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2019年12月09日11:25

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弱き者の名。それは「人間」なり

■前編:《孤独死》現役世代で半年も発見されない現状「孤独を我慢しろという社会はおかしい」
(週刊女性PRIME - 12月08日 16:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=235&from=diary&id=5894120

後編:孤独死現場で「死んでくれてよかった」と平気で言う人も 無縁社会が今すべき対策
https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=5894135&media_id=235&from=access_ranking

関連記事:《20代男性の孤独死》社員寮で1週間発見されず 残された自己啓発本に見えた葛藤
https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=5894173&media_id=235&from=shared_ranking

民主政権までは「年間自殺者3万人」だったが
今日では「年間孤独死3万人」か。
そのように仕組まれた社会なのだから解決策はなく、逃げようもあるまい。
ならば、そのように仕組まれた社会で、巧みに生きることを考えた方が良い。
世には、オールマイティに全てを独力でこなし
自給自足できる人間はいないからこそ
分業と協業によるコミュニティを形成する。
その中で存在意義が認められれば、安心と満足が得られるだろう。
しかし、認められないために不満や不安を感じるならば
承認欲求を他人に依存せず、自己肯定によって自分で満たせばよい。
過去の些細な成功体験による快哉、快心の記憶のみをかき集め
悔悟、後悔の負の記憶は尽く消し去れば良い。
こんな時は、支那チョンの厚かましい自己満足の
身の程知らずの自信過剰と厚顔無恥を見習うと良い。
孤独を恐れて逃げ回るから、苦痛になるのだろう。
逃げ続ける限りは、苦痛でしかない。
孤独は「自由の特権」ととらえて
むしろ、その恩恵に浴することを考えるのが良い。
孤独死が社会的迷惑というならば、これを避けるために
自分の死期を覚る訓練をするのが良いだろう。
達磨大師は面壁七年。
孤独になれば、誰しも精神は自由となり、自由時間も確保できる。
「梵我一如」を理解するまで、我と宇宙に想いを馳せる
テオリア(観想)の時間がいくらでもあるはず。
梵が分かれば、我の命運も分かり、死期も分かる。
その時、身辺整理を始めるのが良いだろう。
どんな状況下においても肝心なことは、パニックにならないことである。








浮き世なんぞ、あっしには関わりのねぇこって。

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