詞は
僕の耳には虚しく響く。

彼らの隊長で
戦場で野営中に作戦行動の確認のために離脱してしまい
彼らとはぐれてしまう隊長・日向を火野正平が演じている
こいつも出番が少ないから方言指導が行き届かないのか
それとも江戸屋敷での暮らしが長かった設定なのか
標準語である
この男が作戦行動中に隊を離れるという
隊長としてはあるまじき行動に出る事で
少年隊士の迷走が始まるのである

この物語の主人公というか中心人物が
「井上丘隅」という重臣である。
史実に若干の脚色が加えられているであろうが
殆どの当時の会津藩の重要人物や白虎隊と繋がりがあり
しかも余り詳細の記録が残っていないので
フィクション的に狂言回しをするには持って来いである
少年兵の面倒を看ていた事もあり、白虎隊とは少なからず縁があり
またこの舞台となる会津戦争のもう一つの悲劇である
「娘子隊(リョウシタイ)」の敗死とも絡みがある

これを演じた森繁久彌がかなり厚く演じていたのが印象的である
森繁はドラマの殆どを会津弁で喋るなど
かなりの入れ込み具合である。
時々長回しのセリフになると徐々に標準語に寄っていくのはご愛敬。
彼が会津弁で喋れば喋るほど、会津っ子の筈なのに標準語で喋る
他のキャストに対する手抜かりが浮き彫りになってしまうのが悲しい

森繁も故人であるが、
妻役の山岡久乃、長女役の坂口良子、家臣の高品格も故人である

この井上の次女が嫁いだのが神保修理という
会津若松城主・松平容保の家老・神保内蔵助の息子である
神保修理は会津藩では公用方という役職だったらしいが
幕末期に多く活躍し、結構な有名人である。
この修理を演じていたのは国広富之である
「噂の刑事トミーとマツ」の「トミー」である。彼は故人ではない

この人、修理が聡明な人であったことが会津藩にとっては
また悲劇であった
実は会津藩は元は天領であったのだが紆余曲折を経て
会津松平家の領土となり、この藩主の系統が
途中で途絶えた事で松平家、すなわち徳川家から養子を貰う事になるのだ
それが藩主の容保(かたもり)なのである。
幕末ドラマがお好きな方は「京都所司代」の名前として記憶している人も多いだろう
この松平容保は徳川家出身であるから佐幕なのであるが
徳川家の中でも水戸徳川家、つまり勤皇家の水戸徳川家出身なのである

つまり、立ち位置は佐幕であるが血統は勤皇、という裏腹な人物が
会津若松藩の当主だったのである。
京都を舞台として繰り広げられる「攘夷派VS勤皇(尊王)派」の争いでも
厳密に言えば尊王攘夷、佐幕攘夷、尊王開国、佐幕開国の分類が必要であったのだが
肝心の所司代の出自が「尊王なのか佐幕なのか」が煮え切らないところに
大いに問題があった
例えば長州藩は尊王攘夷と佐幕開国で争っていたし
新選組と京都見回り組は佐幕攘夷と尊王攘夷で争っていた。
このどちらをも抱え込んでいた京都所司代はもはやブレブレも良いところである
同じ敵を持つ者同士でも、覇権争いを展開するので
当時の状況というのはかなり複雑だったのである。
薩摩に至っては途中まで佐幕開国であり
土佐は尊王開国と佐幕開国を行ったり来たりしてうやむやにしている
会津藩だけでは無かったのである

当然、有能な当世の官僚だった神保修理は
「開国すべき、諸外国が押し寄せる今、国内で争っている場合ではない」
と説いて回って理解が得られようとしていたのである。
しかし、会津藩の幕僚は松平家の家来であるから
ゴリゴリの佐幕派である。
結局は会津藩は佐幕派のリーダーとなり、容保と修理が
新政府軍を相手に戦う事になるのである。
本当は旧幕府軍が担いでいた首領である徳川慶喜が
「鳥羽伏見の戦い」前夜に三十六計を決め込んだ時点で
雌雄は決していたのであるし
名目は佐幕派だが、心は勤皇派の容保が旧幕府軍のリーダーとは
何とも裏腹な話だと思わないか

結局、この敗戦の責任を取る事になったのは
容保では無く修理だった
ドラマでは修理の父親である神保内蔵助を故人の丹波哲郎が
妻で井上丘隅の次女・雪子を池上季実子が演じ
何れも非業の死を遂げているのだが
一番責任が重そうな松平容保はその後も生き続ける事になる

演じている風間杜夫は
愚鈍な優柔不断なところもあるような領主を
演じていたようにも見えたが
鳥羽伏見の戦いで徹底抗戦するか
会津戦争で早々に降伏していたら
いずれも悲劇には至らず、
平和裏に同じ結論に辿り着いていたであろうことを考えると
如何に松平容保のおかれていた位置が
微妙で本人にも如何ともし難いものがあったのか
窺い知れよう

また、山本八重子(後の新島八重)は
田中好子(これまた故人)が演じていたが
カットインで無理やり挿入された場面にちょろっと現れただけで
片手で腰に当てただけでライフルをパンパン撃って敵を倒していたが
「そりゃ、無理だろう」とツッコミたいがもう死人に口なし。

娘子隊の女傑・中野竹子を演じる岩崎良美は熱演していたが
流石に薙刀を振り回す殺陣だけは
彼女だけがスローモーションで動いているかのような滑稽さ
だから無理なスケジュールで有名タレント集めるから
充分な撮影準備できてないだろ!と言いたくもなる

時代劇とはいえ、建物の中は蛍光灯の白い光で照らされ
やたら燃え盛る日の中で悠然と辞世の句を詠みながら
切腹したりと滑稽な場面も多々あった「白虎隊」であるが
役者の演技力の高い低いがもう顕著で見ていられないところに
細かい歴史ドラマとホームドラマを
たかだか2夜連続8時間程度の中にねじ込もうとしたのは
些か無理があったか

主役級の人たち(他にもたくさんいる)と、
脇を固めるベテラン陣はそれなりに味を出していたが
ゲスト出演感のある登場人物が「間に合わせ」で撮影しているのが
見る側に伝わるようなドラマは観るに堪えないといわざるを得ない
幕末ドラマは登場人物が多すぎてね

NHKのドラマってお金と時間をかけて作っているのが
よく分かるって話ですわ



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