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2017年08月10日15:08

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特集_山口百恵_最高傑作「夜へ・・・」

詳細画像についてはmixiフォトにて公開中。

オリジナル
https://www.youtube.com/watch?v=_l--ognExfc

『山口百恵激写/篠山紀信』バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=6UQE8mkeVPc

『山口百恵リサイタル-愛が詩にかわる時-』バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=tgQw-zS-6iM


○作詞: 阿木燿子、作曲: 宇崎竜童、編曲: 萩田光雄
歌詞
修羅 修羅 阿修羅 修羅
慕情 嫉妬 化身
許して 行かせて
繻子(しゅす) 繻子 数珠(じゅず) 繻子
繻袢 朱色 邪心
許して 行かせて

あやしく あまやかな 夜へ
やさしく やわらかな 夜へ

シュル シュル シュルル シュル
夜へ 夜へ 夜へ

処女 処女 少女 処女
媚薬 微笑 女豹
許して 行かせて
落花 落花 快楽(けらく) 落花
春風 有情 無情
許して 行かせて

ゆっくり ゆるやかに 夜へ
ひそかに ひめやかに 夜へ

ルル ルル ルルル ルル
夜へ 夜へ 夜へ

シュル シュル シュルル シュル
修羅 修羅 阿修羅 修羅
夜へ・・・


○データー
・1979年4月1日発売の通算17枚目のスタジオ・アルバム『A Face in a Vision』の最後の11曲目に収録。
録音スタジオ:信濃町sony recording studio
オリコン最高位3位(LP)・8位(CT)

・1979年11月21日発売の5枚目のライブ・アルバム『山口百恵リサイタル-愛が詩にかわる時-』のDisc-2_9曲目に収録。
録音日::1979年10月1、2日
場所:東京・帝国劇場
オリコン最高位42位(LP)

・LP帯コピー:出逢いから今日まで篠山紀信の映像からこんなにも美しい音の世界が生まれた。NHK特集「山口百恵」激写・篠山紀信
特典:篠山紀信撮影による20ページ写真集

・NHK特集『山口百恵激写/篠山紀信』の為に作られたアルバム。
番組は後にビデオ化され、2004年6月にはDVD化された。

・1985年公開 日活ロマンポルノ映画 『ラブホテル』劇中歌


○参加ミュージシャン
・『A Face in a Vision』
ドラムス:平岡昭二
ベース:鈴木淳
キーボード:渋井博
ラテン:納見義徳
アルトフルート: ジェイク・H・コンセプション
ハープ: 山川恵子
アコーディオン: 風間文彦
ストリングス:小林グループ

・『山口百恵リサイタル-愛が詩にかわる時-』
ザ・ムスタッシュ(MOMOE BAND)
ドラム: 大石恒夫
ベース: 石田良則、沢ケン、鹿島正己
キーボード: 佐藤謙二、本多宏、松崎雄一
サックス・フルート: 本村俊雄
トランペット: 須藤健二、石垣三十郎
トロンボーン: 雨宮浄
ラテンパーカッション: 片山茂光
コーラス: コスモス
ギター: 青山徹
ストリングス: 新室内楽協会
指揮: 山本直親


○スタッフ
・『A Face in a Vision』
エグゼキュディブ・プロデューサー: 酒井政利
プロデューサー: 川瀬泰雄
プロダクション・コーディネーター: 金塚晴子
レコーディング&リミックスエンジニア: 前島裕一、萩田光雄
アシスタント・ミキサー: Mikio Takamatsu、Mitsuru Kasai
アシスタント・ディレクター: 原口和敏
写真: 篠山紀信
カバーデザイナー: 山田充

・『山口百恵リサイタル-愛が詩にかわる時-』
構成・演出: 牧野敦
音楽監督: 川瀬泰雄


○エピソード
・前述の番組で使用された「マホガニー・モーニング」及び「喰べられてしまった獏」「夜へ・・・」は別テイク。
・オリジナルアルバムのジャケットは1978年に雑誌『GORO』に掲載された「夜の果ての旅」の撮影カット。
・山口百恵自身が19歳の夜の私を夜の自然光の中で撮って欲しいと篠山紀信に提案・企画した。
・湯布院映画祭のゲストで宇崎竜童氏が語った話の中で、ロマンポルノ作品『ラブホテル』に山口百恵の歌う「夜へ…」の使用オファーがあった時、宇崎氏は当時の山口の所属事務所(ホリプロ)からの電話に「(メガホンを取る)相米慎二は素晴らしい監督、そこで百恵さんの曲が流れても傷になりません」と答えたエピソードを述懐。
・結婚後、俳優として伸び悩んでいた三浦友和を相米監督は「台風クラブ」に起用、その時の演技で、友和はターニングポイントを迎えたとコメント。
・『山口百恵リサイタル-愛が詩にかわる時-』では、10月20日の大阪公演で、三浦友和との恋人宣言をした。


○評論
ジャズ評論家:平岡正明氏

夜の果に歩み入る山口百恵はたとえようもなく美しい。
“未知の恋人に抱かれにいくのだ”。
そういう曲として聴くのが正解だろう。官能的である。
楽器の編制がそうだ。弦バス、ビオラ、アコーディオン、ギター、いずれも熱い血液を送り出す心臓のような楽器だ。
萩田光雄の編曲は傑作である。

女声を支える深々とした弦バスの響きというのは優秀なヴォーカル・レコードを出しやすい組み合せのようで「クライ・ミー・ア・リバー」の入ったジュリー・ロンドンの最高傑作「ジュリー・イズ・ハー・ネーム」が、レイ・レザーウッドのベースとバーニー・ケッセルのギター伴奏、「ソフィスティケーテッド・レディ」の入ったサラ・ヴォーンの「アフター・アワーズ」もジョージ・デュビビエのベースとマンデル・ローのギターを伴奏に選んだものだ。
日本でも後藤芳子の「ア・タッチ・オブ・ラブ」が名手、稲葉国光のベースと中牟礼貞則のギターと組んだものだった。
歌謡曲では「火のこ」の内藤やす子である。これは「サタデー・クイーン」の一曲目を飾る。

弦バスの響きは深く、あたたかい。ぶあつい胸と太い腕をした男の楽器だ。弦バスの名手と組むというのは女性歌手の試金石と言っていいだろう。
「夜へ・・・」で弦バスをひくのは鈴木淳で、この人もなかなかうまい。夜の柔らかく、厚味のある雰囲気を出している。
「夜へ・・・」で注目すべきことは、これが山口百恵の歌う最初のシャンソンであることだ。
見事にシャンソンを消化している。金子由香利のシャンソンを敬慕していることがこんなかたちであらわれたのか。
そして驚いたのは最初に歌ったシャンソンが、ジュリエット・グレコを連想させたことだ。「ミアルカ」が下敷きだ。
グレコの「ミアルカ」は、夜よ、私の友よ、私は待つ、ではじまる。歌詞の大意は、夜よ、私の恋人をあたえておくれ、夜よ、私の髪にまとわりついておくれ、私は恋人が私のために悩みもだえるのが見たい、「修羅 修羅 阿修羅 修羅 慕情 嫉妬 化身 許して 行かせて」と始まる阿木耀子の詩はグレコを意識したものに違いない。

グレコはシャンソン女性歌手では歴代二位にはいるのではないかと思う。ダミアを別格にして、グレコはそれに次ぐと信じている。
しかし問題はジュリエット・グレコがどんなに大歌手ということではなく、なぜ「ミアルカ」ということだ。
〜略〜
この曲は、ジャン・ルノワール監督の1956年作品「恋多き女」の主題歌である。〜略〜
このミステリアスな「ミアルカ」は23年の時空を超えて、山口百恵の「夜へ・・・」でよみがえった。その意味するものはなにか?

第一に、日本の歌謡曲が夜を取り戻した事である。李成愛の艶歌で感銘深かったことは、闇の芯の青い洗浄さを伝えてくれたことだ。心を洗われるような夜の深さだった。
それはただちに、波に漂う浮標(ブイ)を見つめている女の視線に鳥肌が立つほどの美空ひばりの絶唱「哀愁波止場」を思い出させた。
日本の歌謡曲はこれを失っていたのだ。夜の深さがあってこそ慟哭も深い。1960年代高度成長期の人工照明が、夜を奪い、人々の生活を監視し続けていたように思う。
正月三が日の東京の夜や、石油ショック時の“灯火管制”下の夜は、取り壊されたビルの下に露出する、数十年ぶりで空気に触れる黒々とした土と同じように新鮮にうつらなかったか?。
〜略〜 
日本の歌謡曲は夜を取り戻しつつあったのである。

拍手をしよう、山口百恵は、はじめてシャンソンを歌ったばかりでなく、はじめて夜を歌ったのだ。
これまで彼女が歌ったものは、レースのカーテン越しの朝の光であり、肌を焼く十二時であり、赤い曼珠沙華が透き通って一瞬白く見える午後であり、丘の上に立って夕日を見る時刻であり、霧雨にけむる洋館であり、カフェテラスに迫る黄昏である。夜はない。夜を歌うまでに彼女の官能は成熟していなかった。
山口百恵は娘時代の、刻一刻の、それぞれの時点での女の最高の成熟のレベルを歌ってきた。
二十歳でもそれをやった。二十歳でついに夜をとらえたのだ。ただ、「夜へ・・・」が二十歳時の彼女の最高の成熟とは断定しない。
二十歳の誕生日と二十歳の終端では山口百恵はがぜん違うだろうからだ。
〜略〜
「ミアルカ」が23年の時空を超えて「夜へ・・・」でよみがえった第二の、そして第一のものより重要な意味がある。

心中の気配がある。

それは宇崎竜童の「曽根崎心中」(宇崎竜童主演映画)の余波である。
〜略〜
そのLP、ダウンタウン・ブギウギ・バンドのアルバムである。
その曲名は「道行華」。
作詞は阿木耀子、歌い手はもちろん宇崎竜童である。

五色(ごしき)の沼の光を受けて
朝を弾いて 咲く蓮(はす)の花
台座の固さは処女(むすめ)のままで
白い花びら 心の証し
咲いてる間は極楽花(ごくらくばな)で
散り行(ゆ)く時は地獄の花か
咲かずに枯れたら 何としょう
咲かずに散ったら 何処(どこ)へ行(ゆ)きます

黄金(こがね)の雲に恋したために
東へ向かい飛ぶ空の鳥
何処まで行っても 辿(たど)りもつけず
羽を休める 枝も見えない
飛んでる間は極楽鳥(ごくらくちょう)で
翼折れたら奈落の底へ
飛ばずに落ちたら 何としょう
飛ばずに死んだら 何処へ行きます

夜の静寂(しじま)に隠してみても
隠し切れない 現身(うつせみ)の恋
明かりを近づけ 手鏡みれば
紅(べに)も一色(ひといろ) 今夜は赤い
生きてる間が極楽なのか
道(みち)行(ゆ)く先は三途の川か
この身の辛さは 何としょう
この身が朽(く)ちたら 何処へ行きます

曲は一番、二番、三番と進むうちに熱く激しくなってゆき、つきつめた表情に変わってゆき、あともどりができなくなってゆき、パワーとスケールが大きくなってゆく。
そして終わり方が、シンセサイザーによる、波動と減衰。
「曼珠沙華」や「マホガニー・モーニング」の原型が宇崎竜童「曽根崎心中」にあったのか。「曼珠沙華」の東洋思想の原型がこれだったのか。
そしてまさに、山口百恵の「夜へ・・・」が宇崎竜童の「曽根崎心中」の延長線上に成立するものである。図式的にいえば・・・。
それ故に、山口百恵の「夜へ・・・」はグレコの「ミアルカ」の模倣ではなく、独自性をもって立っているのである。

グレコと百恵を聴き比べてみよう。
夜の果てに歩み寄る二人の女は、後姿も足音も似ているが、同時に、ジプシー娘の一夜の激しい恋には“宿命”といったものが待ち受けていて、残忍な陽光の照らす丘で、男女は別れるだろうという予感がし・・・
山口百恵の夜には、陽だまりにじっと刺客がうかがっているような気配がある。百恵は未知の恋人に抱かれに行くのに違いない。
相手の男は狂人のような奴かもしれない。
だから「許して・・・行かせて・・・」と歌うのだ。
男はこれまでの恋のお相手とはおよそタイプの違った、しかも行きずりの男だ。
正体も分からない。
不安だ。
あなたのような紳士ではない。
あなたのように確たる設計が立っているわけではない。
だからかえって安定したあなたを捨てたいと思う。
今夜、会えば私は肉体を奪われるだろう。
しかし私は決意した。
そして私は開いていく、「ゆっくり ゆるやかに 夜へ・・・ ひそかに ひめやかに 夜へ・・・」。その先には、二人の死が待ち構えていようとも。
やったぞ、百恵! あんたは菩薩だ!!。

平岡正明著「山口百恵は菩薩である」(講談社文庫1979年10月)より一部抜粋


・・・この方、知識は豊富で着眼点もいいし面白いのだが、どうも文章に品が無いのが僕個人として残念な所である。
さて、 平岡氏の主観的批評の次は客観的解説をご紹介致します。


○解説
音楽ディレクター:川瀬泰雄氏

ピアノだけで「修羅 修羅 阿修羅 修羅」と歌いだし、繰り返しの「繻子(しゅす) 繻子 数珠(じゅず) 繻子」のメロディで、ビオラ・チェロの低音感を効かせたストリングスが入ってくる。
「あやしく あまやかな」でのウッド・ベースが奏でるフレーズ、そして間奏でのアルト・フルートにからむストリングスドラムのブラシ・ワーク。
特に最新鋭の新しい音はまったく入っていない。
しかしながら、新鮮で見事にカッコいいのである。
たしか、篠山氏の映像イメージに合うシャンソンの曲をヒントに、阿木さんが詞を書き、宇崎氏が曲をつけた。
デモテープでの宇崎氏のイメージもカッコいいものだったが、萩田氏のアレンジは、すべての条件を完璧に満たしている。
加えて百恵の息がたっぷりと聴こえる生々しいほどの歌い方が、この曲の持つ妖しさをより強調している。
作った当時、参考資料のシャンソンを、凌駕したのではという印象だったのである。
多分、この頃の百恵には、特に歌い方の指示も出していないと思う。
本人の解釈に任せてレコーディングし、もし何か指示することがあっても、微妙な音程やリズムのチェック程度だった。
本書を書く時点で、僕は約1600〜1700曲の楽曲制作に関わってきた。
ジャズから演歌、フォーク、ロックなどジャンルの様々である。
しかし、この曲ほど円熟の域に達した曲はなかった。
このとき、弱冠二十歳の娘である。
制作する側も何の不自然さも感じずに、このような円熟した曲を作り、二十歳の百恵に歌わせてしまっているが、歌った百恵本人も違和感などもっていなかったと思う。
スタッフと百恵は、同じ方向に向かって、迷わず疾走していたのだろう。
「曼珠沙華」もこの曲も、作家、アレンジャー、スタッフ、ミュージシャン、そして百恵のすべてがシンクロして作り上げた大傑作である。
今考えても、同じ質を持った作品はできあがらないということを痛感する。


『プレイバック制作ディレクター回想記音楽「山口百恵」全軌跡』
デビューの'73年から引退の'80年まで、山口百恵のシングル/アルバム制作を手掛けた音楽ディレクター、川瀬泰雄氏が、当時のレコード制作現場の貴重なエピソードをふんだんに交えながら、自ら百恵作品を全曲解説するという書籍。


百恵ちゃんの「夜へ・・・」
如何でしたでしょうか?
夜、それも夜中に是非、ご鑑賞下さいませ。



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