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2016年01月25日01:18

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MAY

MAY、という曲は
デビュー以来、斉藤由貴の曲を聴き続けていた
思春期終盤の僕にとって衝撃的な女々しい曲であった。
実際は谷山浩子の歌詞で谷山ワールドの
それであったのだが、斉藤の声に乗せて
世間に届けられるのであるから、斉藤の曲である印象の方が
強いのであり、斉藤のイメージと被せて感じられるものであるとしたら
やはり斉藤の「MAY」はそれまでの斉藤の歌と比較しても
格段に女々しい歌詞であり
思春期男子の胸には斉藤の声で刺さってくる。

片思いがテーマではあるのだが
実に実に女々しいものであり
斉藤ほどに見た目に麗しく声も整った存在が
このような世界感を持っていることに対して
漸く捨てかけていた女性に対する幻想を
再び抱かせるに十分な幻惑が伴っていた。

大袈裟な話になってしまうが
男性とは性の目覚めと共に
女性に対する幻想は少しずつ捨てていくものなのである
それでも清純で汚れない雰囲気を醸し出すに十分な
MAYが放つイメージと
やはりどこか超然的であり
「んなわけないやろ」的な斉藤の存在が
再び一般人男性との距離感を持って感じられる
特別な曲である。

80年代のポピュラーソングの中において
絶滅していく「アイドル路線」の
火消し的存在の旗手の役割を果たしつつあった斉藤が
再び「MAY」を歌うことで「アイドル健在」を確認できたのは
ある種幸せでもあったが
彼女のレコードセールスの低迷と合わせるように
この路線の楽曲のセールスは破滅的に低下していくのである。

後にモーニング娘。の台頭や
アイドルが小室の曲を歌って大ヒット、という新しいCDセールスの世界が
確立されるまでの
僅か何年か前のことである。

動画では同じことを
シンガーソングライターの谷山自身がセルフカバーしたものも
流すのであるが
谷山では不可能で斉藤では可能なその役割の違いが
アイドルの仕事であったのではないかと
僕は感覚的に捉えている。



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