豊田さんの話しの続き、、、、、、忘れ無いうちに文章にしておきますね。ただ、聞き間違いや豊田さんの記憶違いがあるので、、、ご指摘くださいね。ミッドウェイから帰って佐世保に入院していたのだけど、早く復帰させてくれ、と言っていたら入院中に「上等飛
343空の偵察第4飛行隊で彩雲に乗っていた杉野さんから電話がありました。杉野さんは松山空港そばの南吉田町と言う所にお住まいなのですが、、、、今日の電話の要件は、、、この南吉田町に残っている旧日本海軍の掩体壕を保存する活動が始まって「設立準備
豊田さんの話しの続き,、、、、、、、、これが、ナマナマしくて、、、、ご本人は時系列で淡々と話しているのですが、、、、、やはりこういう話は生きている内に聞いておかなければなりません。豊田さんは西条市の丹原町の農家の6人兄弟の4男坊、、、だけど
忘れないうちに、、、どなたか情報をお持ちでしたらご教示下さい。豊田さんの話しの中で、、、わしが初歩練習機の頃の部隊の副長が「玉井浅一」さんでね、、、、、この人は後にフィリピン特攻の時には201空の司令だったんだけど、、、甲飛の1期の同期で松