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2020年04月03日23:25

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撃墜した相手の遺族との交流、、、その1

1945年4月03日、、、、まさに75年前の今日です。
沖縄が占領されて連日のように特攻が行われている時、、、茨木県の百里基地から九州に進出していた池田速雄一飛曹「松山市北条辻」たち戦闘310飛行隊は喜界島上空で飛行場を攻撃中の戦爆連合のアメリカ軍機を発見、、、、、優位から攻撃を仕掛けます。
この時、他の零戦に追われたのか、、、目の前にグラマンF6Fヘルキャットが横切り、これを追撃して機銃弾を撃ち込むと、やがて翼の付け根から煙を吐き出しパイロットは脱出、高度1500メートル付近から薄茶色の落下傘が開きパイロットがモゾモゾと動いているのが視認できました。
池田はこの落下傘の廻りを旋回しながら、、、このまま「撃ち殺してやろか、、、?、、」とも思いましたが、動いている生身の人間に機銃弾を撃ち込む事は躊躇われました。
それと言うのも2か月前の2月に千葉県の多古町上空で同じく、グラマンF6Fと空戦して池田機は被弾、、、燃える零戦から脱出、、、落下傘にぶら下っている時に、同じく、グラマンが旋回して「ああ、、、撃たれる」と覚悟をしていたのですが、、、このグラマンは旋回しながら地上に降り立つのを見届けて、去ッて行きました。
この時、池田はアメリカ軍にも「武士の情け、、、武士道精神に似て騎士道精神のような物があるのか、、、」と思ったのでした。

この日、同じ愛媛県大洲市出身の梅林輝義一飛曹もグラマン1機を撃墜した、、、と報告しているのですが、、、梅林機も被弾、、、近くの島に不時着したのでした。

                          続く
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