『田中一村(1908-1977)は、千葉市に20年住み、50代になって奄美大島に移住し亜熱帯の花鳥や風土を題材にした独特の日本画を描くも、生前それらの作品を公表する機会もなく無名のまま没しました。』千葉市美術館HPより
栃木県生まれの一村は、優秀な成績で東京美術学校(現東京芸術大学)に入学するも2ヶ月で退学します。
理由は、一村の目指した「南画」を学ぶ環境が当時の東京美術学校に無く、失望したためとも云われています。
千葉市に移り住んだのは、最大の支援者であった、叔父の川村幾三さんが暮らしていたから。
千葉では誰にも師事する事もなく製作を続けていたようです。
今回の展覧会でおもしろかったのは、この作品です。
(写真は撮影不可のためネット借用)
椿図屏風 1931年 二曲一双
一村、23歳の作品です。
右隻の溢れんばかりの椿(全体が描かれていない、切り取られた)に対して、左隻は何も描かれていない金地です。
速水御舟の「名樹散椿」(1929年)を意識していると云われています。
一村の「椿図屏風」には、御舟の散り椿には無い、エネルギーの爆発が有ります。左隻を金地だけにしたことで更に強調されてるような気がします。
千葉市美術館の特色は浮世絵の優品を所蔵していることです。
今回の展示は「めでたい尽くし」がテーマ。
ここは撮影可です。
歌川国芳
「撫で牛」
月岡芳年
「松竹梅湯島掛額」
勝川春章
「婦人風俗十二ヶ月 正月」
常設も楽しめました(^-^)
私もすごく楽しみにしていた展覧会なのですが、我が家から遠いので、自粛期間中行くべきかどうか迷っています。せめて2月まで待とうかな、と。混雑状況など教えていただけるとありがたいです。
いつも通り、ぜんぜん混んでいません(^^ゞ
田中一村は日本のゴーガンと呼ばれ、奄美の南国風景が目玉です。千葉市美術館は奄美移住前の地味な作品が多く、奄美は有名な「アダンの海辺」ぐらいです。
遠いところご苦労様でした。「椿図屏風」は良かったですよね。その後の地味な作品を見ると、琳派風の作品はお金がかかるから居候?の千葉では難しかったのかな。
一村が頼った、叔父さん(川村家)宅に沢山作品が残っており、一括して千葉市美術館に寄贈したようです。地味ながら腕が分かる作品も多かったですね。