mixiユーザー(id:6213541)

2020年08月03日00:08

77 view

興居島ヨーソロー

343空の紫電改の笠井上飛曹「現在も伊丹市に健在」から、度々聞いた話、、、、訓練から松山基地に戻る時には松山三津浜港の沖合に浮かぶ興居島を目印にして、いったん陸地側に入り松山城を目指して道後温泉の上空で遊郭のおねーちゃんにエンジンを一発、吹かしてご挨拶してから着陸するのだとか、、、、

その興居島に今日,行ってきました。
それと言うのも、、、数年前に私の友人がバイクの事故で亡くなっていたのですが、、、お墓が実家のある興居島にあって、いちどお墓参りに行こうと計画していたのですが、、、、そのお墓が御手洗地区にある、、、と言う事で、、、そういえば、確か、この御手洗に「イ号33潜水艦」の慰霊碑がある、、、と聞いたような、、、、と、いう事で調べて見ると、海沿いの道路の山側に慰霊碑がある事が判明、、、墓参りの後、探していく事にしました。
、、、島とは言っても、わずか2キロ程度の水道を挟んでいるだけの距離なので高浜港から連絡フェリーで10分、、、30分おきに往復しているのですが、、、島に渡ると別世界、、、、のんびりした漁業と「島みかん」の栽培で生計を立てている島なんですね。
友人の墓は海に張り出した半島の中腹「海抜20メートル」付近にあったのですが、、、なんと不思議な事に「イ号33潜」の慰霊碑は、その友人の墓の真下の海岸沿いにありました。
、、、、で、以前にもこの日記で紹介した事があるのですが、、、、昭和19年6月、呉を出港したイ号33潜水艦は松山沖の「由利島」付近で潜航試験を行います。この由利島と言うのは日曜日の日テレの鉄腕ダッシュに出て来る「ダッシュ島」の事なんですけどね、、、
潜航を始めると浮上タンクの弁に木片が挟まりブローが出来なくなって水深30メートルの海底に着底します。艦長は司令塔に居た者を脱出させますが水圧や浮上に成功した者も力尽きて、結局、2名のみ助かります。
戦後、9年経って、遺族の希望によりこの潜水艦を引き上げる事になり、由利島沖で浮上させ、この興居島の御手洗湾まで曳航してきて艦のハッチを空けたのでした。艦内で浸水した所からは白骨化した遺体を回収したのですが、魚雷発射管室は水密で浸水しておらず、開いた所、生きた姿のままの9人の遺体が出てきたのでした。室内の酸素を吸いつくして無酸素状態となり海底の低温で白蝋化したのでしょう。
ただ、不思議な事に当時、水兵は丸刈りであったのに遺体には数センチの頭髪が生え、爪も伸びていたそうです。
このあたりの話は詳しくは「吉村昭」の「総員起し」を読んで下さい。
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する