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2020年04月08日08:58

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詩的現代30号〈詩集・詩書時評(28)〉1/2

          ひとはみな脆いうつわであるということ

 ずっと気になっていた夭折した天才歌人笹井宏之の短歌にようやく触れることができた。ちくま文庫から『えーえんとくちから』が出版されたのをきっかけに購入したためだ。本書はもちろん短歌が大半だが、エッセー、俳句、詩を含めた言語表現の恣意的方位に触手を伸ばしたす短歌アンソロジーとして編まれている。とはいえ、その方位は短歌以外で真価を表すものではなかった。例えば俳句だが、《くしゃくしゃにしていた夏をひらきます》《トマトだと思っていたら愛でした》《砂浜へ砂のねむりを聴きにゆく》などの作品で、俳句の背骨が写生だとするならば筒井の俳句はその自然写生を異化してその先に行こうとしているようにも、短歌の上句だけによって成立しているようにも感受された。詩の方だが、彼の資質である語彙に籠めた思いの表意単語の蔓的屈曲性に軸足を置き、陰翳を忘失した明度によってハレーションを起こしている印象をもつが、本書の『解説』者である穂村弘は「独特の優しさ」から導いた「わたし」と対象素材との「運命の等価性」「魂の等価性」だと表している。いずれもその衝撃力は何かが欠損して到達点に達していないもどかしさがあった。前説が長くなった、本書を一読して脳内で瞬時スパークした幾首かを列記してみる。波動と強弱の加減でうっかり見落とした秀作があるかもしれないが、そこは凡庸な評者のせいなので苦笑して勘弁してもらうしかない。
  しっとりとつめたいまくらにんげんにうまれたことがあったのだろう
  あるいは鳥になりたいのかもしれなくて夜をはためくテーフルクロス
  吊り革に救えなかった人の手が五本の指で巻き付いている
  廃品になってはじめて本当の空を映せるのだね、テレビは
  さあここであなたは海になりなさい 鞄は持っていてあげるから
  夏らしきものがたんすのひきだしの上から二段目で死んでいる
  生涯をかけて砂場の砂になる練習をしている子どもたち
  風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが
  祝祭のしずかなおわり ひとはみな脆いうつわであるということ
  あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる
  わたくしは水と炭素と少々の存在感で生きております
  風であることをやめたら自転車で自転車が止まれば私です
  手袋のなかが悲しき思い出に満たされてゐて装着できぬ
  風をのみ川をひらいて朝焼けの、どこにもいないひとになります
  「ねえ、気づいたら暗喩ばかりの中庭でなわとびをとびつづけているの」
 掲載順からピックアップしたものを任意に並べ替えてみた。気をつけて読んでもらえれば分かると思うが前半は、《つめたいまくら》と《にんげん》、《鳥》と《テーブルクロス》、《夏らしきもの》と《たんすのひきだし》、《砂場の砂》と《子どもたち》、《風という名前》と《彼》、《ひと》と《脆いうつわ》といった具合に、二つの相異なる素材が具象でありながら抽象でもあるイメージを背負って融合させられている。それはこう言っても過言ではなかろう。これらの短歌はその枠を超脱して一行の詩としても読めるカテゴリーの詩歌になっていると。ひとや事象や世相といった日常に何気なく存在するものがひとの負の感情と相似形になって愛惜や悲哀の情を心象風景的に詠んだものである。そして、《あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる》を境目として後半は、《あまがえる》との《別れ》、《水と炭素と少々の存在感》という自己規定、《風》《自転車》《私》さらに消された《風》への転生と、《どこにもいないひとになります》と、宿痾を負った自分自身を対象化した歌になっている。彼の病が、その生命を二十六年で奪う直接因子になったのか不明だが、「重度の身体表現性障害」という病名で、「自分以外のすべてのものが、ぼくの意識とは関係なく、毒であるような状態」、「テレビ、本、音楽、街の風景、誰かとの談話、木々のそよぎ、どんなに心地よさやたのしさを感じていても、それらは耐えがたい身体症状となって、ぼくを寝たきりにしてしまいます」(歌集『ひとさらい』あとがきより)と、普通ならあらゆる物や人や事象や現象を呪いたくなる日常をすごしていた。他者の目には仮病や詐病にも見えかねないこの病気は、精神・神経系疾患との境界を跨いで身体に顕現される。現在では身体症状症と呼ばれるこの症状はさまざまな身体部位に顕現しても身体そのものに原因はなく、脳内で何が生じているのかも明確ではない。精神疾患と合併することもあるという特異な難病である。なんという因縁だろう。疾患の表現が身体に顕現するのだから。「療養生活」が十年に及んだというからには、意識・無意識に関わらず日常の時間は身体各部位との対話だったはずだ。そこから目を背けることの方が困難だったかもしれない。しかし、失明したひとが音や匂いや触感に敏感になり、自閉症と天才児との潜在的な関連性、知的障害や発達障害者が卓越した才能をもつことがあるサヴァン症候群等、ある身体的欠損は他の能力や感覚を磨き上げることがある。笹井は『色彩言語/芳香言語』というエッセーで、恋人の「おはよう」を「うすくて青い色」「夏草の匂い」と感じると書いている。「遠距離恋愛」だから「研ぎ澄まされる感覚」があり、同時に、「ことばにも、色や匂い」があって「しずかに変化をしてゆく」と感じる感覚を持っていた。笹井は短歌を書くことで、「遠い異国を旅し、知らない音楽を聴き、どこにも存在しない風景を眺めることができます。/あるときは鳥となり、けものとなり、風や水や、大地そのものとなって、あらゆる事象とことばを交わすことができるのです。/短歌は道であり、扉であり、ぼくとその周囲を異化する鍵です」と書き、さらに「どこか遠いところへ繋がったような感覚で、歌は生まれてゆきます。/それは一種の瞑想に似ています。どこまでも自分のなかへと入ってゆく、果てしのない。//風が吹く、太陽が翳る、そうした感じで作品はできあがってゆきます」と綴る。そんな笹井を父孝司は、創作意欲が「楽曲」と「短歌」に二分されていて、「自分の中からほとばしり出るものが、ある時は音楽であり、ある時はことばだったようで」、楽曲と短歌に共通している特徴を、「キラキラした細氷のような透明感のある清澄な感性と(略)どこか温もりが感じられる」点であり、楽曲と縒り合わされた「短歌の原点は、音楽にあると思います」と指摘している。この言葉は重要であろう。なぜ「短歌」が主で「音楽」が潜在化しているのか、「大好きだったピアノを弾くために、数日間、時には数週間、心身を休めエネルギーを蓄えなければいけませんでした」という厳然性の前では如何ともしがたい状況があったためだ。身体という拘束衣が音楽を断念させて短歌の言葉を呼び、脳内の3Dスクリーンに鳥やけものや風、水、大地などを召喚したのだといえるだろう。穂村は、笹井の歌の「特異な存在感」を、先述した歌の素材との「等価だという感覚」と、「近代以降の短歌は基本的に一人称の詩型であり、ただ一人の〈私〉を起点として世界を見ることを最大の特徴としてきた(略)ここには、何とも交換不可能なただ一人の〈私〉の姿がある」のに比して、笹井が描くのは「魂の交歓感覚」であると書く。もっと言うならば「多くの歌人は〈私〉の命や〈私〉の心の真実を懸命に詠おうとする。そのエネルギーの強さが表現の力に直結しているとも云える。だが、そのような〈私〉への没入が、結果的に他者の抑圧に結びつく面があるのは否定できない。(略)強者のエゴによって世界に大きなダメージを与えている。それは何とも交換不可能なただ一人の〈私〉こそが大切だという、かつては自明と思えた感覚がどこまでも増幅された結果とは云えないか。そう考える時、笹井作品における魂の等価性は他者を傷つけることの懸命の回避に見えてくる」、とも書く。しかし、近代の《私》と笹井が書く作品とをそういう具合に明確に色分けすることが可能だろうか。例えば引用した歌の最後の一首《「ねえ、気づいたら暗喩ばかりの中庭でなわとびをとびつづけているの」》では、自作の《暗喩》主体の技法の特徴と他者との回路の非濃密さを十分自覚していることがわかる。さらに、もし帯文にあるように、「一つ一つの言葉が、未来の希望に繋がる鍵の形をしている」ように思えるのならば、錯視だと言うしかない。笹井の歌は確かに特異である。だがその特異さは「未来の希望に繋がる」ほど容易ではない。言葉によって構築された言表の希望は、むしろ《祈り》と呼ぶしかない茫漠たる《思念》ではなかったか。厳然性の前では如何ともしがたい身体的拘束状態によって断念させられた音楽の明澄な透明性で、鳥やけものや風、水、大地などを脳内3Dスクリーンに召喚した言語世界だった。笹井の《鍵》は、《希望に繋がる》形なのではなく、《祈り》の形象化だったのではないだろうか。尖鋭で熾烈な身体症状との格闘と相反した親和性を帯びた透徹した詩歌によって、読み手は無傷ではおれない言語体験をする。しかしそれこそが、笹井の詩歌に籠められた人への愛や《祈り》に触れる経験をするということだろう。
          *
 近所に開店したツタヤの本棚から買ってきた詩集の著者から、偶然にも最新刊の詩集『よその河』が寄贈された。この奇しき因縁の著者は女性誌の駐日特派員として三十数余年日本に滞在して母国語詩集十冊、日本語詩集四冊を上梓する韓国の王秀英(ワンスヨン)である。日本在住が長いといっても幼少から身についた感性は韓国人であることに変わりはない。第一義的に日韓の文化や慣習、考え方の違いに意識が向いてしまうのは致し方ないだろう。日韓の詩作品において校了に至る思考回路や感性的方位にどんな相違が生じるのか知るよしもないが、この二冊を読んだ限りでは彼女の作品は平易平明の少ない語彙で的確に語りたいことを語っていた。だがどうしても民族の歴史的記憶が拭い難く存置して筆が及んでしまうのは避けがたいのだろう。詩集『普通の日のカード』の『後書きにかえて』にこんな文言を記している。《朝鮮半島では、姓を変えることは命を捨てることに匹敵するくらい大事なことだ。人を罵るときの、もっとも酷い言葉が「姓を変えるやつ!」だ。(略)韓国では一族の家系と血統を明記した「族譜」を家門の宝として後世に継がせる。(略)植民地時代(略)創氏改名には(略)「王が本当の姓である」という主張を秘めて「王本」にした》とあり、詩集『よその河』中の『記号』では名前の呼称をモチーフにした詩を書いている。滞在する日本の彼女の目に映る河は「よその河」なのである。《私の名字は王で/名前は秀英だ/韓国では/ワンスヨンと呼ばれる/姓名はその人が/生まれて死ぬまでの/記号である//ところが/日本に来たら/突然私は/オウシュウエイと/呼ばれた//耳を疑う私に/しつこく/オウシュウエイが/全身に刺さった//ワンスヨンは/祖国で私を/待っているだろうか》。日本での呼び名は《オウシュウエイ》、韓国での呼び名は《ワンスヨン》、ただ一人の彼女が二つの名前に引き裂かれる。《祖国で私を/待っているだろうか》という《ワンスヨン》が日本にいる。『日本の友―究極の差別―』の詩も、似た発想の詩だ。《友は保証人になり/悲しみを癒してくれた》。そんな親密な関係の《友》でさえ、こう言う。《うちはあんたを/韓国人やと思ったことは一度もない/いつかて 日本人やと思ってたんや/そのくらいあんたが好きなんや》と言う。なんら悪気はないのだろうけれど、友人の無意識裡の発想もまた、戦後七十四年も経過するのに、帝国日本の同化政策の一環として創氏改名を押しつけた、あの思想と同じ姿をしているのだ。友人の好意の発露である発言、《うちはあんたを/韓国人やと思ったことは一度もない》の言葉が、著者をして「究極の差別」と感じさせるのだ、なんという皮肉。他国と地続きで国境を接していない日本人の、異国民への認識の甘さ、意識の低劣さがここに露呈しており、いつまでも政治的に正常化しない日韓関係の問題と根っこで繋がっているといえよう。ほんとうは、こんな愚昧な評ではなく、『天使と悪魔』の章からマーラーやショパンの音楽家、シャガール、モネ、ルノワール、ピカソ、ゴッホなどの画家等を扱った詩篇を論じたかったが、すでにかなりの紙幅を割いてしまい、次の機会に譲らなければならなくなってしまったのが残念である。

林嗣夫『洗面器』(土曜美術社出版販売)。思いと言葉とを融合させて研磨した果ての、成熟して安定した詩境を有した稀有の詩群だ。詩『笊』の、《この世のすべてのものが/まことに 大きな笊で揺すられた/(略)/揺すられ 洗われた物や人が/なるほど、という姿になって/残されていく》で、来し方を歳月のメタファ《笊》に総括させて的確に描く技巧は見事だ。次の詩の、《蝶が 意を決したように身を翻し/風に押し揺られながら向こうへ越えた時/その行くてに/一つの鮮やかな花の姿を/わたしはたしかに見たのだが》(『花』最終連)は、日本人の死生観である《向こう》側に《鮮やかな花の姿を》見たい日本人的気質の形象化だろう。それは《希望》という薄っぺらな概念ではなく、矢印のような《祈念》ではないだろうか。林は典型的な昭和の日本人である。大惨事を蒙った戦争があり、戦後の好景気やさまざまな凄惨な事件があった。それでも林の生地である高知では比較的ゆったりとした時が風のように流れていた。《風となって/空を過ぎる/死者たちの声が/川の上に張り渡されたたくさんの鯉幟を/泳がせる》(『「すゞれる」考―西岡寿美子さんに』より)というような時が。日本や世界の負の側面は長篇詩『朝露館』で端的に描かれている。《関谷さんは土をこね/ろくろを回し/陶器を焼き上げる過程において/その土の塊がそのまま死者の顔となり/叫びとなり 怨念となって/迫ってきたのだという》。詩篇中にある関谷さんの「無かったこと、にしてはいけないんです」や「殺サレタモノタチハ眠レナイ/ドウシテ 眠レヨウ」の言葉が重く、戦後の平安を激しく揺する。詩人の目は見えないものを透視する。《ねじれた世界の向こうには/水色の空/鳥や 花や わたしの関節を/鎮めようとしていた》(『水色の空』より)、《庭のかたすみに/熟した渋柿が落ち/つぶれて緋色の果肉をさらしていた/激しいできごとの後の/しずけさで》(『柿』一連目)。詩を読むと、激動の昭和の鎮魂歌であるかに思える。詩は常に謎である。虹のようでも、闇を照らす光のようでもある。林は詩の謎をこう提示する。《信疑の対象であることを超え》《生きるほかはないものだったのではないか》、《詩を生きる、とは具体的にどういうことか》と。この問いは難解である。難解さを引きずって最後に置かれた佳品の『ひぐらし』を読む。《ふたり並んで 夏が過ぎていく》。成熟した詩境で来し方を思う二人の姿をイメージすると、林の問いの答えがぼんやり見える気がするのは評者の錯視だろうか。

佐藤美樹『階』(砂子屋書房)。本書のタイトルから拾うと『石段』、『地上階0』、『階』、詩句だと《梯子》を、詩想のキーワードとして抽出することができる。そのことはなにを意味するか? 視線の上下運動である。だがそれもなにかを示唆するメタファに過ぎない。詩の素材である日常雑感のため自然詠になる場合が多い。自然詠は時の経過を表わし、過去の切り取られた場面を想起させ、あらゆるものの事後である現在時を現前化させる。冒頭に置かれた詩『詩の庭』に、彼女の詩に対する姿勢が湧出して露頭している。《嵐の過ぎ去ったあと/一篇の詩は静寂と沈黙を呼びよせる/迎合や折り合いと遠くはなれ/孤独にのみ寄り添う誰のものでもない言葉/(略)/切り裂かれた三日月に梯子をかけ/他者のために祈り続ける/日常を生きた一日の終わりに/無名の内在を纏い/深い眠りの夜へ/魂の原初の夜へと自らを浸す》。《一篇の詩》が《呼びよせる》《静寂と沈黙》は、《嵐の過ぎ去ったあと》にやってくる。《迎合や折り合い》から《遠くはなれ》、《孤独にのみ寄り添》い、《魂の原初の夜へ》《自らを浸す》のが、彼女の詩であって、けっして《嵐》の渦中に身を置くことではない。事後である現在時に身を置いて、《遠くはなれ》た《嵐》との通路として『石段』、『地上階0』、『階』、《梯子》を注意深く用意するのだ。彼女の詩に物足りなさを感じても《嵐》を詮索しないのが大人の読み手であろう。作品に《静寂と沈黙》を感受するのも、《嵐》と距離を置き通路のみを描く佐藤の詩法にすべての素因がある。

魚本藤子『鳥をつくる』(土曜美術社出版販売)。無駄のない的確な語句とレトリック、高度な技術で制作された工芸品のようにきっちり編まれた珠玉の詩集だと断言する。タイトルの《鳥をつくる》という奇妙な言葉の由来は、「一枚の平らな紙」から「飛行機や風船、鶴など」「立体になってゆく」折紙制作のことであるが、「子ども」のイノセントな「折紙を大切なものと感じる時期」との共鳴倍音であり、さらに「一枚の紙」の「空白」は、「広大な無意識の領域に」創作しようと意図する「可能性と予感に充ち」たゼロ地点からの旺盛な意欲であるとともに、詩を書く行為であるエクリチュールの予兆とも照応している。詩『未来』が、まさにその書く行為の象徴的な作品だといえる。《一本の線を横に真っ直ぐに引くと/いつでもどこでも/ すぐそこに/大地と空ができる//それから空と大地を繋ぐ垂直な線を書く/世界は少し複雑になる でも/立ち止らないで書き続ける/少し待っていると/きっと鳥がやって来るだろうから/(略)/一枚の平面に正しく傾斜を書くことは/難しい/左右に広がった二本の線の傾きは/重心のかけ方によって/昨日になったり明日になったりする/けれど繰り返し何度も書いているうち/少しずつそれは木という丈夫な文字になる/それからそれは天を目指して/ぐんぐん伸びるだろう/さわさわと緑の葉も揺れるだろう/いつか その頂に手が届かない/ただ見上げるばかりの大樹になるだろう》(一、二、四連より)。白紙に一本の線を引くと大地と空ができ、やがて鳥がやってくるに違いない。横線に交差する縦線を引くと木という文字になり、やがてそれは見上げるばかりの大樹になるという思考回路はそのまま詩の生成過程に重なる。白紙は『てがみ』にもなる。《その中に入れられるものは/いつも丁寧に折りたたまれる/それで大切なものだとわかる/失くしてはならないものだとわかる/(略)/今日 届いた四角い封筒を開けると/群青色の海がこぼれてきた/名前もかたちもどこもなく/波の音も聞こえなかったけれど/その見慣れた筆跡で/それが海だとわかった》(一連目前半と最終連より)。大切な手紙は《丁寧に折りたたまれる》ものであり、差出人がいて、そのひとの息遣いや思いが伝わってきたりするが、この詩では、差出人すら透過して、《群青色の海がこぼれてきた》りするものであるらしい。この平易な語句がどこまでも独り歩きをしてとてもフレッシュな光景を描いて見せてくれる。反面、魚本は詩『一瞬』で扱う語句《一瞬》や、詩『鉄棒』での《ことば》という語句自体を素材にした詩も描いている。そのことに彼女の詩生成の秘密があるだろう。それは、日々のリアルな日常現実と、そこに埋没しない詩の生成過程を堅持する強さとの絶妙なバランス感覚が彼女のなかに存置しているためだ。

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