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2019年12月02日22:38

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死刑と無期懲役の間に

法で裁くということの難しさを痛感する
仮に僕が法律であったら間違いなく死刑を宣告している被告ではあっても
感情や復讐目的での死刑宣告ではなく
法で裁く死刑というのはこれは難しい

合理的判断で更生の余地が全くなく
たとえ捕らわれの身であっても生きて罪を償うという選択が
許されない刑罰が死刑である
実は僕は死刑制度反対論者で
懲役100年でも200年でも或いは
死ぬまで苦痛を味わい続ける拷問刑なんかを作ってでも
死刑は周りの感情で決めすぎている

遣る瀬無いから死刑、というのは
理性をもって社会を構成している我々としては敗北である
殺せば良いというのなら
少しでもはみ出した者を片っ端から死刑にすればいいと思うのである
ましてや
見た目で罪の軽重など決めてはならないし
学歴や性別や年齢も判断基準になってはならない

ただ
そういう一般市民の生活を侵害した者に対して
厳しく当たりすぎる社会は誰も望んではいないだろう
だが逸脱者を許しすぎるのも良くないし
被害者感情に寄り添うというのも
法の精神とは少し違うと思う

誰もが被害者にも加害者にもなりうる前提で
やられてもやり返さない前提でないと
死刑を回避する明確な理由は見当たらないだろう
最高裁はそうとも言っていないのだが

「あんなやつ、死刑にしてしまった方が」
という感情が判例に反映されてはならない
僕は「まず」そう思う
被害者の家族が「殺したい」と思っていたとしても。
もし許されるのなら
被害者(家族)は加害者に復讐してもいい、という
法律ができるのならどうだろうか

最終的には戦争になってしまうだろう
たとえ自らの道連れに通り魔殺人を犯した犯人であっても
簡単に死を賜ってはいけない、と
冷静に考えたら思うはずだ

薬なんかやらなくても、頭がおかしい連中だって
世の中にはたくさんいる
彼らの人権についてどう思うのだろうか
僕はそっちの方が社会には有害で危険を孕んでいると思うけれども
罪がなければ裁けないし
誰もがそうだが犯罪を犯すまでは誰もが無罪である

僕が問いたいのは
刑法とは罰を与えるためにあると信じているのだとしたら
それは違うと言いたいのである
復讐を抑止する為か
更生を促すためか
犯罪を抑止する為か
その為に見せしめに刑死を世に晒すためにか

裁判員制度は審理を迅速に進めるための制度で
一般市民である裁判員の感情を判決に反映させるための制度ではない
死刑の在り様について
市民感情で決めるのは良くないと
誰だって分かっているだろうに


■「裁判員制度、何のため」=極刑回避に遺族―大阪・ミナミ通り魔
(時事通信社 - 12月02日 19:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5886801
 大阪・ミナミで2人が刺殺された通り魔事件で、最高裁が二審の無期懲役判決を支持した2日、亡くなった南野信吾さん=当時(42)=の妻有紀さん(49)は東京都内で記者会見し、「こんな判決を聞くために7年半も待ったのではない。裁判員裁判の死刑判決が覆されるなら、制度を導入した意味はあるのか非常に疑問だ」と涙ながらに訴えた。

 3人の娘と共に判決を聞いた瞬間、悔し涙が止まらず、しばらく席から立ち上がれなかった有紀さん。遺影を前に臨んだ会見では何度も声を詰まらせ、「制度導入前の判例と比べるのはおかしい。公平にというなら、2人を殺した被告は2度死ななければならない」と憤った。
 有紀さんの手を握り同席した長女(14)も「母の努力や一審で頑張ってくれた裁判員の気持ちも無駄になってしまった。制度の意味をもう一度考えてほしい」と目を赤くした。
 一審で裁判員を務めた会社員の男性(53)は取材に対し、「失望感しかない。死刑にならない悪い例を作ってしまい、被害者に顔向けできない思いだ」と声を落とした。 
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