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2020年01月09日16:15

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氷河期とはマンモスが絶滅したアレかい?

どうして彼女たちが苦労したのか
この問題と真摯に向き合う本記の筆者の姿勢は高く評価したい
だがしかし
氷河期には複数層の氷河期が存在し
「氷河期」「超氷河期」「超超氷河期」…と就職活動自体が
社会の最大の問題になった時期もあったではないか

同じ世代に生きる僕は、斜陽産業の会社に自ら進んで入社したクチである
就職試験の応募は200社以上、実際に試験を受けたのは60社以上、
その中で入りたいと思った会社は20社程度
最終面接までは5社、内定1社、次点が2社。
学業が振るわない中、高校卒業前から自分の社会人としての適性を模索していたのだが
資格取得や公務員と言ったコースでは
本記の女性のように計算が狂ったときに取り返しがつかないだろうと考え
田舎の大学なら国立大学のみ、都市部の大学は名のある私立大学のみ
に志望先を絞り、大学も浪人してから希望の大学に進学した

貧乏人の両親の家だったので、親からの愛情以外の支援は
求めないと決めていた。
高校生の時から父親の仕事が不安定になり
奨学金という借金無しでは進学は厳しいだろうと予想し(その通りだったが)
最悪だった成績を引き上げる努力をした
学年で1050人中898番だった成績は一時期は30番台にまでジャンプアップした
それもこれも推薦入学などで希望の大学に進めば
余計な受験代が節約できるからである
その願いも悲しく、スポーツ推薦組に志望校の指定校推薦は奪われたため
本試験での突破を目指した
残念ながら遅すぎた受験勉強の開始は間に合わず、
志望校ではない大学しか合格通知は得られなかったが
その後、苦労する事が目に見えている地域の学校は行くわけにも行かず
浪人する事になった
予備校は「特待生制度」がある所にした
そこの試験さえ通れば学費は無料で入学金も半分納めれば
後は通うだけ、という所が何校もあったので
自宅から近いところを選んで
特待生になってそこに通った

マスコミ志望であったから、志望校やコースが限られていたのであるが
逆に目標も絞られていたので対策も取りやすく
勉強は捗ったように思う
お陰で就職先も紆余曲折を経たが希望の方向で決着した

結果的には大学のゼミの先生に学業で足りなくなりそうな単位で
手助けしてもらったので助かったが
そのゼミは研究者向けのゼミで
文系なのに半分近くが大学院に進学するところであった
教官と対立したため追放されてそのゼミに回ったのだが
教官に自分が強い就職希望を伝えると卒業を助けてくれたのである

現在も勤務するこの会社の入社試験も過酷であった
400人以上が試験を受けて採用は12人
筆記だの面接だの小論文だの、何回にも分けて行うのだが
実に面倒くさい
「全部一回に出させて、面接を何回もやった方が良いのでは?」
と進言したのは会社に入ってからだが
このやり方では運不運も関わってくる感じであり
自分には運も味方していたのだなぁ、と最近になって思う

さて僕自身の経緯をさらっと書いたが
どの程度のプランをもって学生時代に臨んでいたか
お判りいただけたであろうか
苦労している、などと言っている人たちは
「ぼーっと」学生時代を過ごしていたんじゃないのだろうか

因みに僕はスポーツはサッカーをやっていたが
スポーツ推薦がもらえるレベルではない、貰ってもその先は無いと
はっきり分かった中3の夏から
競技性の高い高校などのサッカー部を目指すのを止め
社会人のクラブチーム(娯楽性の高いチーム)に所属を変えた。
因みに市の選抜チームには選出されていたので
実力はそこそこの水準ではあったと思うが、それはまた別の話。
大人に幾ら期待されたり褒めてもらっても
自分の人生にプラスに働くかどうかは別の話だろう?
スポーツとは人生設計とは別に「自分が楽しむためにある」と
明確に意思を持ってやっていたからである

それに競技性の高いスポーツなんて
怪我したら一発で方向転換を余儀なくされる
貴重な青春時代を「うまくいくであろう」連中の添え物で過ごす余裕なんて
どこにもなかったのである。

就職するか、起業するか、はたまた何か芸事を始めるか
大学を出る時には決めなければならないのは
ハッキリと判っていた。
高校に入ったら16歳。
腹を決めなければならないのは就職活動を開始する二十歳までに
大学がモラトリアムの延長期間だと考えるにしても
親の資金的援助は必ず結果に結びつくという確信がない限り
求めない事に決めていたので
殆ど時間がない、と考えていたのである

当時はそういう言葉は無かったが
「ブラック企業」に入る事は絶対に避けようと思っていた
労働組合があるのかどうかを入社試験前に確認したのは僕ぐらいだったと
採用担当が言っていた
現に朝から晩まで馬車馬のように働いて
ゴミ切れのように棄てられた高卒就職の友人は
別の会社に就職してやっと
゜前の会社はブラックだったんだ」
と知ったという。
90年代後半は未曽有の不景気が我々を襲っていて
採用活動以外に労働環境においても暗い影を落としていたのである。

当時はコンプライアンスとかガバナンスとか
そういう言葉も一般的に使用されるに至らない企業が殆どで
「企業の社会貢献」等も一部のお行儀が良くて品格のある企業以外は
ブランドイメージを上げるためだけの営利活動の一環であった
当然、安い賃金で高いパフォーマンスを発揮する社員は
会社には有り難い存在であるが、その人の賃金が上がってしまうと
忽ち「ありがたくも何ともない」存在に転落してしまう

女性社員の大半は「一般職採用」などという
言葉のすり替えで入社した「男性社員のお嫁さん候補」ばかりで
中長期的なスキルアップなど会社も期待していなければ
本人も自覚なく、漫然と過ごしていたのである
少なくとも平成元年には
「男女雇用機会均等法」なるものが施行されて
社会には働く若い女性が溢れかえる筈だったのに
視界の中にはやはり大部分を男性が占めているというのが
当時の企業の風景では無かっただろうか

ある企業が男性にも女性にも同じ機会を与えると言って
有期雇用のスタッフ全員に「正社員採用試験」の案内をしたところ
声をかけたのは男女半々だったのに
受けて来たのは「男9:女1」という結果だったという
正社員になれば労働組合にも走らねばならないし
急な転勤も発生する
それに昼も夜もお客の都合でぶっ通しで働く場合もある事を
彼らは知っていたからである

だから、そこでチャレンジした人としなかった人に
待遇の格差やその後の違いが諸々発生しても
別に以外でも不思議でもないだろう

本記にもあるが

 「保育園に預けて働くという選択肢はなかったんですよ。やっぱり子供が小さいときはそばにいてあげたいから。自分が満足するまで一緒にいたかった。周りは専業主婦が多かったんですね。腰掛で就職して本当にゆったりしたんだなと思いますよ。それが流れで当たり前だったんです」

とあるが、それは違う。
僕も家内に専業主婦の選択をさせる時に感じた事がある
「離婚は出来ない」し、「仕事も途絶えさせられない」
つまり、家内に対して育児が完了するまでは
絶対に責任を持たねばならないと強く感じさせられたのである

その時その時に、中長期的に社会の情勢を確認していないのが
ベストを選択していない原因にあると思う
当然、ベストを尽くした人とベストどころか漫然と過ごしてしまった人の間には
色んな格差が生まれて当然である
にも拘らず、仲よく同水準で文明の利器のメリットを享受しようだなんて
虫の良い話じゃないか
背伸びしてゲットしたもののツケは後でブーメランのように帰って来る

僕の試算では
多少しんどい思いをしても良いのなら
年収400万近くあるのなら、子供は二人までなら育てられると思う
共働きの場合はどうか知らないが
住居費と生活費はある分だけで生活すればよいのである

「人並みに」って何やねん
大事な時期に人並み以上に努力した人と
そうでない人の格差は
これからゆっくり味わえば良いと思う。

そんな具合で自分や世間の危機を感じながら
今日までやってきたわけである
明日以降の社会の展望も暗いと思うので
投機的な儲けは欲していないが
財産形成に余念がない僕であった。。。。


国の支援も手遅れ……「就職氷河期第一世代」の女性が味わった絶望とは
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=diary&id=5929528
 就職氷河期世代――、またの名を『ロストジェネレーション』が世間を賑わせている。

 「就職氷河期世代」はバブル崩壊後、雇用環境が特に厳しい時期に就職活動を行った世代で、希望する職に就くことができず、現在も不安定な仕事に就いている人が多い。政府はこの世代の正規雇用を増やすといった目的で、ようやく「就職氷河期世代支援プログラム」を打ち出した。

 82年生まれの筆者もロスジェネ世代真っただ中で、就職には苦労した。同世代の大卒女性たちは、アグレッシブで真っすぐな性格の女性たちが多かった。そんな女性たちが、エントリーシートを何百社に送ったのにも関わらず、落ちて死んだ目になる姿をまざまざと見せつけられてきた。

●「氷河期第一世代」の女性が味わった苦難とは

 特に地方在住の大学に通う同期は、Uターンの先である地元の就職先がないため、都会に職を求めざるをえなかった。ぴっちりとしたリクルートスーツを着込み、なけなしのバイト代を夜行バスにつぎ込んで、幾度となく上京しては往復するという生活で金が飛ぶように消えていった。

 当然学業はおざなりになるが、就職戦線で勝ち残るためには当然という空気感だった。それでも、正社員として就職できた同期には羨望のまなざしが向けられた。業務委託や契約社員という雇用形態が当たり前だったからだ。就職できないのは『自分の至らなさ、無能さ』のせい、自己責任だとされた。

 そして、運よく入社できた先にもブラック企業などの別の地獄が待っていた。これが82年生まれのロスジェネである私が見た風景である。

 しかし、一口にロスジェネといっても、置かれている環境や年代、そして運などで見える世界は人それぞれだ。高卒で社会に出たロスジェネ女子はどんな苦労があったのか――。通常は、入り口から躓(つまず)くのがロスジェネだが、失速型のロスジェネもいる。

 依田律子さん(仮名・46歳)は、バブル崩壊後の最初の世代にあたる氷河期第一世代だ。

●「バブルの名残おじさん」におごられる日々

 可愛らしいルックスで、おっとりとした話し方をする女性である。律子さんは、地方の高校卒業後、学校の推薦で「特に苦労することなく」大手旅行会社に就職した。当時の手取りの収入を聞いて驚いた。なんと手取り30万円だという。そして律子さんは寮生活だったため、生活費もほぼかからなかった。

 「当時はまだ高卒をいっぱい採用する流れがあったんですよ。氷河期といっても、『バブルの名残おじさん』という人たちが周りにはいっぱいいました。お財布がなくても、ご飯を食べているとおじさんたちが伝票持って行ってくれて、ワインも持ってくれる。不景気なんて全然という感じで、怖いものなしでしたね」

 同じ氷河期世代なのに、時期や就職先によって見えている世界はこんなにも違うのかと愕(がく)然とさせられる。律子さんは、20歳で結婚して2人の子供を出産。当時は寿退社が当たり前で、夫も高卒上京組だったが、勤務先が一部上場企業なので生活に不自由はなかった。

 「保育園に預けて働くという選択肢はなかったんですよ。やっぱり子供が小さいときはそばにいてあげたいから。自分が満足するまで一緒にいたかった。周りは専業主婦が多かったんですね。腰掛で就職して本当にゆったりしたんだなと思いますよ。それが流れで当たり前だったんです」

 筆者の同世代の氷河期世代の夫婦は、周囲では共働きが多く、「ずっと子供のそばにいてあげたい」と思っても、それがかなわない同世代もいる。夫婦二馬力でないと、とてもではないが経済的に家庭を維持できないからだ。しかし、夫が高卒で公務員だったり、専門性の高い職種で安定した年功序列型の給与水準だったら、一気に勝ち組になる。

 律子さんが、「こんなはずじゃなかった」と感じたのは、8年後に夫と離婚してセカンドキャリアの道を歩んだ時だった。働きたいという思いもあり離婚の1年前から福祉関係の仕事の働き口を見つけたが、正社員でも額面で年収380万円――。8年間勤務したが、年収ベースでわずか30万円ほどしか給料は上がらなかった。

●二極化進むロスジェネ女子

 バス会社時代はいくら遊んでいても、100万円は貯金できた。専業主婦で社会に出たとしても、まだ20代後半だし、職場復帰すれば年相応の若いころに夢みていた大人の暮らしをできると思っていた。だから高卒で就職した段階でロスジェネを実感することはなかったが、離婚で歯車が狂った。

 「今の人たちを見て、本当によくやってるなと思います。私がもし今子供を身ごもっても、産むという選択肢はゼロですね。今の時代で育児をするというのはすごく大変だと思います」

 律子さんが言う個人的な誤算は離婚だが、子育て後に放り出された社会の現状があまりに様変わりしていたのも事実である。彼女はその後転職したが、その先はブラック企業で心を病んで退職。現在、サービス業のアルバイトとして働いている。時給は1050円で上がる見込みはない。かつて夢見た「年相応の給料」からは程遠い……。

 政府は、「就職氷河期世代」の正規雇用者を3年間で30万人増やすことを目指して、650億円を上回る財源を確保。19年度の補正予算案におよそ30億円を計上し、「就職氷河期世代」の支援に積極的な自治体への交付金を創設するバラマキ政策をやるようだ。この交付金を運用する新たな部署を内閣府に設置するそうで、西村康稔経済再生担当大臣は、「上から目線ではなく、現場の声に耳を傾けてほしい」と職員らに訓示したというが、ガチで当事者に寄り添う気はないだろう。

 私の周囲のロスジェネ女子たちは、すでに二極化が進んでいる。年功序列の会社に就職できた人や何とか会社でポジションを得た者(それでも給与体系の不満は大きい)、そして派遣やアルバイトなどで食いつなぎ、諦めモードながら婚活で二馬力生活を夢みる人たちだ。

 貧困で生活保護へと移行する人たちも徐々に出始めている。

 当時、就職活動やその後の人間関係に疲れ果てたロスジェネ女子たちの間では、『就職鬱』という言葉がひそかに流行っていた。そのぐらい就労に関しては、思い出すだけでもつらい経験を持つ人が多い。

●「ロスジェネたった10人」を採用する厚労省

 ある同期の氷河期世代の女性は、『固定給』という違法労働の名のもと、朝9時から夜12時まで寝る間もないほどに働かされた。残業代も出ない。その苦境を父親に相談したら、『石の上にも三年だよ』とあしらわれたという。

 今でこそ毎日のように氷河期世代支援のニュースが巷(ちまた)を賑わせているが、年功序列が当たり前だった親世代は、無慈悲なほどにロスジェネの現状に無理解だった。ブラック企業で挫折しても、『怠け者』と親や親戚から攻め立てられ、ひきこもるようになったロスジェネ世代も数えきれないほどにいる。そのツケは、8050、7040問題として社会に表出してきている。ロスジェネの受けてきた仕打ちは理不尽極まりない。

 厚生労働省は、就職氷河期世代の10人を採用するらしい。たった10人! 採用されるのは、氷河の上をスケートでもする超エリートなのだろうと皮肉りたくもなる。時すでに遅しだが、国の対策はもちろん、この世代に対して社会の見方も変化する時期を迎えているのではないだろうか。

筆者よりお知らせ :連載「ロスジェネ女子の就職サバイバル」では、実際に就職やキャリア遍歴で苦労や悩みを抱えたロスジェネ世代(1970年〜1982年生まれ)の女性で、お話を伺える方を募集しております。lossgenesearch@gmail.comまでお寄せいただければ幸いです(送信の際は「@」を半角の「@」に変換していただければ幸いです)。

菅野久美子(かんの くみこ フリーライター)

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