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2020年05月29日21:45

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独り言

5月27日は日本海海戦の開戦日である。
(戦闘終了は翌28日)
世界の戦史でも希に見る「完全勝利」で
日本人にとって誇らしい歴史でもあるが、
成果が大きければ後世に与える影響も大きい。
自分は「日本海海戦の勝利が太平洋戦争の敗北を招いた」
一面があると考えている。
最たるものは海軍が「海戦で大勝利を収めれば戦争に勝てる」
即ち「艦隊決戦至上主義」に凝り固まってしまった事。
「軍の存立意義」は「国土、国益の確保」である筈だが、
太平洋戦争時の日本海軍は
「艦隊(=戦艦・巡洋艦)さえ残っていれば逆転勝利は可能」と
艦隊保全の為に小型艦・輸送艦を見捨てる(トラック空襲)など
「軍の存立意義」を疑わせるような行動を取っていた。
のみならず潜水艦運用の勘違い、海上輸送路護衛の不備など
実は敗戦の遠因いや要因ではと思われる齟齬が幾つもあった。
それらの根本は「日本海海戦」に遡れると考える。
そもそも自分は日本海海戦は「勝って当たり前」の戦いであったと思っている。
遠征で疲弊した敵艦隊を、勝手知ったる自国の領海で迎え撃ったのだから。
兵法に言う「以逸俟労(逸を以て労を俟つ)」である。
これは東郷平八郎や秋山真之を貶めるのではなく、
戦う前に「必勝の態勢」を築いていた日本政府や軍を評価するのである。
イギリスと同盟を結んで欧州各国を中立化させ、
ロシア太平洋艦隊を旅順に押し込めて無力化し、
バルチック艦隊が補給不十分な遠征を余儀なくされるように仕向け、
諜報活動で想定航路を絞り込んで待ち伏せした。
(勿論、敵艦隊を「殲滅」したのは艦隊司令部の戦術の巧みさである)
更に海戦の勝利を即時に講和に繋げるよう米大統領に働き掛けていた。
この用意周到な前準備を、40年後に当の日本人が忘れていた。
東郷平八郎は戦後「艦隊派」の重鎮となり、軍縮条約に反対した。
また伏見宮博恭王と共に「条約派」の高級軍人を人事で冷遇した。
秋山真之は「アメリカと戦争してはならない」と言い続けたのに。
歴史は常に「塞翁が馬」と言う事なのだろうか、と考えている。

何年か経った後でこの文章を読み返して、
「ああ、この時はこう言う視点が欠けていたな」
と自らも成長できていれば良いな、と思う。


■【追悼】外交評論家の岡本行夫さん 本誌で「坂の上の雲」に熱中した外交官時代を語る
(AERA dot. - 05月08日 13:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=6074778
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