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2020年04月05日06:48

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戦後46年目の「エースのミーティング」

戦後、46年経った1991年12月、アメリカ、テキサス州ミッドランドで「CAF]
主催で「パールハーバーアタック46周年、日米エースパイロットの集い」と言うイベントから招待されて、当時の「零戦搭乗員会」から元搭乗員、5名を派遣する事になり、、、、「小町定/当時の事務局長」、長野県の「原田要さん/長野支部会長」等、、、そして愛媛支部からは「藤本速男」さんが参加、家族連れを入れて総勢20名のツアーです。
[ CAF ]とはコンフェデレート、エア―フォース/南部州空軍」と呼ばれる、退役軍人の戦友会とクラシック飛行機を動態保存してアメリカ各地の航空ショーでムスタングやグラマンを飛行させる活動を行っているマニアが合わさったような団体です。

この時のツアーで、カリフォルニア州のチノにある「プレーンズオブフェイム」で一行は実際に飛行する「ゼロ戦」と対面、操縦席に座る事も出来ました。
また、各地で熱烈な歓迎お受けて意識が変わったそうです。
、、、このイベントの際に藤本さんは主催者に対して「1945年4月03日に喜界が島上空で撃墜した相手、、、その2か月前の2月に千葉県多古町上空で自分を撃墜した後、撃たないで旋回して見守った相手のパイロットの消息を知りたい、と伝えていました。

この当時、沖縄周辺はアメリカ軍が制空権を握っていたので、この落下傘降下したパイロットは救助されて活きている、、、と思っていたのでした。


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