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2020年06月02日00:34

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織田信長の古戦場巡り1、赤塚の戦い

自粛期間中に「信長公記」を読んだ。
大田牛一という織田信長の家臣だった人が江戸時代になってから書いた本だ。
信長の生まれてから死ぬまでをかなり詳しく書いてある。
これは信長に関しての第一級資料だ。

それで信長に興味が出てきた。
なんといっても地元の英雄だ。
信長が戦った合戦跡地を年代順に訪ねていくことにした。
最初は赤塚の戦い跡だ。

まずは解説を「信長公記」から易しく書く。

信長は不良少年だった。
おかしな服を着て、大刀を差して、仲間を引き連れ名古屋の繁華街を遊び歩いていたらしい。
1551年、信長が17歳のときにパパの織田信秀が死ぬ。
織田家の跡取りとして、今のだいたい名古屋市の地域にあたるところのリーダーになる。
河村市長のようなものだ。

信長の最初の戦いはそれから約1年後の1552年4月17日だった。

新しく名古屋の大名になったけど、やはり若くて経験がないので舐められたのだろう。
そのころ、名古屋のすぐ隣まで駿河の今川義元の勢力が及んでいた。
今川勢力の境界にある鳴海城の城主、山口教継と息子の山口教吉が織田家を裏切った。
名古屋に今川勢が侵入してきた。

信長は800名の軍勢で自宅の名古屋城を出発した。
当時は那古野城といって、もっと小さな城だった。
中根、古鳴海を通って、三の山に登る。
向こう側を見下ろすと赤塚という場所に山口教吉の軍勢1500名が見える。
18歳の信長は坂を駆け下り、戦が始まった。

これが信長のデビュー戦である赤塚の戦いだ。

戦闘は2時間ほど。
信長側の犠牲者は30名。

この戦いで駿河今川の侵攻は食い止めたが、鳴海城は今川のものになった。


ここから日記

5月31日(日)

車で笠寺から旧東海道に沿って鳴海に向かう。
ずっと平坦な道路だ。
名古屋市緑区に入る。
このあたり昔は海に近く古木曽川というのが流れていて、その土砂が堆積してできた。
だから標高が低い。
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そこで突然に盛り上がった丘に来た。
これが三王山、「信長公記」に三の山と書いてある場所だ。
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近くの信用金庫の駐車場に車を停めて三王山を上っていく。
駐車場の標高が3メートル。
三王山は33メートルだ。
この丘は公園になって整備されている。
階段を登っていくと広場があった。
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東のほうが赤塚だけど住宅街なので見晴らしがよくない。
近所の家が見えるだけ。
しかし信長も同じようなコースでこの丘に来たのだ。
やはり起伏のない濃尾平野から最初に突き当たる急斜面の丘だから、上って偵察するのも当然のことだろう。
当時は戦場になった赤塚まで見通せたのかもしれない。

この公園が三王山という名前なのは3つの社があったから。
今では稲荷社があるだけだ。
それなりに由緒ありそうなお稲荷さんだった。
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お稲荷さんの反対側には松尾芭蕉が自ら碑文を書いた句碑がある。
芭蕉の生前に建てられた句碑はこれが唯一だそうだ。
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旧東海道の際にあり、やはり昔から目立つ山だったのだろう。

三王山から赤塚の方へ坂道を降りていく。
1キロほどで赤塚に着く。
赤塚という地名の由来は古墳が二基あるからだろう。
すっかり新しい住宅が建てられた区域の中に古墳と元古墳があった。
このあたりが赤塚だけど、敵味方の合計で2300人が戦うにはあまりに狭い。
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赤塚の坂を下りきると大きな溜池がある。
新海池という名前で江戸時代に造成された。
おそらくこの溜池ができる前の湿地か田畑で戦いがあったのだろう。
ぐるりと池を一周したけど、静かで良いところだった。
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少し戻って鳴海城の方へ歩いていく。
敵の山口教吉の根拠地だった城だ。
途中で成海神社に参拝する。
延喜式にも記載されている古い社だ。
もとは500メートルほど南にあったけど、1394年ごろ鳴海城を作るために移転させられた。
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その鳴海城があったところは公園になっている。
鳴海城跡公園という、そのままの名前だ。
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道路を挟んだ向かい側には天神社がある。
ここは成海神社の旧地で、鳴海城跡の石碑が建っている。
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旧東海道を歩いて車を停めた方へ行く。
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途中で道路沿いに丹下砦の跡地があった。
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赤塚の戦いのあと、信長は鳴海城を取り囲むように3つの砦を作った。
その一つが丹下砦だ。
鳴海城から500メートルほどしか離れていない。

もうこれからして信長の駿河今川に対する激しい戦闘意欲を感じさせる。
そりゃそうだ、名古屋が静岡なんかに負けてたまるか。
やがてこの対立が8年後の桶狭間の戦いにつながっていく。



今後の予定ではこれから32ヶ所の古戦場へ行き、最後は本能寺で祝杯を上げる。
でも前半は愛知、岐阜ばかりなので半日で行けるけど、後半はほとんどが大阪近辺。
東大阪市とか大阪市大正区とか羽曳野市とか、どこだそれは???

ということで、いつ中断するかわからないけど、信長の生涯を追いながら古戦場を訪ね歩くシリーズだ。
次回は萱津の戦い。
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