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2020年01月19日06:05

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反省の誓い

最近書いた日記で
1 女性専用車両に絡むニュースに絡む日記
2 歩きたばこに関するニュースに絡む日記
をそれぞれ書いたが
反省すべき点が幾つかあったので記しておく。

いずれにしても僕の立場は喫煙者であり飲酒者であり自動車をしばしば運転し
スマホユーザーの男性である

まず1については
元々「男性専用車両を設置せよ」と主張する立場である。
女性専用車両ができた経緯はご存じの通り
首都圏などラッシュ時に車両が大変混雑する地域を中心に
痴漢行為が多数横行していて、ごく一部の男性が
物凄く多くの女性に迷惑をかけている背景がある

以前に例示したが、とあるアンケートでは女性の9割を越える女性が
痴漢被害にあっていたという数値が出て
「おやおや」と指摘したことがある
という事は、男性の何パーセントが痴漢の加害者なのであろうか
一人が働く痴漢行為の被害者は100人や200人では利かないのか?
或いは検挙されるのはごく一部で
世の中に大量の痴漢が潜在的に存在しているのか?
と指摘した。
実際のところは本当の痴漢行為の被害者は5割もいるまい
というか首都圏や関西など激しいラッシュアワーがある地域以外では
体が密着するほどの混み具合には絶対にならないだろうと
交通機関以外での痴漢行為もあるだろうが
いわゆる露出狂などを除けばそれは婦女暴行と同類の世界であり
まぁ「女性専用車両」とは無関係であろうかと
それはそれで数値がおかしいのであって
アンケートが殆ど女性の主観に基づいているのと
首都圏の限定的な地域でのみ取ったアンケートが
独り歩きしているのが問題なのである

それはさておいても
「女性優遇車両」ではないのであるから
犯罪者ではない男性には全く無関係ではないか?
と考えられないだろうか
列車の中央部に「女性専用車両」を設けたら
それと同等かそれ以上に「男性専用車両」を設けて
痴漢行為とは関わりあいたくない男性が乗れる列車を作れば
万事うまくいくのではないかと思うのだがどうだろうか
というかこのジェンダーレスの時代に
「男性」と「女性」だけで性別を分類すること自体が
とてもリスキーな事であるのに
その点には踏み込まない事自体が
マイノリティを無視した問題行為であろう

「悪いことをする男がそもそも悪い」
と主張する人もある事は認識しているが
それはその当人たちが悪いのであって
大多数の男性は無関係なのである。そこを無視して
被害ベースで物事を考えても絶対に議論は成立しない

なので男性から見ると
「普通車両」に乗り込んでくる女性が邪魔なのも
多くの女性が匂いがきつくて迷惑していることも
それはそれで事実なのであるが
そこはお互いさまというか
迷惑行為をしているのは「女性」ではなくて
「その人」だという考え方が欠如していると
僕は思っている

その上で、些か主観的に
「そうだそうだ、その通りだ」的な意見を
しばしば述べてしまったことについては
素直に反省はしたいが
決してとち狂っているわけではない

「女性専用車両」を廃止しろ!とは言っていないのである
そのメリットを十分に活かせない問題を
男性も女性も真剣に考えないのが悪いのである
そんな事よりは移動中にスマホをいじり続ける方が
往来の邪魔だと主張したいだけである
同意が得られるかどうかは分からないが

2については
まぁ、迷惑している人たちの舌鋒が鋭いのは
理解しているが
そもそも喫煙権が認められていないので
落ち着く場所がないのが悩みどころなのである
これは家族間においても同様であり
かつては副流煙による健康被害を訴えていた人たちは
電子タバコが登場すると
今度は喫煙者の健康被害が保険料の引き上げに繋がっているとか
社会を停滞させるなどと主張し始めているので
それよりは。。。と反論したいだけであるが
副流煙や歩きたばこの実害についても
「煙たい」「危なっかしい」
以外の実害は数値的には甚だ怪しいのであり
我々が子供のころと調べたら
街はとても安全でクリーンになっていると思うのだが
さらに何がどの程度必要なのだろうか

健全な社会を目指すのは結構だが
「自分が迷惑している」
のと
「社会で取り組んでいる」
の違いは大きくて、それを議論したい

大多数の人が、
実は殆どの迷惑に対しては辛抱して
対人バランスを取ろう、というのが実は「社会の取り組み」なのである
それではまずいぞ、という部分は法的対処をしたり
啓蒙キャンペーンにしたりしているが
社会の取り組みの正体は本人の自助努力から始まっているのである。

近年の傾向としては
寛容性というか多様性というか
色んな人の色んな生態と融和しながら
自分の迷惑などに気が付いたら
可能な範囲で相手に気遣いをして
迷惑だな、と感じたら当人に配慮を求めたり
という積み重ねを重んじているのではないだろうか

つまり
「自分には言えない」「言いにくい」
「だから社会に訴える」
ではなくて、そこは言葉や行動に移すことが大事なのだと
感じるところである

まるで社会的弱者の代表のような態度で
自分が行動に移せない事自体を問題視しないで
ネットで騒いだり、「もっと気遣いしよう」と述べるだけでは
結局、やったもん勝ちの世の中を助長することに繋がりかねない
迷惑行為の根源にある存在は
そんな意見には耳を貸すわけではないからだ

そうやって考えると一つ一つの自分の意見も
「自分はこうだから、社会はもっとこうすべきだ」
みたいな横柄な意見を僕も述べてしまっている
そういう自覚が最近強く芽生えてきた
これについては改めて反省したい

いつまでこの反省が続くかは知らないけれども
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