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2020年09月07日14:15

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大倉集古館で思ったこと

ホテルオークラとアメリカ大使館の間に、ぽつねんと佇む中国風の建物。アメリカ大使館と対峙するような配置です。

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大倉集古館は、日本で最初の私立美術館らしい。現在の建物は、ホテルオークラの創業者、大倉喜八郎により1917年(大正6年)に竣工した。設計は、伊東忠太で築地本願寺、京都の祇園閣などの作品がある。

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戦禍を免れた大倉集古館は国の重要文化財に指定されています。
今回の訪問は展覧会「近代日本画の華」の観賞です。1930年(昭和5年)にローマで開催された「日本美術展覧会」(ローマ展)の作品が出品されています。

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22階テラス

イタリアでの「日本美術展覧会」は大倉喜八郎の嫡男、大倉喜七郎(1882〜1963)のプロデュースによるもので、資金は自身が全面負担した。イタリア・ファシズムのムッソリーニ政権の支援によって実現されたこの展覧会は、西洋に於ける初の大規模な日本美術展であり、後に「ローマ展」という名で知られるようになった。団長は、横山大観で日本美術院のメンバーに加え、竹内栖鳳など京都画壇、帝展系の画家も出品している。
イタリアでの開催が西洋美術誕生の地ゆえか、経済的野心があったか、ファシズムに共感した為かは分からない。
出品作品は全て、大倉喜七郎が買い上げたそうです。

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横山大観 「夜桜」

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竹内栖鳳 「蹴合」

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宇田荻邨 「淀の水車」

どれも素晴らしい作品なんだろうが、私にはなぜか心に響かなかった。
「蹴合」の生気がない闘鶏はなんだろう。
栖鳳がわざとこの作品を出品したとしか思えない。





地下2階がミュージアムショップになっています。

そこで、興味深い物を発見しました。


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オークラウロ (ネット借用)


大倉喜七郎が考案したという「オークラウロ」という楽器です。喜七郎が嗜んでいた「尺八」の歌口と「フルート」のキー装置を融合した管楽器です。

喜七郎は、この楽器で「新邦楽」(伝統音楽楽器を西洋音楽の技法で演奏)を演奏したそうです。

和魂洋才の大趣味人であった、大倉喜七郎氏が尺八の音色を愛しながら、西洋楽器のような音程の正確さを求めたのでしょう。明治から続く西洋化の流れを象徴するような楽器です。



作曲家の武満徹は、尺八と琵琶、オーケストラによる「ノヴェンバー・ステップス」を語るなかで、

『なぜか日本にくると楽器は、音が出にくいように、鳴りにくいように進化するんですね』と語り、尺八も琵琶も能の能管も意図的に調律を壊して(出にくくして)、音程の曖昧さ、音の出しにくさを評価するようになった、と語っています。
西洋も中国も楽器はより正確な音程が出せるように進化してきたのとは対照的です。

日本文化の特異性を感じますね。




「ノヴェンバー・ステップス」以降、音楽家と聴衆は、『一つの音の中にすべてをこめてしまう』という、三線や津軽三味線、尺八、琵琶、笙などの邦楽器が奏でる旋律や一音の響きに新たな快感を見いだしました。


数学的な正確さで人工的に音楽を構築する西洋楽器(音楽)に対して、邦楽器(音楽)は調律を意図的に壊して、ノイズのような「さわり」をふくむ一音の響きを重視する。
それは、芸術を自然に対立する(征服する)人間の営みとする西洋に対して、自然に近づき同化する事に価値を見出だす日本との対比になります。



しかし、武満は評論家の粟津則雄との対談で『邦楽器を使って音楽を書くことに、常に危険性を感じています。〜一音で充足するような複雑な響きというものがある。ただ響きの中にのみ深入りすると、どうしようもない泥沼のようで、発展性のない、人間を少しも変えない退廃が生まれてくるように思う』と語ります。
繊細で抒情的かと思うと、厳しく理性的な武満の音楽性のような思考ですね。



『どうしようもない泥沼のようで、発展性のない、人間を少しも変えない退廃が生まれてくる』とはなんと魅力的なフレーズだろう。



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