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2019年12月16日11:12

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こどものころに父の書斎で深夜に病院からタクシーで戻るバタンという音が聞こえるまで父のいない間、聞いていたあの音だ!

Bach一族縁(ゆかり)のLeipzigはかつでのDDR(共産主義ドイツ)・西のショウウィンドウ(西ベルリン)には元ナチとも言われたカラヤンがいた。あれ・・・日記でコメントを書こうと思ったけれど、かけません・・・・とほほ。日記に --- ドイツの「音楽の街」ライプチヒでクラシックの巨匠ゆかりの地や本場のオーケストラを楽しむ (GOTRIP! - 11月23日 06:40) http://mixi.at/ai7uqim(2秒前)続きは日記に書きますね。昨晩、NHKのBSでNキョウ(NHK交響楽団)によるMozartの後に、カラヤンのベートーフェンをやっていました。ドイツの香り。といってもいいのかな。最近の日本の知識人は、アメリカに洗脳されたのか、ドイツへの悪口がお好きですけれど。

ということで、書きます。

昨晩、カラヤンで第5をやっている古い映像をNHKBSで放映していた。昨晩、深夜、少しだけそれを見て、ああ、懐かしい、と感じて、今朝、暖かい日差しを浴びながら、それをゆっくりと聴いている。

カラヤンが今見ると、意外に寸胴で背が小さいことを気にしているのか、あるいは指揮者として目立つ必要があったのか、髪の毛を立てていたりと、当時は知らなかった色々なことに気づいた。

とはいえ、その演奏は見事なもので、私が子供の頃、父の書斎にこもって父の愛蔵していた当時のレコードを父が夜遅くに帰宅するまで巨大なスピーカーの上に乗っている高音域用の鉄製の小さな音響設備を下に引っ張って板敷きの床に座って聴き続けていた日々を思い出した。

 あのころは都会の子供というものはみなそうかも知れないが、人生が酷くつまらなく残酷に感じられていたことを思い出す。
 そして、同級生たちと手塚治虫だの朝日ジャーナルだのを読んで仕入れた思想関係の話に夢中になった後、てくてくと歩いて、友人たちは少しずつ自宅について分かれていき、一番遠方にすんでいた私(厳密に言うと、目黒駅から電車に乗って青葉台まで帰るYくんがいたが)は、目黒からさらに坂を上り下りして自宅まで歩くのだ。
 目黒の高級住宅地に住む友人が家までついてくることも多かった。
彼は、兄は開成で、姉君は当時東大に100人規模で合格するという都立戸山高校の才色兼備の人で私の母などは、この二人にあこがれていたものだ。

 彼の父親は父が若い頃勤務していた病院で鉄門の先輩であり、そこの三階から手すりにつかまって降りてきては、1階の書斎で株券に囲まれながら、ソファアにくつろいでいた彼の祖父は、弁護士で某巨大電気会社の重役かつ創設者の一人だということで、地域では名門として知られていた(らしい。)
 彼の母は、その後、社会党左派や共産党が「指導」しているらしき住民運動の中心メンバーになっている。
 そんなことを思い出したが、まあ、それはよいとして、当時の思い出に戻る。

 こうして、かなりの距離を友人宅を巡りながら帰り着くと、今度は多忙な父が戻るまで、私の身長よりも大きなスピーカーの前にうずくまってアルバムの解説の細かい文字を辞書を引きながら沈みゆく夕日の赤い光で読んだりしながら時を子供時代の時間を過ごしていたことを懐かしく思い出す。
 父のその膨大なレコードコレクションも、その後、弟妹たちがゴミのようにしてしまった。
教育の失敗と言えばそういうことかも知れないが、文明を伝えていくと言うことは本当に難しいことだと思う。
 そういえば先日、昔一緒にお仕事をしたり、勉強会をしていた良心的な官僚があろうことか刑事事件の被告になっていた。
 このときもネット世論は彼のことを口汚く罵っていたけれども、子育ては難しいのだ、文明を伝え育んでいくことは、大変なことなのだ、とそういう人たちに対して言ってみたい気持ちを抑えるのは難しかった。

人の世は苦しみに満ちているけれどもそれだけに冬の日差しは温かく身体を休ませてくれるし、文明の精華とも言うべきBPOの音は不滅だと感じます。

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