mixiユーザー(id:62080545)

2020年04月08日09:22

28 view

詩的現代32号〈詩集・詩書時評(30)〉1/3

           生命を奪う「正義」がどこにあるのか

 中国の大都市武漢の市場から発生した新型コロナウイルスで発症した患者が数万人、死亡者が数百人を超えて終息する気配もない。感染は世界中にひろがり経済面にも悪影響が現われてきた。地域や季節限定のエンデミックやエピデミックからパンデミックに迫る勢いでこの言葉が現実味を帯びてきた。一刻も早い事態の鎮静化を切に願う。さて、話題を転じて先日、「どうしてぼくたちは幸福になれないのだろう」という特集でTV番組が放送された。日々流通する大量の情報入手は、ネット時代のグローバル化によって世界規模に広がったが、国内では熱狂しやすく冷めやすい国民性によって残念ながら使い捨てされる傾向にある。自然災害や事件・事故を扱った報道もすぐ別の話題に切り替えられて見向きもされなくなり、熱狂しやすいスポーツ情報や芸能ネタに取って代わられてしまう。いま真に語られ討議されなければならない深刻で重大な人類規模の危機や、将来への不安を払拭すべく長期計画で着実に実施する必要があるのだが、わが国では政権維持や改憲の必要性が強調され、コロナウイルス対策を口実に推し進めようとする動きがみられるという。なんと国民を愚弄する話なのだろう。憤慨が治まらないが、「幸福になれない」話題にもどろう。タイムラグなしに世界各地の情報が同時配信される時代を人類史上初めて経験している。テクノロジーと科学の進歩がひとの暮らしレベルから遠ざかって隔たりがひろがってゆくのを危惧する。日常における現代人は、パラドックス的に《幸福感》を得る要素である希望ある未来を先送りにした経済論理の前で蔑ろにされ劣悪な時代を生きているのかもしれない。先日ラジオで、経済格差とひとり親が原因の「放置子」と呼ばれる子どもらの実態を耳にして愕然となった。ネットで調べると「放置子」による迷惑行為を逃れる対処法がアップされていて、その実情を知り心底驚いた。親の愛情や教育、世間の常識を教わることもなく「放置子」が大人になったとき、根深い怨恨を晴らそうと深刻な犯罪が横行する社会を想像するととても不安になる。背景には国勢調査でのひとり親世帯数が一四二万世帯にのぼり、「小一の壁」によって行き場を失った彼らが相当数に膨らんでいる現状である。もはや家庭の問題に収まるものではなく、地域行政や社会問題化しているにも関わらず政治は弱者救済を怠り手付かずなのが実態のようである。それらのことを頭の片隅に置いて、地元紙面に掲載されていた高橋源一郎と中村文則の新春対談記事を読んだ。すると内容が「放置子」問題と通底しているようにおもえた。高橋は、「今の政権で一番問題なのは、言葉が毀損されていること(略)不寛容の一番怖いのは、差別をする、虐待するということよりも、言葉が通じないことが当たり前になって、そのことに痛みを感じなくなること(略)社会全体が経済の論理で動こうとしている」と指摘した。一方中村は、「公正世界仮説という心理学用語があります(略) 世の中は公正で安全だと思いたい。だから何かの問題や被害が発生すると、それを社会ではなく個人のせいと考える」。紛争地に赴いた報道カメラマンが捕虜になり殺害されたとき、「自己責任」という言葉がネット上で多く書き込まれた。今回のコロナウイルスでは、武漢在住邦人の大多数を三機のチャーター便で救出した。救出者に対するチャーター機の費用請求が報道され、批判的意見によって請求を引っ込めたが、邦人救出予算は民間人を救出するためではなく、出動する為政者側の予算であるらしいことがわかった。いかにも官僚が考えそうな発想だ。高橋は言う。「日本では、どこかで社会や公が遠い。公は自分たち個と切り離されたところにある。(略)誰かが暴れると空気が汚れるので、酸欠になるからやめてくれ、というのが日本の公です」と。同調して中村も言う。「人権や多様性を重視する考え方はどんどん縮小していく」と。とくに首肯した言葉が高橋の、「人々からの声に一切応答しない、それは、社会や政治の最悪の形態だ」と、中村が言った「息苦しい社会になったし、データでは精神疾患を抱える人の数もかなり増えている」であった。彼らが指摘した発言内容は、「放置子」問題の将来像を的確に照射する。一方、日本人の実直な真面目さを体現していた、アフガンの貧困地域で活動してきた医師でペシャワール会現地代表の中村哲が武装集団の待ち伏せに会って襲撃され死亡した。その直後から評者は彼の気質を考えていたが、地元紙の「論壇時評」で中島岳志、「中村哲という生き方」で中原興平の連載記事に先行された。気を取り直すきっかけは、TVのコメンテーターで評論家の寺島実郎が中村の活動を「善意」と呼び、ジャーナリスト青木理が「理想実現への努力」と発言するのを聴き、違和感をもったからだ。中村の人となりは、強い意志は感じられても「私」の押しつけは感じられなかった。大乗仏教の根幹である利他主義、利他の精神、救済のために心を砕く無私の精神を感じていた。彼はキリシタンだったが、座右の銘は《照一隅》だった。これは真言宗開祖最澄の「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」の成句で、「それぞれの立場で精一杯努力する人はみんな、なにものにも代えがたい大事な国の宝だ」という意味である。そこにも彼の揺るぎない信念が窺えた。中島は奈良時代の僧・行基を想起した。「大乗仏教の精神に基づき、灌漑用池や堤を造るという土木作業に従事した。当時の律令国家では、寺院を飛び出して宗教活動を行うことが禁じられたが、行基は人々の救済を優先し、社会の中で汗をかいた。それが彼の宗教そのものであり、求道のあり方だった。/行基は、厳しい弾圧にあったが、民衆の支えが力となり、やがて国家権力が彼の力を必要とするに至る。(略) 土木は本来、利他的行為であり、その中核には宗教的救済の精神が存在した」と、「利他行為」の観点から文章を書いていた。中村の地元には「川筋気質」という「義侠心」に通じる言葉がある。「義侠心」とは、命を捨てても信義を重んじる自己犠牲的精神のことで、「川筋気質」とは筑豊から若松を通って響灘に注ぐ遠賀川を船で石炭を運ぶ荷役労働者たちの共通した性格を指した言葉だ。「理屈をこねない」「竹を割ったような潔い性格」「宵越しの金を持つことを恥とする」といった気質のことである。火野葦兵が『花と竜』で描いた任侠世界の住人たちと同質のものと言っていい。火野は若松で沖仲士(港湾労働者)「玉井組」を営んだ玉井金五郎の長男だ。中村は金五郎の孫で火野の甥にあたる。祖父金五郎が亡くなった後一家を取り仕切った祖母マンはしつけに厳しかった。「率先して弱い者をかばえ」「どんな小さな命も尊べ」。その説教が「自分の倫理観として根を張っている」と著書に書いている。「誰もが行きたがらぬところへ行け」の信条もその本の一節である。アフガンの中村の机上には金五郎の写真が飾ってあった。こんなこともあった。自衛隊による後方支援を可能にする特別措置法案が国会で審議されたとき特別委員会に参考人として出席した。「自衛隊派遣は有害無益でございます(略)空爆はテロリズムと同じレベルの報復行為」と述べ、委員会室は騒然となりやじが飛んだ。自民党議員からは発言を取り消すよう求められた。彼が非命に倒れたあと語録が地元紙に掲載された。「援助する側から現地を見るのではなく、現地から本当のニーズを提言してゆく(略)独自の文化と生活意識をもった生身の人間たちなのである」「ペシャワールについて語ることは、人間と世界について総てを語ることである(略)発展途上国の抱える悩みが集中しているからである。悩みばかりではない。我々が忘れ去った人情と、むきだしの人間と神に触れることができる」。現地で得た信念の言葉が胸を貫く。予言にも感じられるこんな言葉も残している。「治安の悪化に対する認識が甘かった。対日感情の悪化もあった。ただ日本人にもいろんな人がいるように、アフガンにもごく一部に心ない人がいる。私たちを守ってくれる人もいる。事件によってアフガン全体を断罪しないでほしい」と。実際マルガリート用水路の建設に携わったのはアルカイダ兵士で、アメリカの傭兵であった農民もいて、「農業がやりたい」と話す。「仕事がないからお金のために戦争に行く。おなかがいっぱいになれば誰も戦争に行かない」と現地の老人は言う。アフガンに赴いたころ百年に一度の大旱魃に襲われ、飢えと渇きが多くの人の命を奪っていた。飲み水が欠乏し、わずかな水を巡って争いが生じた。旱魃は農業にも壊滅的な打撃を与え、約四〇〇万人が飢餓線上をさまよった。必要なものは水と食べ物。水がきていないから下痢などで子供が簡単に死んでいった。現状を目の当たりにして白衣を脱いだ。医療行為より生きるための水があれば一〇〇人の医師がいるよりも現地人のためになると考えた。「あなた方が脈々と守ってきた文化があることは知っています。それを踏みにじるつもりは決してありません」、と長老たちに話しかけたとき、「私たちを気まぐれに助けてすぐに去ってしまうのではないか」と危惧の言葉を聞いたが、「私がいつか死んだとしても、この診療所は続けていく覚悟です」と応えて承諾をとりつけた。だが土木技術に関する知識はまったくなく、専門書を参考に図面を引いた。「重要なのは早く水を引いて、難民たちを故郷に戻すこと」。クナール川を出発点にしてガンベル砂漠を目指す。完成すれば一〇万人の生活を支えられる。無謀とも思える計画にスタッフから不安の声があがった。それでも「毎日数百人の子どもが命を落としています(略)この用水路建設にアフガニスタンの未来がかかっているのです」、と説得した。一縷の望みをかけた農民たちが協力を申し出た。働いた人には日当が支払われた。農業ができない彼らにはそれが家族の唯一の支えとなった。さらに中村はモスクと神学校の建設を手掛けた。モスクは地域コミュニティの中心的な役割を果たす。「自分たちが営んできた伝統的な生活がすべて外国軍の進駐によって否定されてきたわけですね。イスラム教徒であることが悪いことでもあるかのような一種のコンプレックスが支配していたんです」。モスクが完成し、神学校には子供たちが通った。用水路はさらに伸び、死の谷と呼ばれた大地は緑の大地になって蘇った。村では農産品の加工が始められ地域の特産品である黒砂糖が蘇った。畜産も再開、チーズなどの乳製品の生産も始まった。さらに週末には市がたつようになり、賑わいを取り戻した。アフガンにきて三十年、今後二十年の緑地化計画を実践しようとしていた矢先だった。ペシャワール会は中村の意志を受け継いだ事業計画を続行していくと発表した。聖地エルサレムでは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教と三つの宗教が約一匯擁の城壁に囲まれた旧市街に共存する。ユダヤ教徒だったイエスからキリスト教が始まり、聖書の読解からイスラム教が生まれた。三つの宗教の根源は一つだともいえる。イスラム過激派が掲げる原理主義がイスラム教とどう違うのか知らないが、どんな宗教であれ民族であれ、違いを相互に許容しあって和解するのではなく真逆に、異端や邪悪の名の下の武器使用による絶対拒絶にどんな「正義」があるのか教えてほしい。新実存主義のマルクス・ガブリエルやジャーナリストで書評家のミチコ・カクタニには確固たる「正義」の信念があるに違いないが、「正義」を振りかざさない利他主義で、無私の人であった中村の無念の思いと、彼が注いだ情熱の汗がアフガンの乾いた風が吹く大地で、若者に成長した村人達の胸にしっかり根づいて未来への道の建設が継続すると信じたい。大乗仏教の利他主義が、結果として民族の誇りや民の幸福をひきつれてくるのだと思う。
            *
おだじろう『束ねられない』(土曜美術社出版販売)。すでに全詩集も刊行し、今年八十六歳の詩人の現在地が的確に刻印されていた。評者は、詩『のろし』中の《枯死を跳ね除けて一気に蘇る生気が/尖った枝先や節目から新芽を噴き出した(略)気だるい四月の風に揺れ血しぶきを噴き散らし/緩やかな風に煽られ妖しく燃え上がる/春の のろし》といった自然詠に仮託されたメタファに、おだの以前と変わらず燃え盛る表現意欲を見る思いがした。おだは生得的に不条理な社会悪や理不尽な事案に対する憤怒の情動から発語する社会派詩人の相貌をもっている。本書にもそういった詩が多く収載されている。だが一色というニュアンスはない。社会派として根拠となる主観に客観性が混入され、俯瞰からの視座も加わる。《価値観は無数とは言うものの/発語した瞬間の思惟と感情が〈本音〉であれば/それは己にとっての/〈真実〉としか言いようがない/仮に/自らの〈本音〉に対して誠実ではなかった/と するなら自己欺瞞》(『〈本音〉と〈真実〉と〈客観〉と』より)の詩句は、多様な価値観によって揺らぎかねない主体の、〈本音〉こそが〈真実〉なのだと譲れない識閾を改めて確認している。さらに、自然のなかでの呼気のような詩が散見された。そんな気構えない自然体の詩が近年多々見られるようになったのは新しい境地なのだろう。『民宿』での、《男兄弟の夫婦連れ六人》の旅の思い出から発して《つれ》と《二人っきり》での旅の紀行をさり気なく描いているしっとりとした情感のある詩、『深くなっていく秋の朝の空』の自然に寄り添う透徹した視線をもつ詩などが該当する。それもまた社会派を貫いてきたベテラン詩人の一つの成熟の帰結といえるのかもしれない。

根本紫苑『四角いサボテン』(モノクローム・プロジェクト)。冒頭の詩『夜来香』の詩句《僕はカッターが好きです/出っ張ったものはすべて切り落とすつもりです(略)足首を切り落としてあなたの庭の花になりましょう(略)香りがしぼんだら父よ、/僕の花を切り落としてください》を読むと、です・ます調の一見丁寧な詩句だが、内容は一転して被加虐的要素が濃厚な異様な印象を与える詩集だった。次の詩『僕と洋蘭とプルコギと』の《賞味期限切れのプルコギは腐って/切り刻まれた僕は捨てられた》の詩句や、詩『ソルロンタン』の《君がいた/片手に包丁を持って笑っていた/もうすぐごはんにするからね/君は包丁を振りかざして僕の右足を切り落とした》(一連目)にしても、その傾向は変わらない。どうしてこういう傾向になるのだろうと疑問が湧いた。社会環境の疎外感を形象化したものか、学習的に受容した歴史認識に由来するのか、切れば血が噴き出る肉体である人体に危害を加えるには背景となる相応の情感が必要だとおもうのだが、それは欠如している。決定的に異質なのだ。表記こそ日本語だが、書記における情感が存置する文化の土壌自体に異質なものを感じるのだ。日本には四季があり山河と豊富な水がある。文化の土壌の深層には永い年月によって培われた豊かな自然がある。その文化を抱く深層心理には自然の清冽で豊饒な水を性質としたウェットな共通の感性があるはずだ。評者は、ダイバーシティを否定するつもりは毛頭ないが、決定的な異質性は如何ともしがたい。詩の地平においてそれは必要不可欠な要素だが忌避したいものがあることも確かである。詩集のタイトル『四角いサボテン』からまず躓く。詩句でも、《四角いお㞍の代わりに四角い寮長さんが現れて(略)四角の中の四角の中の四角の中の四角の中の気まずさ》というものがあり、シュルレアリズム的枠組みにも適合できない逸脱して受け入れがたいものを感じてしまう。具体的に挙げれば糞尿、便器、便座といった語彙、肉体の被加虐性を即物的、無味乾燥に扱う手つきにも違和を感じてしまう。小説的物語の枠組みなら許容できても詩だと困難であることを今回初めて知った。拒否したいわけではない。詩の書記が自由であるべきなのは当然で、書記の問題ではなく個人の読み、受容の問題であろう。不寛容に書きすぎたかもしれないが本詩集中、佳品とおもって読んだものも何篇かあった。いずれも物語的要素が強いもので、『砂の家』、『斜めの家』、『鐘路のサンドイッチ屋』などがそれに該当した。

堤美代『日の傘』(詩的現代叢書38)。本書には心底感服した。評者はリトマス紙で確認するかのように、主体の社会的流通言語や固着観念を剥離した独立性や独自性のあるものを評価してきたが、そんな選別など無用とばかり堤の詩は、重層的な経験知によって構築した死生観をベーシックとした言語空間が小宇宙となって思考をルーティーン化し完結していた。思考の完結性は詩句の完結性となって定着している。次の詩句などまさにそうだろう。《詩を書いてきて何かわかったこと/ありますか の問いに》対して、《何もわからねえってことが/わかったんだよ》(『弔旗』より)。つまり、《わからねぇってことが》《わかった》という思考の解は、問い続けた果てに終点にまで到達した。この認識が堤の傲岸な偏見や誤認でないことは、収載詩の各詩句の随所に書く主体の所見として確認することができ証明することができる。少しピックアップしてみよう。《まるで逃げ水のように/はるばるとして/この世は/あの世のことではないか(略)うまれた夏は/さわれない夏だった》(『花花魁』より)、《ことばは ひとを/振り向かせるためにあった》(『かくれ鬼』より)、《葉と葉をつなぐ/まあるい輪は/土から生えた耳の形だった/草に隠れて/耳をかしげていた/罠に足を入れたひとの/瞬時にあげる悲鳴を/聴きたがっていた》(『草の耳』より)、《見たものの累なりを/記憶というのだ》(『既視』より)、《誰ひとり/じかんには/口をはさむことが/できない》(『椿』より)。これらの詩句を読むと、認識と言葉との関係性が明確に独立性を保っていることがわかる。こんな詩がある。《言葉より先に/ひづめがうごいた/たてがみがなびいた/馬の汗を浴びて/はなどりをした(略)いつだって/言葉より先に滅びがあった//売られていったのは/馬ではない》(『言葉より先に』より)。《売られていった》のは《馬ではない》という首を傾げたくなる断言は、売買される馬の悲劇性という物語に収斂されてほしくない主体の意図を読むべきだろう。《売られて》いく行為と、《馬》という個体との間にあるものを大切に考えた証でもある。それはなにか? 馬の売買に立ち会った主体の、定着される言葉よりも先をゆく流動的でウェットな情感だろう。ジャン=ジャック・ルソーの格言にこんな言葉がある。「良心は精神の声であり、情熱は肉体の声である」と。堤のコアにある情感こそ、肉体という生の声なのだ。詩句が言葉の結晶となって宝玉のように多面に煌めく佳品だった。

武西良和『鍬に錆』(土曜美術社出版販売)。本書は、自然を相手の農作業と、それに由来する肉体疲労を凝視する内在性をモチーフに詩を書いている。肉体労働を知らないわけではない評者にはそれが、実に的確に自身の身体を客体視されたうえで言語化されていることがよく理解できる。例えばこんな詩句だ。《目を閉じ自分の内を見回すと/エネルギーがすべて使い果たされ/凝りが澱となって底に/溜まり続けている//限度を超えると力仕事は毒/になるのかもしれない/若くして死んだ父も母も野良仕事で毒/を溜め続けていた気がする》(『立てかけた鍬』より)。身体の酷使が肉体に疲労となって刻印されると、《澱となって》《溜まり続け》る感覚になる。蓄積が《毒》に転化するのかもしれないと思惟のなかで推理が働き、さらにイメージ転換が果たされ、《若くして死んだ》父母を追想する時間軸の瞬間的な跳躍を召喚する。このように想像力が駆動することで武西作品に奥行きが生まれ、農作業に特化した特異な詩群という表層的評言とは一線を画す佳品にジャンプアップする。むしろこう言った方がいいかもしれない。武西詩は自然とともに生きる社会的・歴史的階層としての農民の手になる詩作品などではないと。次のような詩を読むとそのことがよくわかる。《雨音で予定表が/ずぶ濡れだ/早朝の暗闇さえ濡らして//自分というもののなかに/雨が降っている/畑に置き忘れた鍬の感触が雨に/濡れている》(『朝方の雨』より)、《汗は熱からも/冷という抽象からも/距離を置いて孤独なのだ》(『汗の行方』より)など端的に表出されている。自然環境に身を置いた農作業者の視線に留まることを断固として拒む、想像力という跳躍台を生得的に保持する詩人特有の資質がある。詩では『夢のあと』の《慌てて逃げ去っていく疲労/の後ろ姿/そいつの尻尾を掴んでも/すぐに切れてしまう》と、《疲労》を言語によって形象化している。詩『一握りの土』だと《黒っぽく湿った土/そこに野菜が育つ/果物が実る//多くのものを生み出す土/その土の素性が知りたい》の《土の素性》がキーワードとなる。それが科学的観点での土壌に含まれた成分のことを指していないのは明白で、一種の哲学的なマトリックス(母性)の特性を帯びる《土》を含意している。いずれにしても外見の農作業からは想像もつかないひとの内面に言語空間を生成し構築して完結している。それらの詩が存置する個体的内在地が、ひとの集団としての社会性から一番遠いところに形成されているところにも得難い存在意義があるといえるだろう。

星雅彦『霊魂の力』(砂子屋書房)。タイトルの「霊魂」には《マブイ》というルビがふってある。星が住む沖縄では《あらゆるものの本質に宿る生命の原動力であり、一般の精神作用をつかさどる霊的な存在である(略)肉体が滅んでもなお生き残る力を有するものと考えられている。そこには生きマビイと死にマビイの存在を認めるようだ》と、『あとがき』で書くように、沖縄県民の精神の拠り所として《マブイ》はあるが、生と死を串刺しする《マブイ》の精神性には相対する、あるいは敵対視する存在がない。先の戦争の激戦地、無慚な悲話が県民の死者の数だけある地上戦の証言者の語り口調に《何か清らかな明るい要素がある》ことを星は《タブーかもしれない》が、《マブイの不死身な生命力と無関係ではないのではないか》と関連づけている。沖縄では、マブイによってひとの生死が均衡をもってしまう。これは琉球時代からの被虐史観と分離することができない骨身に沁みた精神性の結晶とも言えるもの、加害者すら許容してしまう思考で、星は県民の《怒り》を視界に入れるとき《タブー》となり、《アンビバレンス》なものになってしまう微妙なものを感じ取っている。本書はいまもって存在する米軍基地問題の照明が当てられない悲痛な現実を訴える社会派的詩が多数を占めており、最前線の現場からあがってくる報告書のように理解することはできるが、評者を含めたヤマトンチューである島外の読み手に、県民の《怒り》がどれほど実感をもって味読できるか心もとない。そのため星の情感が無意識裡に湧出する詩作品の方に魅力を感じてしまうことは致し方がないだろう。そういった詩句が混淆した作品群も散見されたが、一編まるごとそういった詩は多くはなかった。その一つに《死者たちの声は/正真正銘 心のなかにある/耄碌じじいになっても/心の声を聴くことができる》を含む詩『祈る』があった。また《喜屋武岬の岩場を 散策して/可憐な青い一輪の花が/溶岩にしがみついている/ひろびろとした空間のなか/涼風にゆられて/遠くの微かな笛の音に/孤独を楽しんでいるようだ》(『一輪 二輪』より)の、郷土の自然を愛おしむ星の視線が清々しい詩句に救われるおもいもした。星が《アンビバレンス》と感じ、マブイの真髄である視線が注がれる詩が『東シナ海』である。次のような箇所だ。《撃墜された/海の藻くずになった若鷲たちよ(略)怒りをこえて 遠い佳境へ/水平線の唄と共に 黒潮に合掌する/ああ――/ただ深い哀愁に浸る/落日の耀き》。沖縄県民の精神性は、駐留米軍の違法行為に対する憤りや蜥蜴の尻尾切り的政策しか推進できない歴代政権与党への憤慨という《怒りをこえて》、《落日の耀き》に《合掌する》清冽で真摯なところにあるだろう。

2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する