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2020年04月08日09:02

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詩的現代30号〈詩集・詩書時評(28)〉2/2


清岳こう『眠る男』(思潮社)。他者には当該者の本音は見えないし聴こえない。一読してメソッドを知るには困難であるかもしれない。素材同士の関係性が不明であるからだ。タイトルが細胞分裂したように『山ねむる』『狸ねいり』『ねむり猫』と三つの章にわかれる。目次を開くと、《こうたろう》の読みで、それぞれ別の漢字表記の名前が並んでいる。《期待と願いのすべてをかけて付けた名前》(『耕太郎 逃亡中』より)という詩句もある。誕生した新生児の命名が重要儀式だった生活史もあるが、家庭での呼称は《こうたろう》で十分で、漢字表記でなければならないのは開かれた世間での個人を特定すべく付帯された固有名詞として使用するときだ。むしろ《閉ざされたドアさえ返事をしない毎日》(『幸太郎 お天道さま礼拝の儀』より)という、閉ざされた空間である家庭内の物語の方にこそ焦点を当てるべきだろう。それが《眠る男》をタイトルにした理由だからだ。世間よりも重大案件である『眠る男』息子が問題なのだ。キーワードは詩集の冒頭、各章の前に置かれた詩『「終」』にある。《むかし 「眠る男」という映画を観た//画面のはじめから無言が降っていて/男が里山を背景によこたわり/画面いっぱいに無言は降っていて/いつまでたっても振りやまず/けっきょく 犬の仔いっぴき現れず/男は前衛的に「元気に」眠りつづけた//我が家の一室/遮光カーテン保温カーテンの襞につつまれ/息子もそぼふる沈黙の底で眠っている/しのつく沈黙の日々を眠っている/やはり 小石ひとつ投げこまれることもなく//私は三度三度のごはんのために世間をうろつき/借金取りに追われうまい話にひっかかりそうになり/どうでもいいことで他人から喧嘩を吹っかけられたり/世俗通俗にまみれ息子の人生も生きている//「眠る男」では/平穏無事がサイレントのまま流れ/争いもおこらず憎しみも渦まかず//けれど 一時間半くらいで「終」があった》(全行)。この詩をプロローグとするなら、エピローグは最後に配された詩『行太郎 聖黙修行中』だろう。《黙って食事をする/黙って掃除をする//黙って谷川のささやきと響きあう/黙って時雨の匂いで全身を満たす/黙ってたあいもない日常を旅する//口を開かないと罵詈雑言誹謗中傷も出歩かない/口を開かないと不平不満不安も立ち枯れとなる//行太郎はずいぶんと真面目に生きてきたもんだ》。家庭内の《黙って》…の、壊れかけた家族の日常は《眠る男》息子の、直截的でありメタファでもある存在を中心に過ごされる。本書は固有案件を描きながら、世界のどこの家庭にも深刻度を変えながら普遍的に潜在する、根の深い問題を照射する凄腕の射撃手による照準を定めた警鐘の書でもある。

河野俊一『ロンサーフの夜』(土曜美術社出版販売)。本書を読んで、詩句と現実との無相関な相関関係を思った。さまざまな語り方ができるが、詩を説明するとき、評者が思う一番簡単な言い方は、社会で流通する言語は既製品の言葉でできており、詩は採寸して当該者にジャストフィットしたオーダーメードであるということで、例えば谷川俊太郎は「詩の意味は重要じゃない」とか「実際の現実とはなかなか関われない」と言うように、詩の言葉は現実との間に独立して存在するものである。現実を追認したり解説したりするものではない。どこまでもフィクショナルな領域で創作された世界、自由度の高い言語空間を生成できていなければならないラディカルで、アバンギャルド的な凶器や狂気さえも包含する類のものと思っている。本書はそんな評者の理念が絵空事と思えるほど、現実空間との密着度が濃い。病と不幸にして親密だった娘をモチーフとした詩集群である。しかし決して暗くて重い詩集ではない。切々と鎮かに訴えかけてくる明晰で思弁的な詩である。それは河野が、詩に付帯する過度に背負わせた価値観の無意味さを知っているからに違いない。既知の河野が、こんな事実を包含しながら詩に向かいあっていたとは知らなかった。意外であり、胸底に沈殿する濃厚なものが残った。河野の亡くなった娘の存在はすでに伝説と化しているかのように物語化されていた。本書は三部構成である。一部は最初の発症から再再発した三歳から五歳まで、二部がその後の検査入院から別の病が発症した二十四歳まで、最後の三部は、さらに別の病の発症と再発により二十六歳で永眠するまでとその後の作品という具合だ。タイトルの「ロンサーフ」とは治療薬のことで、症状の「進行を抑え、延命および症状緩和の目的が主」であるという。その《ロンサーフは/二か月で効かなくなってしまったね》(『雲の行方』より)という、三部でのことだ。三歳から二十六歳までという娘との向き合い方にも変化があって当然だろう。学童期前の娘に向かうときは《指先さえもぱさぱさになってくる》ほど何度も『手を洗う』(詩の題)、《あきこの細胞の/まちがいさがしを始める》(『まちがいさがし』より)、娘の《ちいさな爪》が『伝説』(詩の題)になる。やがて成長すると《娘を飲み込んだセーラー服は/そのまま中学校へ行き/対面式を終え/クラス写真に収まり/クラブ活動紹介を見て/娘を連れて帰ったらしい》(『ウワバミ』より)、三部になると事態は深刻になる、《一日中疲れて/眠っているときにも疲れる人がいる》(『にこやかに』より)と身体から発信されるサインに意識が向き、生木を裂かれるような分岐点が訪れる。《思い切り泣けるうちは/理由なんてなんでもいい》し、《火葬場は/のどが渇く》(『のどが渇く』より)のだ。《三途の川》に娘に会いに行く。《踊り場まで下りてゆくと、会えるとは思わなかった晃子がすぐそこにいた。(略)母に、晃子に会ってきたよ、と教える》、『河原に下りる階段で』の詩は本詩集の絶唱であった。河野は『あとがき』の文言にこう記す。《親には甘えず、全て自分で処理しようとする子であった。もっと話しておきたかったのは事実であるが、この詩集づくりの間だけは、幻の娘とふたりだけでゆっくりと語りあえたような気もしている》と。ああすれば、こうすれば、ああも言いたかった、こう願っていた、とは残された者の慚愧と未練で、詩群とは一線を画すものだろう。現実を生きるとは、パラドックスに身を晒すことである。林嗣夫の詩句にあった、《詩を生きる、とは具体的に》とは、火葬場にいて死者でなく生者である者は、生と詩のパラドックスを是非もなく引き受けることである。

愛敬浩一自選詩集『真昼に』(詩的現代叢書35)。 同 書き下ろし詩集『赤城のすそ野で、相沢忠洋はそれを発見する』(詩的現代叢書36)。自選の前書は1982年刊行の第二詩集『長征』〜1999年刊行の第七詩集『クーラー』までを収めており、今回初めて目にした。評者の手もとにあるのは2006年刊行の第八詩集『夏が過ぎるまで』以降で、『詩学』の〈詩誌選評〉を目にしていた関係で愛敬の名前は知っていたが、初めて会ったのは同年、前橋の萩原朔太郎記念館でのことだった。それを縁に詩誌『侃侃』に寄稿を依頼、2012年からの『詩的現代』(第二次)創刊に誘われて現在に至っている。依頼した原稿は通勤する自家用車内での思惟を詩作品にしたもので、その詩句のゆるさに驚いた。評者の作品傾向とは真逆のものだったからだ。その『真昼に』の詩群を読むと、あのときのゆるさに再見できたようで、納得するものを感じた。だがこのゆるさは意図的であり、戦略的なものだとも感じていた。愛敬は何冊かの評論集も出しているのでこんな推察もできる。それは詩史的位相の認識から導き出したもので、先行世代である〈暴走〉〈凶句〉〈ドラムカン〉〈✕(バッテン)〉の渡辺武信、天沢退二郎、鈴木志郎康、菅谷規矩夫などのカウンターカルチャー世代、その後のほぼ同世代である荒川洋治、平出隆、稲川方人、松浦寿輝、吉田文憲などの通俗化と穏秘化に分岐した現代詩の最前線における凝縮と密度による詩的レトリックの駆使と現実感との乖離に苦しみながら、宣告された詩の死を相対化する視座を求める行為だったのかもしれない。詩句を読むと解放感を求めて《走る》愛敬の姿が目に浮かぶ。《詩は毎日のように降ってくる/朝のニュースはうるさく/「お早う」という肉声は美しい/抱えきれないほどの「悲惨」や「重要問題」を抱えて/走る/その程度のことで発情する私ではない/走る/いつもの道を/走る》(『続 生き方の研究』一連目より)の、一行ごとの独立した詩句と《走る》との対比に未踏地を走る愛敬の孤独と意欲が透けている。それでいながら、《孤立と固有/書くことのねじれ/その時/六月の/ゆるい詩句を/ゆるい雨に濡らして》(『ファッショナブルな資本主義』より)で表出する《書くこと》の《ねじれ》や《ゆるい詩句》が前書のキーワードになっている。後書は、結果的にラディカルな詩集になっている。だがそのラディカリズムは、詩史的に経験されたそれとは区別されなければならない。例外になるかもしれないが言ってみれば、女優で小説家でありながら中原中也賞や高見順賞を受賞した川上未映子の二冊の詩集や、ジャーナリストで作家でもある辺見庸が圧倒的筆力で詩賞を受賞した詩集群とも違った自在さがあった。それは評者には驚愕的なものだった。特異さの最大事は、詩のなかに他者の作品の文言や詩作品の詩句が度々引用されている点だ。詩だと愛敬が見出した同郷の詩人岡田刀水士の『氷雨』、エッセーの類だと相沢忠洋『「岩宿」の発見』、浅田晃彦の小説集『安吾桐生日記』、坂口美千代『クラクラ日記』、四方田犬彦の『すばる』連載『詩の約束』での寺山修司の剽窃問題、片桐ユズル『高められたはなしことば』などである。もう一方の特異点は、同じ詩句が連続して列記される詩法だ。《相沢忠洋は凄い。》の五行、《相沢忠洋は私だ。》の五行、《相沢忠洋は歩く、自転車を押して。》の五行、《相沢忠洋は「戦後」を歩く。》の三行、《相沢忠洋が発見したのは、》から始まる詩句が三行といった具合だ。愛敬が発見したラディカリズムは、詩句と散文との融合でハイブリッドの言葉も脳裏に浮かぶが、もっと種々の素材が混在した料理に見立てられる。調味料、隠し味、食材といった具合に。本書は、奇跡の一冊ともいえる。当然、非詩的だと貶す論者もいるだろうことは想定できるが、評者はこの清新で奇抜、奇跡的ですらあるこの詩集を、誰よりも積極的に評価したい。

樋口武二『羇旅記』(詩的現代叢書37)。樋口の自作解説はよく書けているので、『あとがきに代えて』の一部を引いたのちに詳述してみよう。「風景が奇妙に感じられて、不安な気持ちに陥りました。(略)後味の悪い感覚でした。《私たちは〈記憶〉という長い旅をしているのかも知れない。いや、〈生〉そのものが、私たちに与えられた一つの記憶に過ぎないのではないか》(略)それぞれの作品に、それぞれの〈私〉がおり、その数だけ物語が存在しています。日常といわれている時間が間違いなく存在するのですが、それらのものが、私には何とも希薄に感じられて仕方がありませんでした。幾つもの世界が平行してあり、無数の結末が存在しているとも感じとれました。これは寓意などではありません。そうした感覚の存り様を記したひとつの記録、といっても過言ではないと思います。(略)〈私〉という個体を信じることでしか新たな物語は生まれない、とも考えられます。〈私〉という拡散しつつある存在、を確かなものとして認識する瞬間が訪れることを信じて、拙い作品を書き連ねていく行為しか現在の私は自己確認が出来ません。夢のような、と云えばそれでおしまいの話かもしれませんが、それが現在の私の置かれている立ち位置です」。長々と引用してしまったが、大事な文言が記されている。まず《不安な気持ち》と《悪い感覚》があるということだ。次に《〈生〉そのものが、(略)記憶に過ぎない》思いがあり、《それぞれの作品に(略)、〈私〉が》いて、《その数だけ物語が存在》する。いくつもの物語の内実には《幾つもの世界が平行し》て、《無数の結末が存在》する世界なのである。樋口の書記エネルギーが鎮かに白熱するトポスは《〈私〉という個体を信じること》で、《夢》という現実離れした捉え方では《おしまいの話》だとの感覚をもっている。この表明は、現在を生きる樋口にとっては大事な要素である。要約すればこうだ。詩のメソッドは、覚醒から酩酊に至る無数の《私》のシチュエーションの意識が、《記憶》の時系列を無視し撹乱して物語と化した断章的世界を生きるのである。それは、《私》の固有の《記憶》からは分離独立しており、有意識の瞑想は迷走して、自在に飛翔体化して往来し、書記エネルギーを筋状の痕跡に残すのだ。そういう視座から各詩篇を再読すると、飛翔体的意識のモニターが映し出す光景が鮮明である理由もわかる。詩『ホテルで、』の《語り部》として、《夢見られた者たちの〈生〉を記すのが(略)仕事となる》のは当たり前だし、詩『水音がして、』の、《一目見て、その人が、人でないことだけは直ぐにわかった。水からあがったばかりなのに、体も、服も、まったく濡れてはおらず、髪はさらさらと川風に吹かれていた。夕暮れの薄日の中で大きな眸は見ひらかれて、しっかりと私の名が告げられている》の、《人が、人でないこと》や、《水からあがったばかりなのに、体も、服も、まったく濡れてはおらず、髪はさらさらと川風に吹かれて》いた夢幻的光景も奇異視することはないのだ。《あらゆる事象が、病んだ一人の男の夢想であるならば、この世界もやはり病んでいるということにもなる》や《あらゆるものは幻であり、霞みのようにやがては消えていくだけ》(『あらゆるものは、みな消え去って、』より)も、神の下で有限なひとの意識内の出来事であって、けっして驚くに当たらないことになるだろう。

大橋政人『まど・みちおという詩人の正体』(未来社)。まどについては、TVの特集番組を観ていたので、観察好きの不思議がりであることや、絵を描いた意外な事実などは知っていたし、評者もまどについて短いエッセーを書いたこともあった。そんな事情もあって、既知の内容もあったが、今回初めて知ったことも多く興味深く読んだ。とくに大橋が採りあげて掘り下げていたまどの詩の読みが詩を理解する上で参考になった。絵画や貼り絵も含めたまどの創作の基層に観察眼があるのは誰もが知るところだが、阪田寛夫は詩画集の解説文で次のように書いている。「まどさんは自然科学者であることをわすれちゃいけません。(略)測量の実習とその器械が大好きで、校外での実習がすむと、レンズを昼のお月さんに向けていつまでも眺め入っておられました」は、まどの学生時代にぴったりのイメージである。こんな詩があったっけと、あらためて感心して読む詩が多数あったが、そのうちの一篇『アリ』を引いてみよう。
  アリは あんまり 小さいので
  からだは ないように見える

  いのちだけが はだかで
  きらきらと
  はたらいているように見える

  ほんの そっとでも
  さわったら
  火花が とびちりそうに…
 この詩を大橋は、《「からだ」だか「いのち」だか、その境界が分からなくなるまで見尽くす。その集中力には、ただ圧倒されるばかりだ。》と書いているが、まったく同感である。曰く言い難いエネルギーに圧倒される詩が『あかちゃん』(三連と四連のみだが、一連〜三連の四行はリフレーンになっている)という詩だ。絵で表現できないこともないが、この突き抜けた感覚はやはり詩で読みたい。
  あかちゃんが
  しんぶん やぶっている
  べりっ べりっ
  べりべり

  かみさまが
  かみさま している
  べりっ べりっ
  べりべり
 大橋の文言はこうである。《「あかちゃん」のしぐさはいかにも無邪気だ……などと解釈しては台なしである。ポイントは「あかちゃん」がそのまま「かみさま」になっていることである。両者は一体でもないし、かと言って別体でもない。その絶妙な関係にまどさんは多分、うなり声をあげながら凝視している。被創造物と超越者の関係をここまで深く見ようとした詩人は例がない。》も的確で、まどを《神秘主義詩人》とも言う大橋であるが、むしろ《形而上詩人であった。それもいわゆる現代詩の難解さなど比べ得べくもないほどの難解な形而上詩を書く詩人だった。》の方に評者の天秤棒は傾く。九十八歳の書き下ろし新詩集『うふふ詩集』から引用された『フト』の詩の《この世》は《となりの/あの世ンとこにいくのに》や『りんかくせん』の詩の《ハダカのオレの/りんかくせんは/ひとりとおく/およいでいった》のこと、最もまどの詩の核心に近いと大橋が思っている『へんてこりんの うた』、また『第二部 アンイマジナブルということ』で紹介されている、鈴木大拙が説く無分別智を最もよく体現している人としての「妙好人」の話題などにも触れたかったが、紙幅はとうに限界を超えている。なにかの機会があれば触れてみたい仏教の奥義にも「妙好人」は興味ぶかい話題であった。

高橋英司『詩のぐるり2』(山形詩人出版部)。本書は、『詩的現代』の特集を主にした『エッセー集』、『山形詩人』に連載した『パロディ詩集』と『感想集』、『言の葉倶楽部』に書いた『書簡集』の四部構成で編まれている。やはり『パロディ詩集』の幾篇かが面白かった。金子すみゞ『大漁』のパロ詩『晩飯』、宮沢賢治『雨ニモマケズ』のパロ詩『金にも負けず』、中原中也『汚れつちまつた悲しみに……』のパロ詩『腐れつちまつた玉ねぎに』、萩原朔太郎『旅上』の『きらめく心』、高村光太郎『あどけない話』の『恥ずかしい話』、草野心平『秋の夜の会話』の『兆し』、茨木のり子『わたしが一番きれいだったとき』の『ぼくが一番バカだったとき』などで、最後のパロディ詩の一連目《ぼくが一番バカだったとき/駅の階段を三段跳びして/ビリっと音がしたところから/パンツが見えたりした》には思わず噴いてしまった。『エッセー集』は以前も触れた、若い女性との対話形式での詩の話題の続編で、『感想集』は受贈した詩集の感想や定期購読している『図書』『本』『ちくま』からの話題で、意外だったのは高橋の映画と小説好きで、映画評と小説評が視野広く語られていた。その関連によるのだろう『書簡集』では、広末涼子、一青窈、沢尻エリカ、樹木希林、森高千里、松岡茉優など女優へ宛てた手紙形式のエッセーが多くあり、造詣の深さの一端を披露していた。同じ書簡形式では、大物政治家野中広務、近代作家で文豪である森鴎外、評論家の斎藤美奈子、若者に熱狂的ファンをもつ太宰治宛のものがあり、評者としては斎藤美奈子宛ての文章が身につまされるものがあって読みごたえがあった。「批評とは、勘どころをぴしゃっと押さえて、そこに水をかけることだと、私は学習しました」や、「文学は品質を目差すのではない。芸術至上主義の殻に閉じこもってはいけない。現実に向き合っていかなければならないと思いました」。とくに、「王様は裸だと言い立てることが評論家の存在意義だと思います」は痛烈であった。忖度や迎合が平準化した現代における批評の役割を再確認した。

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