mixiユーザー(id:62080545)

Javascript の設定が無効になっているため、一部の機能を利用できません。

詳細はヘルプをご覧ください。

2020年04月07日17:04

170 view

詩的現代28号〈詩集・詩書時評(26)〉2/2

柏倉千加志『空中ぶらんこ』(土曜美術社出版販売)は平易である。謙虚な心持ちで言葉が「突然にやって」くるのを日常のなかで待っている。するとふいに旧友や異性の来訪を受けることがある。電話でも書簡でも平時から隔絶感があるほど来訪には「喜び」と高揚感があり、平穏な日常の解放感がある。詩は覚醒や陶酔に似ている。詩に対する実に真摯で正直な、柏倉の姿勢が好もしい。その姿勢とはこういうものだ。《砂浜に俯して／いちばん低い位置から／世の中を眺めてみたい／そう思ってやってきた》のだが、ときには《体を持ち上げるだけの／勇気ももてず／そのまま／ずるずると／長い午後に引き摺られていくのだ》(『砂浜に俯して』から)という諦観の思いもあるが、こういう詩もあって、これが本来の柏倉の持ち味なのだろう。《窓から始まる／自分と／あなたと／世界とのつながり／／思い切り開け放つ窓が／花粉の匂いに／くしゃみして／私の／今日の動詞を決めている》(『窓』終連から二連)という詩句の、《自分と／あなたと／世界》をつなぐ《窓》から発想して、最終行の《今日の動詞を決めている》まで、国語という言葉の土壌から勢いよく伸びた新鮮な発芽体のようなものとして《動詞》という語句を発見している。次の『教科書』という詩も同じパターンだ。《この地球が教科書であることに／ようやく／今　わたしは／気づき始めている》(最終連)の、《地球》が《教科書》であることの気づき、『窓』ほど断定的ではないところに軟着陸の衝撃の弱さがあるが悪くはない。また、《正直な背中は／人には見せられない／／背中には／いろいろなモノが／棲みついている》の『背中』という作品もほぼ同じである。これら言葉の発見という《いちばん低い位置から》の驚くほどの跳躍力こそが、柏倉の詩のエネルギー源なのだろう。

志村喜代子『後の淵』(水仁舎)。本書が十四年ぶり三冊目の詩集だという志村の『あとがき』に、こんな一文があって所収詩の凛と透徹した厳寒な背後の景観が納得できるように思った。「詩を書き徹した夫・平方秀夫を失いました」と、ご主人も六冊の詩集を上梓し群馬県文学賞を受賞した「詩を」書くことに「徹した」詩人だったことに、詩に向かうリゴリスティックなリリシズムを感受した。具体的に述べるならば、彼岸を前にして此岸にいつづけること。彼岸の彼を召喚すること、とでも言えばいいだろうか。《手をこまねいて見送った》日を詠んだ『業火』という詩がある。悲痛を堪えながらも淡々と次のように記す。《足首　くすぶり／肺に火の手があがる／髪　くべられる／見えながら爆ぜる／貌　炎になる》、と。筆者も両親や姉に先立たれているので経験しているが一度としてこんな風に書いたことはないし、これからもきっと書けないだろう。女性の芯の強さを感じる。その強さとは《控え室で／いま焼かれる／刻々を／待つくるしさ／焙烙の煎り豆のように／残された者は耐えねばならない》という、耐えつづける強さではないだろうか。だがこの詩は、所収のなかでも稀に具体的な場面を描いており、他の作品はもっと隙のないレトリックの密度が高い。どの詩を引用してもいいほどに高度な水準を維持できているが、やっぱり表題作を引こう。《後》は《のち》というルビがふってある。《点々と翳って／向こう岸を埋めている／鴨の群／白鳥のようには／帰るすべもしらず／居すわって鳴き交う／それもよし／／白鳥が／こぞって帰ったけさの川面／大群のあざやかな羽音／にじむ翅の白さを映しながら／空いて広やかな／川はば／たわむ淀みの淵に／湧きあがる水紋／川底には／去ったものたちの水かきの音が渦まき／止むことはない／／ゆうゆうと散らばる鴨は／こともなく／此岸でふたたび立ち会うときを待つ》。巧みに心象風景を描きながらも、国境や季節などの境界を易々と越境してゆく《鴨》に仮託して、存／非存を呑みこんでしまった志村だが、あえて《ふたたび立ち会うときを待つ》と、此岸での希望を語る心情が切ない。

高岡修『原始の人』(ジャプラン)。高岡の詩集は何冊も読んでいるが、本書はこれまでとは違った印象をもった。比較する時間もないので確信はないが、意図的な語法の変化なのか、技法の更新なのか、読後の感触に変化を感じたことは確かだ。冒頭の序詞『遠い血』がまずそうだった。《人が／ではない／血が／夢みるのだ／／原始の人よ／／あなたが／ではない／いま都市の荒野をさまよっている／あなたを／遠い血が／夢みているのだ》(全行)。筆者が帰郷して最初に接触した詩人、風貌や雰囲気の近寄りがたい孤高性に、詩人の強いインパクトを受けた先輩綾部さんの詩がそうだった。いつも《○○ではない》という否定形の詩句から始まっていたものだ。それらの詩を思いだした。この不確定な変化は、書記主体の投影である代名詞《あなた》と普通名詞《遠い血》との関係性の互換性のない交換にある。といっても、書記主体が《あなた》から《遠い血》になるという意味ではない。従来の書法なら《あなた》が《遠い血》を《夢みている》と書いていたはずなのだ。それが《あなたを／遠い血が／夢みている》となって、《あなた》が目的格助詞の《を》をひきつれて《遠い血》に主格助詞である《が》が合体して主格になるという逆転現象を現出させている。しかし既述したように《あなた》というのは書記主体の投影である代名詞であることをやめるわけではないので、《遠い血》と《あなた》とが同列に並び同格にでもなったかのような錯覚を起こしてしまう。この現象は本書の至る箇所で確認できる。詩『鉄のキリン』では、《キリン》が書記主体になりそうなものだが、詩の最後《仕方なく／鉄のキリンたちは／都市の空無を吊り上げる／吊り上げては／空無の質量を／計測する》と、書記主体が《キリン》から離脱するわけではないのだが、《都市の空無》を《吊り上げる》ことによって《都市の空無》に視座がシフトして、《計測する》《都市の空無》が問題視される。詩『都市』もそうだ。《蜃気楼をあつめて／都市は／電波塔をつくった／／死蛍の燠をあつめて／都市は／電光掲示板をつくった》。ここでの書記主体は《都市》で、それは現代や時代の代名詞であるので現代とも時代とも読み替えることができ、《蜃気楼》《死蛍》といった儚いものや死んだものによって成り立っているとクライシスを提示して批評性をもたせている。これらの詩群はこういっていいのかもしれない。レトリックの難易度のレベルアップなのだと。こんなレトリックの捻じれが高岡のこれまでの書法にあっただろうか。詩『磔刑』の図形的表記や表題にある『原始』の語句に、エスプリ・ヌーボーの現代版リフォームとかその時代との融合を感じた。『磔刑』の詩は、十字架の形に文字を並べており、縦の詩句《磔刑のとき真の受難者は十字架となった木それじたいだった》に、本書の核心部分を見る思いがした。それは、《磔刑》→《キリストの受難》→《キリスト教徒》ではなくて、《磔刑》→《真の受難者》→《木》となって、《キリスト》も《教徒》もともにイメージの無効化を試みている。書記主体の変化とは主体と客体との差異化ではなく、並列化とか近接化の試みなのかもしれない。

門田照子『無刻塔』(竹林館)。これまで『巡礼』『満酌』と二冊の方言詩集を上梓しているので本書が三冊目になる。ただ、以前の二冊は「ははの話をヒントや下敷きにしたもの」だったが、今回は「私の想いや体験、見聞したことからの創作」であると門田は書き記している。放言というのは大分の豊後訛りだが、訛りとの縁はご主人の母親のもとで、「毎日聞かされて憶え」たものだ。門田本人は「話すことができない」「書き言葉でしかない」とも記す。日本人といわれる人であっても理解できない訛りがある。沖縄、鹿児島、東北の老人たちの語りがそうだ。極度な訛りは理解できないことがあって、本書にもルビがあり本文とルビと焦点を本文だけに集中できないことが方言詩の難点といえばいえる。門田が「創作」という通りに、かつて姑にとっての息子の嫁であり、「入退院を繰り返す」年寄りの立場から現代の若者や文化に対する揶揄以上の直言や社会批判もあり、制度システムの埒外にいるからこそ歯に衣着せぬ物言いも許容される。詩『生還したけんど』と『うしろ姿』がレトリックに秀でていて佳い。前者では《生きるか死ぬかの戦場で　なんがあったんか／どげぇして復員してきたんか／／とうとう何一ついわんずく／あっちどりさい持っち去んだんじゃ／／今年三十三回忌をしたんじゃけんど／口に出すとむげねぇせちぃことん丈で／だぁれも　ちいおいちゃんの話はせん／あん時代を通り過ぎちきた年寄りは／胸ん内になまかたは戦の傷負うちょっち／死ぬるまんで言われんことも有るんじゃなぁ》。歳月を重ねることで見えてくるものや理解できる事柄があるが、また同時に後者のように、《とき偶に墓参りすると／うちはおかぁさまに謝ることばっかり／今なら年寄りん気持ちの良ぅ解っち／やしゃしゅう出来るち思うんじゃけんど／あの頃はとんぎった嫁ごで／心のどっかで作りたてたり諂うたり／うちは素顔を見せちょらんじゃった／ほんに　すまんことでごだいました　ち》歳月の距離が加わることで嫁姑の濃淡のある関係性も澄んできて、《とんぎった嫁ごで／(略)／素顔を見せちょらんじゃった》と顧みて《謝》ったり後悔する場面を思って素直で正直な気持ちが包み隠さず吐露できるようにもなる。それらの情感は豊後訛りの方言が詩のレトリックとも仮構ともなって、味わいが増すだろう。

こたきこなみ『そして溶暗』(思潮社)。「溶暗」とは、演劇中の照明用語で、照明の照度を絞って舞台を完全に暗闇にする操作、フェードアウトのこと。演劇の一幕ごとの場面設定を変更する際の終わりによく使われる。本書は、序、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲに分けられ、母親、娘、父親をそれぞれ題材にしている。それらを指して各一幕と考えたのだろうか。「思春期のころから」「家と名のつくものに違和感があった」というこたきは、意に反して引き寄せてしまう「家族、血縁についての作品を書きためていた」と『あとがき』に書き記しているように、この無意識の行為こそが引き寄せられ書かされてしまう詩の魔力というものだろう。題材やテーマはマラソンのペースメーカー的であってはならず、無意識から発した行為の結果にあてがった文言でいいとおもう。無意識とは《箪笥に長くしまいこまれた着物の匂いがする／子の知りようのない歳月／踏み込みようのない聖域のまま父は逝ったのだった／妻や子から遠ざかった分だけ／妻も子も父から離れたのだった》(『花冷えの土の顔』から)といったように空洞内に濃密にたちこめた、ひとが左右できずひとを左右する情感とでもいうべきものではなかったか。ただし詩人は予感めいたもので直観的に事前感知することもある。《十歳ぐらいにもなると　予感していたのだ／親とは　いつか思い出の彼方に閉じられる人と／(略)／いまわたしの母は老いて酸素のそよ風で息をつなぐ／九十歳も半ば　帆ちぎれ浸水とどめようがない破船／沈みかけながら日々ゆらゆら漂っている／記憶の積み荷も流失したが／辛かったことも無に帰しているのにほっとする／熊の手も白く滑らかになった》(『たとえば　ひとひらの印画は』から)と、的確なメタファで血族の生涯を要約することも可能である。また、娘に向けたまなざしは時に自身の過去と融合する。詩『誘拐でんわ』は、母娘両者の心情をよく理解する奥行きのある認識に支えられた佳品であった。いったん血縁の情を覗き込むと、神秘に満ちて濃密で、透徹した言語未生のスペクタルな宇宙スペースがひろがっていた。

小川三郎『あかむらさき』(七月堂)での言語空間は、主人公の《私》がいる現実らしき光景を縮尺して作品化したミニチュア・アートか、日常風景がミニチュアタッチに撮影できるチルトシフトレンズによる画像みたいな世界だ。それは言い換えるならば距離を隔てた異界で、主人公が３Ｄアバターであるかのそれを構成するアイテムとなってフィクショナルな物語に奉仕している。そのため本書の詩群たちは、静謐な完了形の雰囲気を帯びて映像的である。縮尺された客観世界は間接的であるから傍観するしか方法がない。であれば、生身を斬れば血が噴き出すリアリティをもっていない。それでいてとても現代的で詩的な言語宇宙を形成しているのである。たぶんそれは書記主体が社会現実と現代詩との関係性に幻想を帯びない醒めた認識をもっているからなのではないだろうか。《家に帰る道の途中に／穴が掘ってあった。／誰かが来て掘って／そのままどこかへ／行ってしまったのであるらしい。／(略)／底にはなにもないのであった。／なんど見なおしてみても／底にはなにもないのであったし／もちろん／誰もいないのであった／(略)／ときおり誰かが／穴の縁から覗き込んで／まだ誰もいない／とつぶやいて引っ込むのだった。／(略)／いまはただ穴の中だ。／穴と私と／空だけなのだ。》(『穴』から)は不思議な作品だ。《穴と私と／空》だけがあって、《誰かが》《穴》を《覗き込》むことはあっても陰翳のように淡々しく実体のない気配のようなもので、《入ってみると見た目に反して／恐ろしく深い穴》で《穴の底には／穴以外には空しかなかった》と、主人公が《穴の底に》いると《穴以外には空しか》ない。《私》が感じている《穴》と《空》とはそのままの《穴》と《空》でもあるし、それ以外のなんとでも交換可能な《穴》と《空》である気がするところが不思議な感触になっているのだろう。したがってこの《穴》と《空》にはリアリティがない。表層でありながら深層でもある実在的な語句なのだ。《夜は誰もが泣くようで／おとなもすずむしも泣くのだった。／私も涙を流していたが／悲しみとは違うような気がしていた。》(『秋夜』から)も妙な詩だ。《おとな》は泣いても《すずむし》は鳴くのだが、人と同じ《泣く》と表記されているし、《私も涙を流していた》が、《悲しみとは違うような気がしていた》と、ひとの涙が《悲しみ》とは直結せずに、《悲しみ》とは別の感情と感情表現の《悲しみ》ではない涙もあるのだという具合に差異化の手法をとられている。《思わず私は流れに顔を浸し／川底の匂いを嗅いだ。／煮えつくような人間の匂い／大勢の／顔を求めぬ思いの匂いが／そこにはじっくりと滞留していた。》(『赤い川』から)も、慣用語的発想のズラシが用いられている。《川底の匂い》が嗅げるものだろうか。《煮えつく(略)人間》や《顔を求めぬ思い》の《匂い》とはどういうものだろう。こんな調子で散々引用し疑問を呈しても仕方ないだろう。『鬼』『純潔』『階段下』『冬の電車』『夕暮れ』『夏下』などをマンガ的発想の奇想天外な面白い詩作品として読んだことだけ記しておこう。日々消費される農薬漬食品・遺伝子組換え食品・ゲノム編集食品に対する拒否、じゃなかった消費言語の拒否、慣用レールからの離脱、そういった小川独自の有機農法的作物づくりに則ったルールによって作られた詩なのであろう。

吉田博哉『残夢録』(砂子屋書房)も、小川の詩作品にある意味通底する、現実の消費社会を無意味化する手法の詩作品で編まれているからだ。とはいっても書法はまったく異なる。小川の詩が体温を欠落させるほど遠い射程から描く斬新で尖鋭な物語の特徴を具えているのに対して、吉田の詩の登場人物は死者であっても体温がある。記憶の届かない場所にある記憶のごとく、勝者の歴史を紡いできた民族の裏面史である精神史の古層や深層に通底する民話、昔話、集落の言伝え、異聞奇譚などとも繋留されて共鳴する血族史の、作為的でフィクショナルな物語群であるために融通無碍で鳥や虫、雲や風のように生死の壁を易々と越境する自在性を有する自由度の高い詩群である。《木を出入りする枇杷老人》(『枇杷老人』から)、《またどこかで母親を蘇らせた》(『大工の話』から)、《どこにでもあらわれる踏切》(『宮沢ちよ』から)、《この世には岸辺しかない》(『岸辺の男』から)、父親も母親も自在な姿で表出されるが、《舟のような棺の小窓を開けてのぞくと母はもうきれいな水になっていた》(『水幻記』から)。いくらでも引用可能だが、この自在性は『ドアマン』の《ドア》に象徴的に描出されている。《屋内とか室内とかいっても先ず外がしっかりしてないとダメなんです》はアイロニカルで、《たいていわたしはどこでもないところに居なければならない》というトポスこそ吉田の書斎なのだろう。それでも、《一個の砂時計である私は一日の夢を生きるために、自分をひっくり返し続ける》の『あとがき』での感慨は、《今日の自分は昨日の〈私たち〉を真似る影絵のようだ》の詩句に対応している『昼食』という題を当てがわれる日常を生き延びているのだ。

樋口武二『アリスの森』(詩的現代34)。このところずっと連作のような詩篇を書き継いできた樋口だが、本書では幼い少女アリスが白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、様々な生き物と出会い冒険するルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』をベースとして、『アリス』のイメージを借りた旗幟鮮明さにより、これまでの連作とは一線を画した独自の物語的散文詩に仕立て上げている。と書きたいところだが違っていた。やはり連作詩群と無関係ではなく、アリスのイメージを借りた分制限が設けられているもののこれまでの書法を踏襲して、既存の境界線を無意味化し易々と越境する樋口独自の世界を描出していた。その詩作品の要諦を樋口は十二分に自覚している。「あらゆるこだわりを捨てて、書くことの衝動、おもしろさに挑んでみました。(略)何を、どう書いたところで、〈わたし〉という存在はついてまわります。〈わたし〉というものを脱ぎ捨てて〈自己表出〉から遠い場所で詩作を試みてみました。〈ものがたり〉が主体でしたが、意志の内部には〈私〉が存在しますから、力を抜き、遊び呆けたつもりでも、私は〈わたし〉でしかありませんでした。(略)〈アリス〉は私達の失ってしまった〈もう一人の私〉であるのかもしれません。そしてそれは、私達の内部で刻々と変化をしつづけてもいるのです」、の文言がそのことを証している。アリスの物語は、《どんなことでも出来る／(略)／夢を生きる》(『序詞・アリスは出かけています。』から)ことであり、《本は開けられ、(略)閉じられるまでの時間》(『遅れてますよ、』から)の中だけにある活字言語による詩的宇宙の世界である。、《背後の森をふり返ると、歩いてきた小道がゆっくりと夏草に覆われ消えかかっていた》(『竜宮の金太郎』から)りすることや、《少女のままのアリスが、そのまま大人になる、というのは耐え難いものがあ》(『大きくなって、』から)るのもいずれも物語の世界内という限定された空間に閉じ込められているせいだ。後半、『わたしはアリスです』という種明かし的詩があり、《兎がふり返って、アリスちゃん森へ帰ろうか、と言った　私は、その言葉を長い間待っていた》の詩句がある。物語を読むさい、主人公のアリスとは〈わたし〉自身のことではなかったか。本を閉じ夢から覚めると、活字言語による『アリス』の物語は終わり、夢の世界が消え、《私は寂しい老人である》(『その結末は、ちいさなエピローグ』から)という発話者側の現実世界が現出するとも読めるが、これも活字言語内での詩句であるから、《どうやらこれは午睡の夢らしい》(『同』)と、それもまた夢…とどこまでも続くマトリョーシカや入れ子構造の世界なのだ。この蜘蛛の巣的、構造主義的思考は、全体主義を否定した相対的で多様な世界の現出であり、さらなる応用が可能な世界であるのかもしれない。

1 0