mixiユーザー(id:61678213)

2020年06月27日15:06

105 view

小説伊勢物語 業平 その五

高子(たかいこ)姫の清水詣でに遭遇した業平、高子姫への想いは募るばかり。
業平の従者、憲明(のりあきら)は、高子姫との危険な文のやり取りに、それとなく逆らっていたが、いまでは致し方なしと、高子姫の女房近江の方と通じて、逢瀬を段取りするようになっていました。

やがては入内する高貴な姫君との悲恋。それを仲介する双方の従者というシチュエーションは、現代の小説の筋書にもみられます。

フォト

三島由紀夫 豊饒の海 第1巻 春の雪

フォト

行定勲監督 妻夫木聡 竹内結子 2005年
吉永小百合と市川海老蔵(先代)のTVドラマもありました


三島由紀夫の「豊饒の海」は、「浜松中納言物語」を土台に作られたと筆者が語っています。「浜松中納言物語」は、輪廻転生の物語ですが、「源氏物語」に影響を受けいると言われています。源氏のモデルが業平(あるいは源融)だったことを考えると、伊勢物語から豊饒の海まで、連綿と続く恋の物語の類型が見えます

業平と憲明、高子姫と近江の方は、「春の雪」の清顕と書生の飯沼、聡子と侍女の蓼科で、逢瀬の舞台回しの重要な役どころですね。


本題に戻ります。

憲明と近江の方の尽力もあり、高子姫の母、五条の后邸で逢瀬を重ねる業平と高子姫でしたが、やがて兄基経の知るところとなり、藤原家の掌中の玉である高子姫は、連れ去られて、内裏に入ってしまいました。

フォト

内裏の図 高子姫が居るのは後涼殿

文のやり取りだけでも危険で険しい高子姫が住むのは、帝がおられる内裏。

しかし、希代の好き者業平は進みます。
後涼殿のひさしまでは、忍びいりますが、なかなか共寝までには至りません。

ある朧月夜、いつものように後涼殿の庭に忍んでいた業平、すのこにぼうとした影が近づいてきます。小袿(こうちぎ)の赤の下に蘇芳(すおう)の色らしき袖口。
衣の青色や赤色は高貴な方のみが着ることの出来る金色。高子姫に間違いありません。

フォト

小袿

業平「今宵は近江の方は」

高子「酒を召されて、このような夜は、どのお方も月の翳りをまとい、天上にまで辿り着きたく・・」

業平「今宵こそ、かねての約束を」

「かねての約束とは、はて・・」

約束など無いのですが、ここは嘯く(うそぶく)のも心の綾。

業平「覚えておられるはず、春のおぼろな宵に、梅の香の中にて」

「梅の香の中にて、まるで思い至りませぬが」


それ以上何も申さず、姫君も訊ねず、業平は姫の長い髪を地面に落とさぬように抱き上げて、そのままひさしの中へと入ります。

半ば脱がされような空蝉のような衣の赤。業平、その色を組み敷き、溺れ、ついに共寝を為し遂げました。


都人の口の端ほど恐ろしいものはなく、業平の訪れを、帝がお知りになられたらしい。

五条の后(高子姫の母)も、致し方なく、邸内の塗籠(ぬりごめ)に高子姫を閉じ込めました。

業平と高子姫は、出奔を決意します。
業平と高子姫の逃避行は、雨の中、桂から長岡へ、旅の仕度を整えて、芦屋の所領まで行く予定。

長岡の邸で眠った。
雨が強くならないうちに芥川を越えたい。

業平は高子姫を抱いて馬に乗せます。大雨のなか稲光も走り、高子姫の体も冷えて震えています。
馬も立ち往生し、業平は姫を馬から下ろし、姫を幼子のようにおんぶします。

フォト

俵屋宗達 芥川

フォト

月岡芳年 在原業平と二条后

ここで有名な、草の露を見た高子姫が業平に、
「あの白い玉は何ぞ」と問、業平は「あれは、はかなきもの、朝は在るが昼には消える、消えると知りても美しい」と答えます。

業平は雨をしのぐため姫を、近くの無人のあばらな倉に避難させます。

後に続いてるはずの憲明に居所を知らせるため、業平は倉の外に出て、弓をひたすら鳴らします。
近くに蹄の音が聞こえます。

倉の奥から、「ああ」と声があがり、姫の元に駆け寄りますが、すでに姫の姿はありません。

足元の装束用の浅沓から、姫は兄の藤原基経に取り返されたと知りました。


その後、高子姫は25才で、後の清和帝(17才)に入内されました。


時は流れ、高子皇后が主宰する歌会に招かれました。
歌会は大原野の紅葉がテーマでした。

さまざまな歌が披露され、最後に業平の歌となりました。高子皇后の意向のようです。

「ちはやぶる神代も聞かず竜田川
唐紅に水くくるとは」

業平は、叶うことのなかった恋情を、高子皇后が望む和歌の世界の為に尽くすことを決意しました。


年老いた業平は伊勢(恬子斎宮の女房)と昔話をしています。恋について問われると、

「男の恋は二つの方向へ向かうもの、叶わぬ高めの御方への憧れと、弱き御方を父か兄のようにお護りしたい恋と、いずれも叶うこと難く、ゆえに飽くこともなし」と高子姫と恬子斎宮との恋を懐かしむように語ります。

そうして、業平は旅だったのでした。

フォト

英一蝶 見立業平涅槃図


辞世の歌は、

「ついに行く道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思わざりしを」



7 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する