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2008年01月04日21:12

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槍平の遭難事故3

4人の遺体を避難小屋に移し、現場を片付け終わったのは午前2時近くだった。
テントに戻った。
パーティーの一人は外に出ず、テントキーパーをしていた。
彼が入れてくれた温かいお茶飲んだ。
先ほどまでのひどい吐き気が少し収まった。

1月1日、午前8時起床。
午前11時、下山を開始した。
槍平を離れる前に避難小屋に挨拶に行った。
4人の遺体はシートに包まって、静かに眠っていた。

槍平から新穂高まではいくつもの沢を横切る。
ラッセルの途中、先の沢で表層雪崩が起こった。
煙のような雪がすぐ近くまで、飛ぶように流れてくる。
思わず足がすくむ。

午後2時40分、穂高平小屋に着いた。
高山署の救助隊が十人ほどいた。
事情聴取をされる。
事故の状況、救助の時の様子などを話した。
警察官の言うには、新穂高の登山口にはマスコミが大勢押しかけてきているという。
「いろいろしつこく聴かれるのは嫌でしょう。わたしたちが追い払ってあげますよ。」
二人の警察官が一緒に下山してくれる。
頼もしい限りだ。

午後3時30分、新穂高に着いた。
新聞記者が一人いて話しかけてきた。
警察官が
「この人達は関係ない!」
と言って守ってくれた。
じつに頼もしい。

登山センターに着いた。
警察官達は、
「下山届けを出しておいて下さい。それじゃあ。」
ということで建物の中に入っていってしまった。

それを横から見ていた新聞記者やテレビカメラマンがどっと押し寄せてきた。
マイクとカメラの集中砲火に遭う。
わたしたちは、遭難現場にいた登山者の中で最初に下山したパーティーだったのだ。
彼らはとにかく情報が欲しくて、しつこく駐車場の車の前までやってくる。
なんだかいろいろしゃべらされて、夜のテレビニュースにわたしの顔が流れてしまった。
ほかのメンバーも新聞やテレビに出て、親戚や知人から電話がかかってきたりした。

もうちょっと楽しいニュースで出たかったなあ。


追記
名古屋に帰って、集合場所で解散した。
自分の車に乗って帰ろうとしたら、鍵がない。
騒動で紛失したようだ。
電車に乗って家に帰り、スペアキーを持って車に戻る。
家に帰ったのはすでに未明だった。

ほんとうにひどい一日だった。



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