ほんとは、3月に行ってるはずだった京都市京セラ美術館。Webを観ていたら、ある作品に目が釘付けになった。
それは、菊池契月「少女」。
菊池契月の作品はたぶんどこかで観ていたはずだが、名前は記憶に残っていなかった。
調べると、菊池契月(きくちけいげつ)は1879年生まれ、鏑木清方(1878年)、上村松園(1875年)と全く同世代ですね。
京都では特別な存在らしく、1955年に京都市美術館で市民葬が行われている。
「少女」1932年(昭和7年) 京都市京セラ美術館
まず目を惹くのは、少女の白い顔、白い手指と足指。
瞳はこちらを見ているようでもあり、意識していないようでもあります。小さな口は、嬉しいのか哀しいのか表情を窺う事はできません。長い髪はまろみをおびた背に沿って流れ、帯にせき止められています。長い腕が伸び、袖からは、しなやかな美しい手指。裾からは、掌にしっくり包めそうな形のよい足指。淡い色の着物は普段着でしょうか。一対の小鳥や花、貝の柄が描かれています。(なにか意味がありそうですが・・)
鏑木清方の媚態のある「粋」、上村松園の凜とした「心意気」とも違う美が菊池契月の「少女」にはあります。
それは、「少女」が生身の肉体を感じさせない、見る者で表情が変わる能面のような顔、節の無いしなやかでふっくりした手足は、むしろ仏画の菩薩を感じます。
書き手の理想的な女性のイデア、真摯で端正な精神が絵から見えて来るからかも知れません。
もう一度、全体を見ると、三角形の構図が、空中に浮遊しているような少女に安定を与えています。
この三角形はありそうで無い構図だと思う。
西洋画で横たわる構図といえば「オダリスク」だろう。
オダリスクはその性格から、女性の肉体をさらけ出す(あるいは想像させる)絵画です。
ゴヤ 着衣のマハ
ルノワール オダリスク(アルジエの女)
菊池契月の「少女」との違いがよく分かります。
むしろ藤田嗣治の「座る女」に近いものを感じます。
藤田嗣治 座る女
「少女」は1932年(昭和9年)に発表されましたが、古さを感じません。
むしろ、リアリズム日本画の諏訪敦(1967年〜)に近いものを感じます。
諏訪敦 12years
菊池契月の他の作品を見てみます。
朱唇 1931年
桃山の衣装を着ていますが、時代背景はないそうです。愛する人が帰って来たのでしょうか、嬉しそうです。この構図、色彩も素晴らしいですね。
友禅の少女 1932年
南波照間 1928年
沖縄の母子。大和絵のような色彩と構図。
どの絵も実物を見たことはありません。
本当に良いものは外に出さない。
京都はやっぱり、いけず?
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